博多経友会について 前編
~博多を元気にしよう~
平成14年6月4日から、博多経友会という異業種交流の
勉強会を8年間している。最初は、有志でお酒を
飲みながら語る会としてスタートした。
2回目からは、会の参加者が30分程度講演をして、
講演者を囲み、皆で語り合う。そして、参加者の
ビジネスについても語り合ったりしていた。
始めた頃の参加者は10人程度。グランドハイアット
ホテル福岡1階のバーでやっていた。気の合った
仲間が集まり、楽しく語らう会だった。
平成8年に全国規模の中小企業の会へ入会した。
私でも入ることができるといわれたので入会したの
だが、新入会員には冷たく、名刺交換すら難しい。
会費は月7000円。起業したばかりの私には、高く
感じた。仕事は苦しく、まだまだ社長といえる収入も
実績のない時期。当時の私にとっては決して安くない
金額だった。ビジネスについて何かヒントを得ようと
参加していたのだが、参加はするものの、皆さんと
知り合うこともできず、ビジネスについて教えて
もらうこともできなかった。常連の会員さん達は
仲良く、とっても親しく話をするが、入ったばかりの
私達新人とは話してもらえなかった。
講演会もよくあった。講演は勉強になり良かった。
懇親会にも講師が参加。しかし、講師をそっちのけに
して、仲良しクラブ。本当に会社を大きくしていきたい、
ビジネスチャンスを見つけに来ている人達もいたが、
ただの仲良しクラブに7000円もの会費を払っている
気がして、幻滅した。
異業種交流会に新会員が初めて参加しても、会の役員
から名刺交換に行かなければ馴染まない。ましてや
若い人は、どうしてよいかわからず、辞めていく。
そんな仲良しだけが交流する会ではない、志が高ければ
誰でも馴染める会を作りたいと熱望し、独自の交流会を
立ち上げた。
楽しく語らう会として「博多経友会」を発足。会の
名前は、1.博多の経営者が共に成長していく会。
2.博多の経営者が元気になり、皆が友達になり成長
したい。という想いから「博多経友会」と名付けた。
しかし、当時の私は知り合いも少なく、地元では全く
無名。親友で創美の須藤社長に会長になってもらい発足。
彼は博多出身で、大学も博多。お父さんが創美を創業し、
2代目社長。現在の創美は印刷物でもシールを専門に
している。先般、シールで世界一の賞を2度も受賞。
すばらしい会社であり、素晴らしい社長だ。その
須藤社長に会長になってもらい、開催することになった。
けれども無名な会なので、最初は人集めに苦労した。
もちろん、初参加者や交流会慣れしていない会員さんへは
できるだけ声を掛け、馴染みやすい環境を心がけた。役員を
5~6人に任命し、参加しやすい会に徹した。地道にやって
いこう。博多を元気にしていこうと頑張った。
発足した初年は参加者が10名を超えるのがやっと。しかし、
毎月第一火曜日に行っていた。「博多を元気にしよう。」
とは言ったものの、仲良しクラブだった。2年目も参加者は
増えない。3年目で20人に増え、それまでバーの片隅で
やっていた「博多経友会」だったが、バーのメインフロアへ
移動。最初は細々だったが、交流会らしくなっていった。
石の上にも3年。有志が少しずつ増えてきた。水割りを
飲みながら楽しく、心から語り合える仲間の会だったように
思い出される。そうしながらも参加者は増え、4年目で30人
近くなった。ホテルのバーでやっていた「博多経友会」だが、
バーでお酒を飲みながらする人数ではなくなり、宴会場を
借りて行うようなった。
参加者はそれからも増えつづけ、50名以上の会にまで成長。
その頃から、参加者が講演するのではなく、福岡で大きく
成功した福岡の社長さんに講演いただくようになっていった。
「博多を元気にしよう!」というキャッチフレーズに、少し
近づいた気がする。
現在、参加者の
「人間力向上」
「パーソナル(自己)ブランディングの構築」
「アイデアと情報の提供」
この3つの目的と掲げ、毎月第一火曜日19時30分から
行っている。私は人との出会いが大好きです。毎回、
新しい参加者に出会い、いろいろな話をお聞きする
ことで、たくさんのヒントを貰っている。
20代の方には元気をいただき、30代から40代の方からは、
たくさんのヒントをいただき、先輩方からはお叱りをいただく。
その刺激がたまらないのだ!
