竹田先生との出会い 前編
心底悩みに悩んでいたのだが、実は会社を伸ばすヒントを
与えてくれる恩師に出会っていたのだ。
平成8年7月に、中小企業家同友会に入った。そこで、私の
恩師 竹田陽一先生に出会ったのだ。サラリーマン時代に
いろいろな事を教えて頂いた社長から、中小企業同友会に
強制的に入れられたのだ。お金は無かったし、入会金、
月会費も高い。強制的でなければ、入っていなかったと思う。
同友会には入ったが、知り合いは紹介してくれた社長のみ。
会はいつも70~80人参加している。それも全員社長。最初は、
辞めたくて仕方がなかった。会の中には5つのチームがあり、
これも強制的に入れられた。
チームに入ってすぐに、例会(参加者70~80人)で「司会を
しろ!」と言われた。「中小企業同友会は、とても強制的な
所…」というイメージ。入会金も払ったし、すぐに辞めると
しゃくだし、仕方なく受ける事にした。
今まで司会は一度もした事はないし、人前で話した事もない。
その時の講演の講師が、将来恩師となるランチェスター経営
竹田陽一先生だったのだ。竹田先生が壇上で、私が司会で、
2人でやりとりをさせて頂いた。私はその時、初めて人前で
マイクを持って話した。しかしやってみると、人前で話す
事がすごく気持ち良くて、嬉しかった事を憶えている。
こうして、竹田陽一先生と知り合う機会ができた。
『ランチェスター弱者必勝の戦略』という本があって、以前、
その本を読んでいた。その時「この理論は正しいな、よく
わかる。」と、その本に感動した。たまたまだが、あの本を
書いた素晴らしい先生に、しかも壇上で私とやりとりができて、
心から「楽しいなぁ!」と思い、熱狂的なファンになった。
それからは、ランチェスター経営の勉強会へも積極的に
参加し、経営について勉強する事になった。でも、経営
コンサルタントという職業の人たちは、コンサルタント料が
収入。それも、税理士や弁護士と変わらない顧問料を取って
いる。
私のその頃の年商は750万円。年収ではなく年商だ。
年収は200万円もなかった。
ある時、竹田先生から「ああ、古川君!ランチでも行かないか?」
とお誘い頂いた。「竹田先生に直接経営の話が聞ける。なんと
ありがたい事だろう。」と嬉しかった。
しかし、竹田先生の話は「古川君には経営のセンスがある。
ぜひ経営の勉強をしてみないか?」というものだった。
「どういうことかな?」と私が思っていると、竹田先生が
「経営が勉強できるテープがフルセットで○○○万円する。
毎月5万円ずつ、うちに払わないかね?」と言われたのだ。
毎月5万円。年間で60万円。「経営のセンスがある!」という
竹田先生の期待に応えたいのは山々だったが、その頃の
私にはとても払える訳がない。いや、絶対に払えない。
「私には払えないですよ。」と答えた。そうすると竹田先生は
「古川君だけ特別に3万円でいいよ。だから買いなさい!」と
言われた。私は「いえ、3万なんてとんでもない。会社は明日
潰れるかもしれませんし、そんな5万も3万も毎月払うのだった
ら・・・。」と答えた。竹田先生はそう答える私の顔を見て、
ブスッと怒って、どこかに行ってしまった。
これで「竹田先生との縁は、終わってしまった。」と思った。
竹田先生はいなくなってしまったが、私の担当の方は残って
いた。そして「古川君、毎月いくらだったら払えるの?」と
聞かれた。私は悩んだ。払えないといったら、もう竹田先生は
私と話してくれないかもしれない、もう縁は終わり。ブスッと
怒って行ってしまったのだから。「どうしようか?」と思い、
ずーっと考えた。そして清水の舞台から飛び降りるつもりで
「5000円だったら払えます。」と答えた。
「怒られる!」と思った。しかし回答は「いいですよ。
5000円で。」と言われたのだ。「スモールサクセスプログラム
というテープがあるから、それを買ってみては?」と言って
