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執筆録


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挑戦する経営者への本気育成塾 第2弾 古川塾 開催します!

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古川隆 執筆本「崖っぷち社長の逆転戦略」を教材として書ききれなかった、

たくさんのケーススタディをもとにお話しします。


第1弾古川塾では定員30名を超えたお申込みをいただきました。

 

夢と目標の実現をとことんサポートします!!
一緒に学んで一緒に成長しましょう!!!

定員:30名限定  残席7

※弟2弾は経営者、管理職、これから独立、起業を目指している方向けの講座となります

日時:弟1回  9月18日(火)19時~
第2回 10月16日(火)19時~
第3回 11月20日(火)19時~

 

◇1度セミナーをして終わり、、、ではなく3回にわけて毎回アンケートをとり、

 疑問や問題点をお聞きして目標達成できるように一緒に勉強していきます
◇その日に参加できない方、動画が視聴できます
◇参加できない方後日補講します
◇参加された方でも補講参加できます

場所:ホテルオークラ福岡
福岡市博多区下川端町3-2
中洲川端駅から徒歩2分

金額:3回で3万円(税込)

主催:福報メディアエージェンシー(FMA)

 

お申込みはこちらから
お待ちしております!!

https://ws.formzu.net/fgen/S1683994/

https://www.facebook.com/events/478078545968158/


あらためて

9月より「古川塾 第二弾」がスタートします。

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私の著書「崖っぷち社長の逆転戦略」を教材に進めていきます。

自社独自の経営戦略の立て方を学んでいただきます。

弊社は、今日から夏期休暇です。

今一度じっくり読み返してみようと思います。


感想をいただきました!

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売りたかったら売り込むな!!

2回も読んでいただいて感激です。

丁寧に感想までいただきました。


ありがとうございます

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TSUTAYAで❗❗

全国第1位いただきました。

ありがとうございます。


著書の注文をいただきました!

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私の著書「崖っぷち社長の逆転戦略」

本日、注文をいただきました。

経営には、「独自の経営戦略」が必要だ!ということで

書いた本です。

経営戦略について書かれた本は多々ありますが、

人真似では成功しません。

独自の戦略を立てなければ、今の時代、あっという間に会社は傾きます。

起業は簡単です。

利益を出し続けるには・・・


著者ですが・・・

毎日毎日、目を通しています。

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19日は、この本を使用して弊社の営業マン向けの勉強会です。

20日は、古川塾です。

毎日、毎日、読んでいます。


執筆中

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休みの日は執筆活動に勤しみます。

ちなみに自宅ではありません。

自宅だとテレビの誘惑に負けてしまいます。


古川塾に向けて

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古川塾に向けて、自分の著書ではありますが

再度、目を通しています。

読むたびに新たな発見があります。


安売りの経営はもうやめましょう!

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挑戦する経営者への本気育成塾 
実践 ランチェスター 古川塾開催します 
2月20日 火曜日  19時~
3月20日 火曜日 19時~
4月17日 火曜日 19時~

「売りたかったら売り込むな」の内容を深く掘り下げ、ケーススタディを交えながらお話します

主催:福報メディアエージェンシー
参加費:3回で3万円
30名様まで

お申し込みは参加ボタン・下記フォームよりご入力ください
お早めに!! 

https://ws.formzu.net/fgen/S6726718/


経営者の方必見です。

本気で成功したい方!

本気で会社を立て直したい方!

これから起業を目指すあなた!

『博多で挑戦する経営者への本気育成塾』を開催します。

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書店の棚に多数並ぶビジネス本。

多くの方が手に取り読まれていることと思います。

では、ビジネス本のとおりに「成功」した方はどれだけいるでしょう・・・

ビジネス本を「読むだけ」では・・・成功は程遠いでしょう。

その証拠に何冊のもビジネス本を手に取っているのでは・・・

 

私の著書「売りたかったら売り込むな!」を読んでいただいた方も・・・

そこで「売りたかったら売り込むな!」の内容を深く、深く掘り下げ

ケーススタディを交えながら本気の経営者育成塾を開催します。

場所:ホテルオークラ
参加費:¥30,000
定員:30名
2018年2月20日(火) 19:00~ 
2018年3月20 日(火) 19:00~
2018年4月17 日(火) 19:00~
申込方法は随時お知らせしていきます。
 
本気度が増してきた方、ご一報ください!
経営者の方々が集まります。多くのビジネスチャンスが生まれることを期待いたします。

感想をいただきました!

