平成7年11月7日から会社へ出勤しなくてもよくなった。
この日が、私が会社を始めた日だ。今まで、福岡市内でも
情緒ある福岡城祉公園を通って出勤していたが、景色も
変わって博多駅方面へ。
「今日から博多に出勤か。寂しいな~。どうやって私は
生活するのだろうか?」と思った。
前の会社はマンションデベロッパー。サラリーマンの時に
やっていた仕事は、新築マンション販売の営業。できる
仕事はマンション販売のみ。しかし、新築のマンションの
販売には代理店として、何人かの社員も必要。
自分一人なので、新築の販売代理業もできない。
初めに請けた仕事は、お客様が使わなくなった中古の
マンションの売却を請けた。独立して最初のころは、
経営について全く勉強もしていなかった。
何も知らなかったのだ。地域はもちろん限定していない。
福岡市内でも西にある早良区西新、次の日は南にある
南区井尻、次は東区香椎、と市内もいろいろなところを
転々として、お客様にマンションの室内を見てもらえる
オープンルームをしていた。車での移動は、片道1時間が
当たり前。
もちろん信用がないので、私へ紹介頂く物件は少なく、
所有者が銀行への支払いが滞っている、銀行から債権が
保証会社へ移動した債権物件を扱っていた。銀行の
保証会社から「ローン不払いの物件を売ってくれるので
あれば、仕事まわすよ。」と言われ、請けることにした。
しかし、この仕事は血も涙もない仕事だった。北九州、
次は大分、福岡県でも郡部の物件を扱っていた。
(今思えば、近隣の物件や、販売しやすい物件は他の
不動産会社へ依頼していたのだと思う。)
車で片道2時間も3時間もかけて行き、ローンを払えない
人に会う。面談し、そしてそのマンションから追い出す。
出て行ってもらうのだ。退去後、リフォームをして
オープンルームにして売却する。面談するのはよいのだが、
ローン不払いの人はほとんどが悪い人ではなく、バブル期の
給与をあてにして不動産を購入したものの、不景気になり
給与が半減し、どうしても払えなくなった人ばかり。
悩んで円形脱毛症になっている人や、自殺しかけている
ような人もいる。そんな人達に会いに行き「ここを出て
行ってください。」と話をする。
「売らなければなりません。早急に出て行ってください。」と
言うのが私の役目。「これじゃあ、サラリーマン時の仕事と
あんまり変わらない。」 「もしかすると、サラリーマン
時代よりも悪い。」と思いながら、でも「これはだますこと
ではない・・・」と自分に言い聞かせながらやっていた。
ローンが払えない人に会いに行って、その人をどこかに追い
出して、債権者に室内をちょっときれいにしてもらって
販売する…という事をしていた。