9月7日19時30分より、中洲5丁目にあるIPホテル
2階宴会場で、博多経友会9月定例会が行われました。
演題は「祈りより生まれたひとかた」
講師は、人形師 中村 信喬氏でした。
二代目人形師である故・中村衍涯氏の長男である
中村信喬氏。三代目の人形師。人形師を両親に
持つ、人形師家庭に育った。
大学を卒業して、日本の工芸の都、京都で修業。
普通の博多人形師ではない。
菅原道真公の御神牛、福岡市動物園にあるゴリラの
モニュメントなど、たくさんの作品がある。
彫刻は、ほとんどの方が形を追う。
しかし、信僑さんは「魂を追う」と言う。
「ひとかた」とは、そういう事。
同じものを作っても、作り手によって内容が違う。
作り手が、「誰の為に・何の為」に作るかで変わる。
技術ではない。
大学時代は、毎日21時間ぐらい作品を作っていた。
しかし、なかなか良いものができなかった。
作品には、魂がないと人を感動させられない。
魂を入れて魅力ある作品を作れるのは、芸大でも
10年に1人しか出ない。アートには、目的がある。
誰かの為に作る。そういう思いが無ければ、作品は
良くならない。
お金が欲しいと思っては、良いものは出来ない。
自分が良くなることを考えてはダメ。私欲を考えては、
ダメなのだ。
作品をつくる時に、邪心があっては良いものは出来ない。
弟子が、作っている時に「クソ!」と言った。その思いが、
人形に入ってしまう。出来た人形には、その思いが長く
入ってしまうのだ。作品に対する思いは、とても大切。
「誰の為に、何のために、どう作るか」という事は、
とても大切なのだ。
10年後の自分をレポートする事。そうすると、設計を
しなければならない。どんな人になるかを、自分で
決めて行く。信喬さんは小学校の時、日本一の
人形師になる事と書いた。
木の中にその魂が見える。それは、動いている。
動いているものが見えるかが大切なのだ。
生き生きとして、伝わるものでなければならない。
作り手に、邪心があってはならない。いいものは
出来ないのだ。
どこかで利益を得ようと考えて作成すると、どこかで
歪ができる。澄み切っているものでなければダメなのだ。
自分の時代だけではいけない。次の世代の事を考えて
行かなければならないのだ。
自分の存在意義を考える。どんな人でも、人の役に
立つ為に生まれてきている。その事をいつも考えて、
作品を作っている。
私の信喬さんと同じ思いで、生きて行きたいと
考えています。