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「承認」・・・あなたの仕事がどんな業種かなんて関係ありません。

営業を辞めたいな~と思ったら

相手の話しを聞き、認めてあげる・・・「承認」を実践してみてはいかがでしょう。

必ず、あなたの営業はうまくいき出します!!

■著者 売りたかったら売り込むな はAmazonで

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何度も何度も何度も読んでください!

私はビジネス本を2冊出しています。

講演をさせていただく際にお話していること。

「ビジネス本は最低3回、何度も何度も読んでください。」

本に書いてあることをそのまま真似するだけでは成功はしません。

すり切れるまで何度も読んでいると自分独自の戦略が思い浮かんでくるはずです!

自分のビジネスに置き換えて考えて考えて考え抜きましょう!

「自分独自のエッセンス」これが大切です。

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まっさらな本です。すり切れるまで読んでください。

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どちらの本がボロボロになっているか・・・

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あなたの家の本棚に綺麗なままのビジネス本が眠っていませんか?

もう一度ページをめくってみてはいかがでしょう。


感想をいただきました!

著書の感想をいただきました。

五つ星・・・嬉しいです。

 

「ビジネス本の読み方」

最低3回は読む。

何度も何度も読んで、そのまま真似をするのではなく

自分独自のやり方を考えてみる。

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あなたの机の上のビジネス本、もう一度目を通してみませんか?

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来年は・・・

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先日の一水会で私の2冊の著書・KeyouNoteの内容を中心に卓話をさせていただきました。

ありがたいことに最近、講演依頼が増えています。

来年は今年以上に講演に力を入れていきたいと思います。

現在、ミーティングを重ね講演内容をブラッシュアップ中です。

 

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気になるので・・・

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私の出版本を中洲ゲイツ1FのTSUTAYAに置いていただいています。

30冊納品して現在、残り7冊!!

気になるのでちょくちょく足を運んでいます。

もちろん、残りの冊数を数えて帰ります。

 

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感想をいただきました!

27日・28日の中洲まつりの前夜祭というのでしょうか

26日に中洲はしご酒大会がありました。

私を含め弊社の男性社員も参加してきました。

短い時間ですが3000円で中洲のお店をはしごできます。

もちろん、はしごしたお店では私の著書を宣伝します!

早速、女の子が中洲ゲイツのTSUTAYAで購入をしてくれました。

ありがたいことに感想を送ってくれました。

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ありがとうございます。

 

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NO1を作るための戦略思考

先日、福岡県中小企業同友会りょうちく支部・大分県中小企業同友会日田支部の皆様にむけて講演で

崖っぷち社長の逆転戦略の本の内容を中心に話しをさせていただきました。

真剣に聞いていただき、反対に皆さんの熱気に感動しました。

大手企業には負けていられません!!

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多くの人がビジネス本を購入されると思います。

でも、思う結果がでない・・・そんなあなたに二つのアドバイス。

①最低3回は読みましょう

②そっくりそのまま真似する前に自社用に自分用に「加工」しましょう

自分の会社だったら、自分だったらどうするか考えて考えて実行して、修正して・・・

あなただけ「戦略本」ができるはず。

 

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講演が始まります!

 

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本日は、福岡県中小企業同友会りょうちく支部・大分県中小企業同友会日田支部の皆様にむけて講演をさせていただきます。

「ランチェスター戦略を学ぶ」ということで

私の著書「崖っぷち社長の逆転戦略」の内容を中心にお話をしたいと思います。

 

■地域とともに 地域の為に「福一不動産」
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恐縮です。宣伝をしていただきました。

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髙山順一郎さんにマッサージをしていただきました。

急な時間変更にも対応して駆けつけていただけるので助かります。

今回も弊社の会議室でマッサージです。歳には勝てません。

 

