営業の中山です。

 

昨日、読んだ本の中に

 

「お茶が入りましたよ」

「お風呂が入りましたよ」

 

について書かれていて、興味深く読んでみました。

 

本当は、お茶やお風呂が勝手に入るわけがないですよね。

しかし、さも自発的にお茶が湯呑に注がれ、お風呂のお湯が湯船にたまったかのように、あえて表現している。

 

これは、

「お茶をお召し上がりください」

「お風呂にお入りください」

と、声をかけた相手に対して

 

「私がお湯を沸かして、急須にお茶を入れました」

「私がお風呂を洗って湯船にお湯をためました」

などの”労を感じさせない”配慮から生まれた表現なんだそうです。

 

「私が」「私が」と言わなくても、その場のニュアンスで、ちゃんと相手は「私が」その人のためにやったことを空気で感じているのでそれでいいのだと。あえて言う必要は全くないという発想から生まれているのだと。

 

それを読んで、あらためて日本人・日本語の奥ゆかしさに少ーしだけ感動した日曜日の午後でした。