HOME > 博多よかばい放浪記 > お店を繁盛させる講演会 > 第20弾 お店を繁盛させる講演会 村林直美氏 その1
第20弾 お店を繁盛させる講演会 村林直美氏 その1
10月19日「お店を繁盛させる講演会 第20弾」の
ご報告をさせて頂きます。
株式会社BILLION 代表 村林直美さんに
ホステスの極意や接客方法、経営について
お話しして頂きました。
主婦からホステスへデビュー。
そして、売れっ子ホステスへ…。
夜の仕事を始めたのは、37歳の時。
高校を出て銀行で2年間働き、アメリカへ4ヶ月。
その後は、派遣社員を7~8年経験し、29歳で結婚。
ホステスの仕事をするなど、全く考えても
いませんでした。
結婚してから8年間は専業主婦。
副業で働いてみようと思い立ち、大手電話会社の
アルバイト募集広告を見て応募。できれば大手で
働きたいとの願望があったからです。
「大手なので無理だろうな。」と思いながらも面接。
しかし、みごと一発合格!
採用通知をもらい、気持ちも軽やかに家路へ。
その途中に北新地を歩いていると、男性スカウトに
声を掛けられました。
「働いてみない?日給25000円は出すよ!」と言うのです。
今考えると、当時37歳になっていた直美さんへ声を掛けた
スカウトも不思議なのですが、そう声を掛けてきました。
大手電話会社からは、時給1300円で採用通知を受けた
ばかりでしたが、このアルバイトの時給も決して悪くない。
1日で25,000円は大きいどころか、かなり違います。
「どんな仕事ですか?」と聞くと、「新地のホステス」と
答えました。日給25000円は、当時の直美さんには
衝撃的でした。少しの不安はありましたが、金額に目が
くらみ、「やってみよう!」と思い立ち、「働きます!」と
即答。こうして、新地デビューしたのでした。
37歳で北新地デビュー
それまでは専業主婦。それも全くの未経験。年齢は37歳。
歓楽街のホステスは、一番若い娘で18歳。その10歳上の
28歳になると、お客様には「オバサン!」と言われるのです。
夜の世界の年齢はそんなもの。直美さんは37歳でビュー。
店で一番若い娘より19歳も年上です。それも全くの「未経験」。
働き出してから気付きましたが、大変な仕事でした。
直美さんにとっては、厳しくつらい日々が続きました。
若い娘であれば、先輩ホステスが仕事のやり方も教えて
くれて、可愛がってもくれたでしょう。しかし、店の中での
ホステスとしては「高齢」。年齢だけ見ると、熟練ホステスと
言われてもおかしくありません。直美さんは全くの新人で、
右も左もわかりません。何をしていいのかすら、わかりません
でした。
接客の初歩からわからない。だれも教えてくれない。
水割りの作り方、灰皿の交換、水割用の氷をボーイに頼む
タイミング等、ホステスにもたくさんの仕事があります。
これは基本中の基本。他のホステスがやるのを見てやるより
他はありません。
この仕事ができるようになったら、次は接客方法があります。
席に着いてから何を話せばいいのか?
どう対応すればいいのか?
初めてのお客様へ、どう接すれば喜んで頂けるのか?
等わからない事だらけ。
直美さんの女友達に、ホステス経験者はいません。
見よう見真似でやっていくしか仕方がなかったのです。
そんな直美さんに、仕事のやり方を教えてくれる
ホステスなどいませんでした。
お店で働く他のホステスさんは皆、すぐに辞めると
思っていたに違いありません。どうして良いのか
わからない日々が続きました。直美さんは、悩みに
悩みました。
もちろん、一般の会社に入社する新入社員教育のように
研修期間があり、教育係が付いて1つ1つ教えてくれる、
というような業界でもありません。
1日1日が実践。何もできなくても、お客様の横に座り、
接客をしました。日々仕事をしている中で、学び取る
しかないのです。
店で1番の売れっ子ホステスから学ぶ
悪戦苦闘の毎日でした。しかし、直美さんは売り上げを
伸ばす方法を見つけました。それは、お店で一番の
売れっ子ホステスの真似をする事でした。
その娘は20歳。直美さんより、17歳も若い娘でした。
直美さんは、「この際、年齢の差などどうでもいい」と
思っていました。いろんな事を聞きました。
ラッキーな事に、その娘は親切に教えてくれたのです。
・お客様へのメールの仕方。
・電話のかけ方。
・手紙の書き方。
会話術は、彼女がお客様と話すのを、耳をダンボのように
して聞いていました。聞くと言うと聞こえが良いのですが、
盗んでいったのです。休日も一緒に行動しました。
彼女の全てを真似していったのです。
ご報告をさせて頂きます。
株式会社BILLION 代表 村林直美さんに
ホステスの極意や接客方法、経営について
お話しして頂きました。
主婦からホステスへデビュー。
そして、売れっ子ホステスへ…。
夜の仕事を始めたのは、37歳の時。
高校を出て銀行で2年間働き、アメリカへ4ヶ月。
その後は、派遣社員を7~8年経験し、29歳で結婚。
ホステスの仕事をするなど、全く考えても
いませんでした。
結婚してから8年間は専業主婦。
副業で働いてみようと思い立ち、大手電話会社の
アルバイト募集広告を見て応募。できれば大手で
働きたいとの願望があったからです。
「大手なので無理だろうな。」と思いながらも面接。
しかし、みごと一発合格!