ありがたいことにマッサージだけでなく本の宣伝もしていただきました。

✩✩✩・・・・・✩✩✩・・・・・✩✩✩・・・・・✩✩✩・・・・・✩✩✩✩✩

 

昨日は定期的に身体のメンテナンスを任せて頂いてる、福一不動産の古川社長にマッサージを受けて頂きました。

オフィスにも携帯ベッドを持参して、マッサージさせて頂きます。

①時間を有効活用できる
②どこにいても本格的なマッサージを受けれる

という理由から、とても喜んで頂けてます。ご縁に感謝です。

古川社長は宮崎出身でありながら、中洲という地元に密着した地域で長年実績を残されている方です。

人としても魅力的な為、毎回お話に吸い込まれてしまいます。

「高山さん、りんごの実が熟して落ちるのと同じで、良いアイデアというのも熟すまで考え続けることが大事ですよ。そうするといつか腑に落ちるときがきますから。」

というお話を普通にしてくださるだけでなく、私が難しいと思っていたことでも

「それは簡単ですよ」

の一言で見事に固定概念をぶち壊して頂けます。

その時は衝撃で一瞬フリーズしましたが(笑)、実際言われた通りやってみると、すぐに結果が出た為、更に驚きです


中洲のKINGです!!

先日から、ゲイツ1階のTSUTAYAさんにて「売りたかった売り込むな」を販売していただいてます。
好評につき、棚に2冊並べて置いて頂き、ポップも書いてもらいました。
ありがとうございます。

■著者 売りたかったら売り込むな
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「中洲のKING」・・・恥ずかしながら、わたくし古川隆です(笑)

このようなポップが売上UPの秘訣なんですね。


目から耳から

執筆本「崖っぷち社長の逆転戦略」の朗読CDを有限会社アクターズ浜本昭義さんに作成していただきました。
浜本さんは、ランチェスター経営さんが出されているCDの声の方で、私は20年前からこの声に経営を教えてもらいました。
そういった意味では、この声に経営者として育てていただいた、といっても過言ではありません。
朗読CDは4枚で3,000円にて販売します。
お求めになりたい方は、092-291-2103福一不動産までお電話ください。

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■著者 売りたかったら売り込むな
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売りたかったら、売り込むな!!

有限会社 内川建設の内川聖司社長が再来社。

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手には「売りたかったら、売り込むな」本。

内川社長のお名前とサインをさせていただきました。

嬉しいあまり、手が震えました。

 

■著者 売りたかったら売り込むな
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■著者 崖っぷち社長の逆転戦略
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■地域とともに 地域の為に「福一不動産」
http://www.2912103.co.jp/
■古川開発のA5サイズシステム手帳型リフィルノート
keyou note
https://www.facebook.com/keyounote/
■営業顧客管理クラウドソフト「5count」
https://www.facebook.com/5count.system/
■中洲のお店掲載サイト
e中洲.com」(いーなかすどっとこむ)
http://www.enakasu.com/
■15年毎月開催しているビジネス交流会
福岡の講演会なら「博多経友会」
http://hakata2002.com/


TSUTAYA中洲gate's店へ

TSUTAYA中洲gate's店にお伺いしました。

実は、来週から執筆本「売りたかったら売り込むな」を

頭に置いていただくことになりました。

まだ、お読みでない方はこちらへ行かれてください。

宜しくお願いしたいます。

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写真の方は、統括マネージャーの坪井さんです。

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福岡の講演会なら「博多経友会」
http://hakata2002.com/
https://www.facebook.com/hakata2002/

 

 

 


「うりたかったら、売り込むな!」

先日、4年前に出版しました「うりたかったら、売り込むな!」が、

小倉駅新幹線改札を入った構内の書店さんに

2冊置いてあるのを発見!

思わず、1冊購入しました。

以前からずーっと長い間、置いて頂いてます。

感謝です。

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執筆活動頑張ってます><

昨日は執筆活動でホテルに詰めていました。

外はいいお天気でしたが、私はひとり

パソコンと向き合ったり、ジムに行ったり><

今日も暑いですね><

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あなたの探している店舗がきっと見つかる
店舗物件検索サイト
『居抜王(イヌキング)』
↓   ↓   ↓

 

居抜王バナー.jpg


執筆活動中・・・

今日は何もなく、執筆活動中です。

ゆっくり時間が流れていきます・・・。

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執筆活動中・・・

先週からまたまた執筆活動をしております。

ちょっと煮詰まっております。

たまに風景を見て気晴らししながら頑張ります!

