~会社崩壊~
しかし、次の年の平成3年の1月に、凄い会社が、ゴーンと
音をたてて崩れました。
日経新聞の表紙に、千代の富士が貴乃花に負け
『若貴時代が始まった』と載っていた表紙の、相撲の写真が
載っているところの横に、会社が『○○銀行から270億円の
支援を受ける』と載っていました。
「あれ、うちの会社どうしたんだろうか?」と思いました。
次の週も、今度は別の銀行から「150億円支援」と載っている。
また1週間後、別の銀行から「何百億支援」と載っている。
ずーっと毎週新聞に載るのです。毎週、毎週です。
いくらなんでも、会社がおかしいのではないかと思い、上司に
相談すると「銀行側が支援するのだから会社は大丈夫」と
上司は言うんですが、社員はみんな不安でした。
平成3年から入ってきたばっかりの新入社員の人たちは、
みんな不安で、どんどん辞表を出していました。
私はそのとき課長で、部下を15人ぐらい連れて北九州で
マンションを売っていました。私のところが1番社員が
多かったです。新入社員もたくさんいました。
みんなおかしいと思い出し「辞めたいんですけど」と、
入れ替わり立ち替わり言ってきました。居酒屋に連れて行き
「辞めるな」と話しましたが、どんどん社員が辞めていきました。
バブル崩壊と共に、会社がおかしい。
真っ逆さまにズドーンと落ちていくように新聞に載るし、
私もおかしいなぁと思っていました。
その頃私は、北九州営業所所長をしており、八幡西区の
新築マンションを売っていました。
ある日、会社が「マンションは銀行に引き上げてもらう
ことにした」と言ってきました。
ちょうど完成して2年。しかし、3分の1ぐらいしか
売れてなかったのです。借入代金が払えないわけです。
銀行に「払ってくれ」と言われて「モノを持っていって
くれ!」と、銀行へ所有権を渡したのです。
次の日から、銀行が所有者になりました。
しかし、銀行は販売業務ができないので、会社へ「販売代理を
してくれ」と言ってきました。
私は3LDKのマンションを2200万円で販売していました。
すでに4~5件は売っていたと思います。
販売代理店を受けると、その日から、同じマンションの
同じ広さの部屋を「1400万円で売れ」と言われました。
差額が800万円。同じマンションを、同じ人間に800万円下げて
売れと言われたのです。以前、2200万円で私から買った
お客さんは、私を殺したいぐらいの気持ちだったと思います。
それを本当に目の前でやらされました。
それを売れと言われたら、売らなきゃいけないのがサラリーマン。
会社から必ずそれをやれと言われたら、絶対売らなきゃいけない訳です。
私としては、人を騙すようなことはしていないと、親からも
言われていましたが、これだけはお客さんを騙して売ったと
いう気持ちになりました。
こんな状況では、どんどん社員が辞めていく訳です。
60人ぐらい社員のいた九州支店でしたが、社員はどんどん
減っていきました。ある時からは、会社から「この人達を
辞めさせよう」と、リストが上がってきて「君悪いけど
辞めてくれ、もう給料が払えない」と、5人辞めさせたり、
10人辞めさせたりしていました。
15人枠ぐらいまでは、私も残っていたのですが、5人枠の時に
私の名前が入っていませんでした。寂しい事です。