平成14年6月4日から、博多経友会という異業種交流の
勉強会を8年間している。最初は、有志でお酒を
飲みながら語る会としてスタートした。
2回目からは、会の参加者が30分程度講演をして、
講演者を囲み、皆で語り合う。そして、参加者の
ビジネスについても語り合ったりしていた。
始めた頃の参加者は10人程度。グランドハイアット
ホテル福岡1階のバーでやっていた。気の合った
仲間が集まり、楽しく語らう会だった。
平成8年に全国規模の中小企業の会へ入会した。
私でも入ることができるといわれたので入会したの
だが、新入会員には冷たく、名刺交換すら難しい。
会費は月7000円。起業したばかりの私には、高く
感じた。仕事は苦しく、まだまだ社長といえる収入も
実績のない時期。当時の私にとっては決して安くない
金額だった。ビジネスについて何かヒントを得ようと
参加していたのだが、参加はするものの、皆さんと
知り合うこともできず、ビジネスについて教えて
もらうこともできなかった。常連の会員さん達は
仲良く、とっても親しく話をするが、入ったばかりの
私達新人とは話してもらえなかった。
講演会もよくあった。講演は勉強になり良かった。
懇親会にも講師が参加。しかし、講師をそっちのけに
して、仲良しクラブ。本当に会社を大きくしていきたい、
ビジネスチャンスを見つけに来ている人達もいたが、
ただの仲良しクラブに7000円もの会費を払っている
気がして、幻滅した。
異業種交流会に新会員が初めて参加しても、会の役員
から名刺交換に行かなければ馴染まない。ましてや
若い人は、どうしてよいかわからず、辞めていく。
そんな仲良しだけが交流する会ではない、志が高ければ
誰でも馴染める会を作りたいと熱望し、独自の交流会を
立ち上げた。
楽しく語らう会として「博多経友会」を発足。会の
名前は、1.博多の経営者が共に成長していく会。
2.博多の経営者が元気になり、皆が友達になり成長
したい。という想いから「博多経友会」と名付けた。
しかし、当時の私は知り合いも少なく、地元では全く
無名。親友で創美の須藤社長に会長になってもらい発足。
彼は博多出身で、大学も博多。お父さんが創美を創業し、
2代目社長。現在の創美は印刷物でもシールを専門に
している。先般、シールで世界一の賞を2度も受賞。
すばらしい会社であり、素晴らしい社長だ。その
須藤社長に会長になってもらい、開催することになった。
けれども無名な会なので、最初は人集めに苦労した。
もちろん、初参加者や交流会慣れしていない会員さんへは
できるだけ声を掛け、馴染みやすい環境を心がけた。役員を
5~6人に任命し、参加しやすい会に徹した。地道にやって
いこう。博多を元気にしていこうと頑張った。
発足した初年は参加者が10名を超えるのがやっと。しかし、
毎月第一火曜日に行っていた。「博多を元気にしよう。」
とは言ったものの、仲良しクラブだった。2年目も参加者は
増えない。3年目で20人に増え、それまでバーの片隅で
やっていた「博多経友会」だったが、バーのメインフロアへ
移動。最初は細々だったが、交流会らしくなっていった。
石の上にも3年。有志が少しずつ増えてきた。水割りを
飲みながら楽しく、心から語り合える仲間の会だったように
思い出される。そうしながらも参加者は増え、4年目で30人
近くなった。ホテルのバーでやっていた「博多経友会」だが、
バーでお酒を飲みながらする人数ではなくなり、宴会場を
借りて行うようなった。
参加者はそれからも増えつづけ、50名以上の会にまで成長。
その頃から、参加者が講演するのではなく、福岡で大きく
成功した福岡の社長さんに講演いただくようになっていった。
「博多を元気にしよう!」というキャッチフレーズに、少し
近づいた気がする。
現在、参加者の
「人間力向上」
「パーソナル(自己)ブランディングの構築」
「アイデアと情報の提供」
この3つの目的と掲げ、毎月第一火曜日19時30分から
行っている。私は人との出会いが大好きです。毎回、
新しい参加者に出会い、いろいろな話をお聞きする
ことで、たくさんのヒントを貰っている。
20代の方には元気をいただき、30代から40代の方からは、
たくさんのヒントをいただき、先輩方からはお叱りをいただく。
その刺激がたまらないのだ!
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「謙虚」で「誠実」で「真摯」な気持ちを継続するのは大変です。僕の経験上、成功した人は共通して「謙虚で誠実」です。決して自ら進んで自慢話はおっしゃいません^^;