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執筆活動しました。

先週土日の2日間は、執筆活動しました。

唐津の方に出かけたんですが、

大雪予想は全く当たらず良い天気に恵まれました。

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本日からAmazonキャンペーン始まります!!

本日から、Amazonキャンペーンです。

皆さん、よろしくお願いします。

私の2冊目の著作本『売りたかったら、売り込むな!

~小さな会社 社長の営業』が出ました。

そこで本書の発売を記念して、Amazonキャンペーンを行うことになりました。

キャンペーンの内容は以下の通りです。

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◆『売りたかったら、売り込むな!~小さな会社 社長の営業』

発売記念Amazonキャンペーン

リストラされ、カネなし、コネなしの「ないないづくし」のなかで始めた不動産仲介会社が、

... なぜ、福岡・博多の中洲でシェア1位になるまで成長したのか。

驚きの営業手法と戦略をまとめた、

古川隆著『売りたかったら、売り込むな! ~小さな会社 社長の営業』の発売を記念し、

Amazonキャンペーンを行います。

◆キャンペーン期間 6月18日(火)0:00~6月19日(水)23:59 上記期間中に、

『売りたかったら、売り込むな!』を Amazon.co.jpにて1冊以上購入して、

特設ページからお申込みいただいた方に、 参加者限定セミナー音声をプレゼント!

◆キャンペーン特設ページ http://office-oishi.com/pc/

ふだんクローズドな場でしか話されない、 売り込まないで売るためのノウハウを収録した、

本音満載の参加者限定セミナー音声が特典です。

売り込まなくても売れる営業について、 より具体的に語った特典音声を入手できるのは

この2日間の機会だけ。

皆様の、ご参加をお待ちしています。

◆キャンペーン特設ページ http://office-oishi.com/pc/

また、よろしければ、このキャンペーンの情報を 多くの方にお知らせいただければうれしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


執筆本2冊目販売決定!

執筆本2冊目「売りたかったら、売り込むな!」

〜小さな会社 社長の営業〜(あさ出版)が

6月上旬に販売決定!


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皆さんご期待下さい。

出版パーティーも前回同様、予定しています。


執筆本「崖っぷち社長の逆転戦略」は、まだ本屋さんで売っています

 

私の執筆本「崖っぷち社長の逆転戦略」が、中洲のゲイツ1階の
ツタ
ヤさんの棚に置いてありました!!嬉しい!!


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中洲ではまだまだ売れてマース!
ツタヤさんに感謝です。

置いてある本は、2冊残して買いました。
出版社に、追加分を発注しておきす。

10月 執筆本の販売状況報告

福岡市内の配本状況と売れ行きです。

[10/31までの市内書店売り上げ状況]
ジュンク堂福岡店             6冊販売(18冊納品)
福家書店天神コア店           2冊販売(20冊納品)
福家書店キャナルシティ店        8冊販売(20冊納品)
福岡金文堂本店(新天町)        3冊販売(6冊納品)
サンセルコ金修堂(ニューオータニ横) 0冊販売(8冊納品)
ツタヤ福岡天神店(国体道路沿い)   0冊販売(3冊納品)

これ以外の書店のデータは取れませんでした。
まだ、お読みでない方は、上記の書店でご購入頂けると
幸いです。


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※写真は、サンセルコ金文堂、TSUTAYA天神(国体道路)、
福家書店(天神コア)置いてある本の状況です。

ちなみに、私個人は10月1ヶ月で143冊、福一の社員全員で
90冊、合計233冊販売させて頂きました。ご購入頂きました
皆様ありがとうございました!11月も、よろしくお願い致します。

最近起業した社長さん、今から起業する方、不動産屋さんや
保険会社の方がいらっしゃいましたら、ご紹介下さい。
 

執筆本増刷!

