2月12日(火)19時30分よりグランドハイアット福岡2階宴会場で、
博多経友会 月例会が行われました。
今回の講師は、17年のプロ野球現役時代を経て、
現在はテレビなどプロ野球解説者として活躍されている
藤本博史(ふじもとひろし)氏でした。
野球を始めたのは、小学校5年生から。
プロに入る前、いろんな人に会ったことが、自分の財産になった。
小学校のとき、リトルリーグの全国大会で、荒木大輔に負けた。
次に会う時は、打ってやる。
甲子園では、横浜の愛甲に勝てば、早稲田実業の荒木と戦えるところまで行ったが、
愛甲の素晴らしいピッチングに負けて、悔しい思いをした。
しかし、藤本さんは、甲子園の砂は持って帰らなかった。
来年がある。また、来ればいい。次に愛甲を打てばいい。
しかし、暴力事件で、1年間対外試合禁止。
藤本さんの、高校3年間が終わった。
松下電器の練習に土曜、日曜に参加していた。
練習は高校とはまったく違う。アップについていけない。
しかし、毎週負けない気持ちで、頑張ってやっていた。
ドラフトで10球団が指名してくれて、松下の監督に相談したら、
「自分の見る目に間違いがなかったんだ。ぜひ、プロに行きなさい!」
と言われて、南海ホークスに入りました。
南海ホークス2軍の監督が、「藤本君、4番でいくよ!」と言われ、4番スタート。
しかし、打てない。
監督に、「4番を、おろしてください。」とお願いしました。
打てないのは、藤本さん、初めての挫折。
監督は、「練習だけしとけ!打てると思ったら、帰ってこい!」
残り、30試合は使ってもらった。それで、2軍の打点王になった。
次の年、1軍にあがることを考えた。
左のピッチャーを打てる選手になろうと思った。
当時のコーチが、全球団の左ピッチャーの癖を書いたノートを渡してくれた。
そして、次の年は、開幕スタメンを勝ち取った。
しかし、当時のホークスは弱かった。傷の舐め合いをしていた。
プロに入っての2年間は、メチャクチャ練習した。
秋山幸二は、30歳を境に、練習量が増えた。
自分に厳しい秋山がいた。
その、秋山に、小久保、松中がついて行った。
小久保に「10年早いよ!」と言ったら、守っていたサードを取られ、ファーストに回され、
松中に「10年早いよ!」って言って、次の年はファーストを取られ、
オリックスにトレードに出された。
それぐらい、厳しい世界でやってきた。
今の選手で、松中、小久保、川崎、本多は、あいさつができる。
その素晴らしさが、こころを刺す。
あいさつって大事だな・・・と思っている。
店をやっていて、17年間プロ野球でやってきたことが、役に立っている。
食べるのは、好き。
プロ野球現役選手の間、全国の食べ物屋さんを回っていたので、
全国の鍋を出す店をやりたいと思い、お店を始めました。
店を始めて最初は、元プロ野球選手と言うことで、お客様が来てくれた。
あるとき、お客様が言ってくれた。
「藤本君はえらいね!あいさつができるから!」そう言ってくれた。
お客様は大切にしなければならない。
あいさつは、とても大切だと言うことがわかった。
お客様と接することが、大切なんだとわかった。
「今日解説をしていたのに、店にも出ているんだ!」と言われる。
今でも、解説で県外へ遠征してる以外、福岡にいる時は、必ず店に出てます。
店員教育にも、野球を取り入れている。
プロ野球は、10回打席に立って、3回打てば大打者。
いろんな店に行って、いろんな料理を食べて取り入れよう!と言っている。
餃子で美味しければ、そのレシピを聞いて、店で出せないか?を考えている。
和食の店ですが、チゲ鍋を出している。
今の寒い時期は、大人気です。選ぶのは、お客様なんです。
ある店の経営者から、「どうゆう店をしたいんですか?」と聞かれたときに、
「とんとんでいいんです。」と答えたら、
「野球と一緒で、勝たなければだめ!」と言われた。
その時に、あっと気がついた。「利益を出さなければ駄目」だと。
今は、店にお客様を呼ぶことを一番に考え、
多くの方と、会うことを心がけている。それが、また、楽しい。
そうゆう藤本さんなので、「藤本亭」は9年目を迎えている。
プロを辞めるとき、プロ野球解説者の道に進んだが、
その時の球団代表が、4年ほど、したらユニフォームを着てほしいと言われた。
今でも、またユニフォームを着て、コーチと言う仕事をしたいと思っている。
藤本博史さん、常に前向きなプラス思考の、素晴らしいお話をありがとうございました。