8月8日朝7時から、ステップアップ20の8月2回目の例会が、
株式会社フォーバル福岡支店の会議室で行われました。
この日は、カウテレビジョンさんで取材した社長のインタビューを見ての勉強会でした。
内容は、「宝石のサダマツ」貞松隆弥社長」でした。
貞松社長は、プロのミュージシャンを目指し頑張っていた。
それもボーカル担当。
バンドの中心人物で、ライブ活動に日夜頑張っていた。
そのバンドも、ようやく芽が出かけていた。
しかし、父親が倒れ長崎に帰ることになった。
家を継ぐことなど、父が倒れるまでは考えてなかった。
バンド仲間を裏切り、田舎に帰って来た。
バンドを辞め継いだ会社は、お金がなかった。
社員のため、会社のため、自分のために、
その時は、人生で一番頑張った。
そんなある日、経理の社員が使い込みをしていた。
その社員を即刻、解雇した。
しかし、つられて社員がたくさん辞めた。
凄く、信頼していた社員も辞めて、
貞松社長の胸ぐらを掴み、「お前を憎んでやる。」と言われた。
何が何だかわかれず、絶望した。
酒を飲みに行き、酔ってヤクザに絡まれた。
刺されて、行方不明になった。
そんな貞松社長は、辞表を出し、ミュージシャンに戻った。
しかし、何故か寂しい。
お寺を回るツアーに参加し、和尚に自分の今の事情を話した。
「甘えるな!」と和尚に大きな声で言われた。
実家は、メガネ屋だった。
日本の総売上が5000億円
時計屋をやっていたが、時計だけでは難しいと考え、メガネも始めた。
なぜ、時計屋からメガネ屋もできたのかと父親に聞くと、
「名簿があったから」と言う。
そうか、家は、名簿管理屋なんだと感じた。
そして、貞松社長は宝石をやろう!と考えた。
宝石業界はバブル時3兆円
バブル崩壊後も1兆6000億 最王手の宝石会社で300億。
宝石屋はクレオパトラの時代からある。
いろいろ検討し、宝石業界へ参入。
スタートは沖縄。
大手が断った大きなショッピングセンターの店舗からオファーがあり、
断るつもりだったが、市場調査し、そこがスタート。
沖縄120万の市場に参入。売れに売れて、9年でIPOまでいった。
しかし、市場が変化し、大型ショッピングセンターが乱立し、市場が分散してきた。
次は、都心でやらなければいけないと考え、神戸で始めた。
今では93店舗ある。すべて、都心である。
特に歓楽街の安定率がいいのは、東京。
東京は、皆同じ店に行くから。
田舎の方が、新しいものにたなびく。
市場は都会にあると考え今は、中心部のみに店舗を構えている。
これからの市場は、「スーパーリージョナル巨大ショッピングセンターが主流になる。」
と貞松社長は言う。
今の「サダマツ」は製造から小売りまでやっている。
海外で自社工場をもち、デザインから加工、販売までを自社で行えるようになった。
取り得は、思ったことを実現させていくこと。しつこさだ。
サダマツは思ったことを実現すること。
社員が、夢を持つことが一番大切。
株式会社サダマツ 貞松社長の夢は、「世界のブランドを作りたい。
ライブハウスを持ちたい。
若いミュージシャンを応援し世に出して行きたい。」と語ってくれた。