起業へ(古川隆奮闘記3)
肩を叩かれた6月。
私は、会社を辞める事と、自分で会社を始める決意した。
しかし、私は、宮崎県出身。
住まいは福岡だったが、北九州で仕事をしていた私は
福岡に頼る人も無く、お金も無い状態。
「どうしよう?」と考え何人かの友人へ相談した。
友人より、以前マンションを買って頂いたお客さんで、
福一不動産前社長の塙(ハナワ)繁社長が不動産会社の免許をとり、
不動産業をやっていたが、今は休眠状態にあることを聞く。
早速、塙さんへ相談しようと思った。
中洲に4店舗のお店を経営していた塙社長へ、
不動産部の責任者として働かせて頂く、お願いにいきました。
私とは何の関係もなく、親戚でもなんでもない。
マンション会社の社員とお客さんの関係。
誰が考えても一般的には、お願いに行っても無駄。
不動産の仲介業は、扱う商品も金額が高いし、
失敗を考えると危険負担は大きく、受けてくれるはずもない。
しかし、頼む先もなく一か八かお願いに行きました。
「藁をもつかむ思い!」とはこの時のことでしょう。
お金がないこと、首になったこと、人を騙す仕事はしたくない事、
起業したいこと、いろいろお話ししたとは思います。
今はもう、どうお願いしたかは覚えていません。
塙社長は、何故か受けいれて下さいました。
それには条件が、ありました。
今、塙社長が事務所を構えているところの近く、
または同じマンションで事務所を構えること。
印鑑は、押してもらうこと(契約内容は、告知すること)。
私に印鑑は、渡さない。
塙社長へお礼を、毎月支払うこと。
条件があるとは言え、本当にありがたい事です。
今思えば、受けて頂いたことは、奇跡に近いことでした。
心から感謝しています。
善は急げで、肩を叩かれたその月に、同じマンションの3階の
1ROOM(家賃45000円)を借りる事にし、不動産事務所をスタートしました。
小さな看板を作り、マンションの1階へ置き、会社があることを明示。
電話を1本引いて、FAXと兼用。コピー機は借り物。
コピー用紙は前の会社から、当分使える分を頂戴しました。
1ROOMマンションなので、机とテーブルを入れると、もういっぱい。
事務所は構えたが、訪ねて来てくれるお客さんもなく、
電話はもちろんのこと鳴らない。
一人の事務所でやる仕事内容は
1. 火曜日までに、中古マンションオープンルームのチラシ原稿を作成
↓
2. 水曜日は輪転機で1万枚ほど作成
↓
3. 木曜日には、取りに来てもらう
↓
4.土曜日と日曜日には作成したチラシが新聞折込される。
土日私は11時~17時まで、中古マンションオープンルームの現場営業マン。
お客さんが来なくて、そのオープンルームが決まらないと、
私のやっている仕事は即赤字で継続は難しくなる。
しかし、不思議と来店者は1日に1~2件はありました。
17時30分には、オープンルームをかたづけ、
ご来店頂いたお客様のお宅へ訪問しクロージング。
帰宅は23時ごろ。
毎週、この工程を繰り返し、繰り返し行っていました。
1回のオープンハウスで決めることが私に課せられた絶対条件。
1回のオープンルームで経費が15万円。入る仲介手数料は50万円程度。
差し引き35万円。
1件決まっても、事務所の経費と塙さんへのお礼を払うと、私の取り分は、少ないもの。
1回で、決めず、また15万円の経費を使うと、何をやっているかわからない。
そのときの私は、「腹を空かせ狩をする猛獣」の様だったのかも?
そんな毎日を、2年間は続けました。
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泣きました。
けんちゃん総研1966さん書き込みありがとうございます。
泣いていただいたんですね?
ありがとうございます。
ご自愛ください。
けんちゃん総研1966さん
>泣きました。
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これってゴースト記事ですよ