採用通知をもらい、気持ちも軽やかに家路へ。
その途中に北新地を歩いていると、男性スカウトに
声を掛けられました。
「働いてみない?日給25000円は出すよ!」と言うのです。
今考えると、当時37歳になっていた直美さんへ声を掛けた
スカウトも不思議なのですが、そう声を掛けてきました。
大手電話会社からは、時給1300円で採用通知を受けた
ばかりでしたが、このアルバイトの時給も決して悪くない。
1日で25,000円は大きいどころか、かなり違います。
「どんな仕事ですか?」と聞くと、「新地のホステス」と
答えました。日給25000円は、当時の直美さんには
衝撃的でした。少しの不安はありましたが、金額に目が
くらみ、「やってみよう!」と思い立ち、「働きます!」と
即答。こうして、新地デビューしたのでした。
37歳で北新地デビュー
それまでは専業主婦。それも全くの未経験。年齢は37歳。
歓楽街のホステスは、一番若い娘で18歳。その10歳上の
28歳になると、お客様には「オバサン!」と言われるのです。
夜の世界の年齢はそんなもの。直美さんは37歳でビュー。
店で一番若い娘より19歳も年上です。それも全くの「未経験」。
働き出してから気付きましたが、大変な仕事でした。
直美さんにとっては、厳しくつらい日々が続きました。
若い娘であれば、先輩ホステスが仕事のやり方も教えて
くれて、可愛がってもくれたでしょう。しかし、店の中での
ホステスとしては「高齢」。年齢だけ見ると、熟練ホステスと
言われてもおかしくありません。直美さんは全くの新人で、
右も左もわかりません。何をしていいのかすら、わかりません
でした。
接客の初歩からわからない。だれも教えてくれない。
水割りの作り方、灰皿の交換、水割用の氷をボーイに頼む
タイミング等、ホステスにもたくさんの仕事があります。
これは基本中の基本。他のホステスがやるのを見てやるより
他はありません。
この仕事ができるようになったら、次は接客方法があります。
席に着いてから何を話せばいいのか?
どう対応すればいいのか?
初めてのお客様へ、どう接すれば喜んで頂けるのか?
等わからない事だらけ。
直美さんの女友達に、ホステス経験者はいません。
見よう見真似でやっていくしか仕方がなかったのです。
そんな直美さんに、仕事のやり方を教えてくれる
ホステスなどいませんでした。
お店で働く他のホステスさんは皆、すぐに辞めると
思っていたに違いありません。どうして良いのか
わからない日々が続きました。直美さんは、悩みに
悩みました。
もちろん、一般の会社に入社する新入社員教育のように
研修期間があり、教育係が付いて1つ1つ教えてくれる、
というような業界でもありません。
1日1日が実践。何もできなくても、お客様の横に座り、
接客をしました。日々仕事をしている中で、学び取る
しかないのです。
店で1番の売れっ子ホステスから学ぶ
悪戦苦闘の毎日でした。しかし、直美さんは売り上げを
伸ばす方法を見つけました。それは、お店で一番の
売れっ子ホステスの真似をする事でした。
その娘は20歳。直美さんより、17歳も若い娘でした。
直美さんは、「この際、年齢の差などどうでもいい」と
思っていました。いろんな事を聞きました。
ラッキーな事に、その娘は親切に教えてくれたのです。
・お客様へのメールの仕方。
・電話のかけ方。
・手紙の書き方。
会話術は、彼女がお客様と話すのを、耳をダンボのように
して聞いていました。聞くと言うと聞こえが良いのですが、
盗んでいったのです。休日も一緒に行動しました。
彼女の全てを真似していったのです。
トラックバック(0)
トラックバックURL:
お顔を拝見すると、素晴らしい方とわかりますね。