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大学時代・就職・リストラ その4

~会社崩壊~

しかし、次の年の平成3年の1月に、凄い会社が、ゴーンと
音をたてて崩れました。

日経新聞の表紙に、千代の富士が貴乃花に負け
『若貴時代が始まった』と載っていた表紙の、相撲の写真が
載っているところの横に、会社が『○○銀行から270億円の
支援を受ける』と載っていました。
「あれ、うちの会社どうしたんだろうか?」と思いました。
次の週も、今度は別の銀行から「150億円支援」と載っている。
また1週間後、別の銀行から「何百億支援」と載っている。
ずーっと毎週新聞に載るのです。毎週、毎週です。
いくらなんでも、会社がおかしいのではないかと思い、上司に
相談すると「銀行側が支援するのだから会社は大丈夫」と
上司は言うんですが、社員はみんな不安でした。


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平成3年から入ってきたばっかりの新入社員の人たちは、
みんな不安で、どんどん辞表を出していました。
私はそのとき課長で、部下を15人ぐらい連れて北九州で
マンションを売っていました。私のところが1番社員が
多かったです。新入社員もたくさんいました。
みんなおかしいと思い出し「辞めたいんですけど」と、
入れ替わり立ち替わり言ってきました。居酒屋に連れて行き
「辞めるな」と話しましたが、どんどん社員が辞めていきました。
バブル崩壊と共に、会社がおかしい。
真っ逆さまにズドーンと落ちていくように新聞に載るし、
私もおかしいなぁと思っていました。

その頃私は、北九州営業所所長をしており、八幡西区の
新築マンションを売っていました。
ある日、会社が「マンションは銀行に引き上げてもらう
ことにした」と言ってきました。

ちょうど完成して2年。しかし、3分の1ぐらいしか
売れてなかったのです。借入代金が払えないわけです。
銀行に「払ってくれ」と言われて「モノを持っていって
くれ!」と、銀行へ所有権を渡したのです。


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次の日から、銀行が所有者になりました。
しかし、銀行は販売業務ができないので、会社へ「販売代理を
してくれ」と言ってきました。
私は3LDKのマンションを2200万円で販売していました。
すでに4~5件は売っていたと思います。
販売代理店を受けると、その日から、同じマンションの
同じ広さの部屋を「1400万円で売れ」と言われました。
差額が800万円。同じマンションを、同じ人間に800万円下げて
売れと言われたのです。以前、2200万円で私から買った
お客さんは、私を殺したいぐらいの気持ちだったと思います。
それを本当に目の前でやらされました。

それを売れと言われたら、売らなきゃいけないのがサラリーマン。
会社から必ずそれをやれと言われたら、絶対売らなきゃいけない訳です。

私としては、人を騙すようなことはしていないと、親からも
言われていましたが、これだけはお客さんを騙して売ったと
いう気持ちになりました。

こんな状況では、どんどん社員が辞めていく訳です。
60人ぐらい社員のいた九州支店でしたが、社員はどんどん
減っていきました。ある時からは、会社から「この人達を
辞めさせよう」と、リストが上がってきて「君悪いけど
辞めてくれ、もう給料が払えない」と、5人辞めさせたり、
10人辞めさせたりしていました。

15人枠ぐらいまでは、私も残っていたのですが、5人枠の時に
私の名前が入っていませんでした。寂しい事です。


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コメント(1)

知ってた話だったけど、読んでたら涙がブワッと出てきました!

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