くれたのだ。
与えてくれる恩師に出会っていたのだ。
平成8年7月に、中小企業家同友会に入った。そこで、私の
恩師 竹田陽一先生に出会ったのだ。サラリーマン時代に
いろいろな事を教えて頂いた社長から、中小企業同友会に
強制的に入れられたのだ。お金は無かったし、入会金、
月会費も高い。強制的でなければ、入っていなかったと思う。
同友会には入ったが、知り合いは紹介してくれた社長のみ。
会はいつも70~80人参加している。それも全員社長。最初は、
辞めたくて仕方がなかった。会の中には5つのチームがあり、
これも強制的に入れられた。
チームに入ってすぐに、例会(参加者70~80人)で「司会を
しろ!」と言われた。「中小企業同友会は、とても強制的な
所…」というイメージ。入会金も払ったし、すぐに辞めると
しゃくだし、仕方なく受ける事にした。
今まで司会は一度もした事はないし、人前で話した事もない。
その時の講演の講師が、将来恩師となるランチェスター経営
竹田陽一先生だったのだ。竹田先生が壇上で、私が司会で、
2人でやりとりをさせて頂いた。私はその時、初めて人前で
マイクを持って話した。しかしやってみると、人前で話す
事がすごく気持ち良くて、嬉しかった事を憶えている。
こうして、竹田陽一先生と知り合う機会ができた。
『ランチェスター弱者必勝の戦略』という本があって、以前、
その本を読んでいた。その時「この理論は正しいな、よく
わかる。」と、その本に感動した。たまたまだが、あの本を
書いた素晴らしい先生に、しかも壇上で私とやりとりができて、
心から「楽しいなぁ!」と思い、熱狂的なファンになった。
それからは、ランチェスター経営の勉強会へも積極的に
参加し、経営について勉強する事になった。でも、経営
コンサルタントという職業の人たちは、コンサルタント料が
収入。それも、税理士や弁護士と変わらない顧問料を取って
いる。
私のその頃の年商は750万円。年収ではなく年商だ。
年収は200万円もなかった。
ある時、竹田先生から「ああ、古川君!ランチでも行かないか?」
とお誘い頂いた。「竹田先生に直接経営の話が聞ける。なんと
ありがたい事だろう。」と嬉しかった。
しかし、竹田先生の話は「古川君には経営のセンスがある。
ぜひ経営の勉強をしてみないか?」というものだった。
「どういうことかな?」と私が思っていると、竹田先生が
「経営が勉強できるテープがフルセットで○○○万円する。
毎月5万円ずつ、うちに払わないかね?」と言われたのだ。
毎月5万円。年間で60万円。「経営のセンスがある!」という
竹田先生の期待に応えたいのは山々だったが、その頃の
私にはとても払える訳がない。いや、絶対に払えない。
「私には払えないですよ。」と答えた。そうすると竹田先生は
「古川君だけ特別に3万円でいいよ。だから買いなさい!」と
言われた。私は「いえ、3万なんてとんでもない。会社は明日
潰れるかもしれませんし、そんな5万も3万も毎月払うのだった
ら・・・。」と答えた。竹田先生はそう答える私の顔を見て、
ブスッと怒って、どこかに行ってしまった。
これで「竹田先生との縁は、終わってしまった。」と思った。
竹田先生はいなくなってしまったが、私の担当の方は残って
いた。そして「古川君、毎月いくらだったら払えるの?」と
聞かれた。私は悩んだ。払えないといったら、もう竹田先生は
私と話してくれないかもしれない、もう縁は終わり。ブスッと
怒って行ってしまったのだから。「どうしようか?」と思い、
ずーっと考えた。そして清水の舞台から飛び降りるつもりで
「5000円だったら払えます。」と答えた。
「怒られる!」と思った。しかし回答は「いいですよ。
5000円で。」と言われたのだ。「スモールサクセスプログラム
というテープがあるから、それを買ってみては?」と言って
くれたのだ。
トラックバック(0)
トラックバックURL:
コメントする