私の執筆本「崖っぷち社長の逆転戦略」の増刷が
決定しました!多くの方に購入頂き、また読んで
頂いたからこその増刷です!


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心から感謝致します!
これからも地道に販売していきますので、よろしく
お願い致します。ありがとうございました!
 

愛知県宅建協会にて講演

10月25日、愛知県宅建協会の不動産実務
セミナーにて講演をさせて頂きました。


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場所は、名古屋駅のすぐ近くにあるウインク
あいちでした。参加者は77名。


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演題は「小さな会社が生き残る秘訣!究極の
地域戦略で地域NO1へ!」

宅建協会なので、参加者は皆さん不動産
会社さんです。今まで講演はしてきましたが
同業者ばかりで、かつ宅建協会では初めてでした。

しかし、無名の私を名古屋まで呼んで頂ける
だけでも嬉しいことです。

不動産業者での共通用語を使いながら、今までとは
少し違った内容の話になったかもしれませんが、
精一杯させて頂きました。何かお役に立てば幸いです。


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愛知宅建協会の役員の皆様、また宮地さんをはじめ
職員の皆様、ありがとうございました。
本もたくさん売ることができました。感謝申し上げます。
 


執筆本1,260円がアマゾンで...

不思議な現象ですが、「崖っぷち社長の逆転戦略」を
検索すると在庫品切れで、中古品を見ると2,955円の
価格で販売されていました。


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アマゾン内に在庫がないために起こった現象ですが、
びっくりです!

なるべく早く仕入れてほしいものです。
 

執筆本、書店で平積みしてくれてます。

私の執筆本ですが、写真の通り金文堂本店(新天町)と
福家書店天神店(天神コア地下1階)に、平積で置いて
くれていました!


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嬉しいことです!
 


執筆本が書店に!

私執筆の書籍「崖っぷち社長の逆転戦略」が
市内及び全国の有名書店に並びました。


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写真は、中洲ゲイツ1階にあるTSUTAYAの店内に
陳列されているところです。
ポップも付けて頂き、ちゃんとPRしてくれています!
嬉しいことです!他にも、下記書店にて販売されて
います。よろしくお願いします。


販売店舗

博多区
紀伊國屋書店 福岡本店、あおい書店 博多本店
丸善 博多店、福家書店 キャナルシティ博多店
蔦屋中洲店、ブックセンターほんだ

中央区
ジュンク堂福岡店、福家書店 福岡店、蔦屋福岡天神
福岡金文堂 本店、書斎りーぶる、サンセルコ金修堂書店

早良区
リブロ西新店

西区
福岡金文堂 姪浜南店、福家書店 木の葉モール橋本店

南区
福岡金文堂 大橋店

粕屋郡
明林堂書店 イオン福岡東店

粕屋町
ブックイン金進堂長者原店

久留米市
紀伊國屋書店  久留米店、菊竹金文堂六ツ門店

朝倉市
明林堂書店 甘木店

柳川市
明林堂書店 柳川南店

筑後市
アニマート  筑後

古賀市
サンリブ古賀金修堂

宗像市
福岡金文堂 ゆめタウン宗像店

遠賀町
SーPAL遠賀白石書店、ゆめタウン遠賀白石書店

飯塚市
ブックス紀乃国屋

田川市
BooK WorM川宮店

行橋市
福岡金文堂 行橋店

門司区
金山堂書店

若松区
SーPAL若松白石書店、くまざわ書店 若松店

小倉北区
喜久屋書店 小倉店、くまざわ書店 小倉店

小倉南区
いけだ書店 西友小倉店、ACADEMIAサンリブ小倉店
明屋書店 小倉沼新町店、明林堂書店 イオン徳力店

八幡西区
白石書店 本店、白石書店 駅前店、明林堂書店 三ヶ森店
 

感動のハガキ

先日頂いたハガキに、心から感動しましたので、
皆さんへ紹介したいと思います。

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笑顔で私のサインを見えるように見せて
自分(佐治さん)の営業エリアをバックに
本の副タイトル(半径500mからの挑戦)に
対してのアピール。

そして「私の教科書とさせて頂きます。」という
コメントに、心から感動しました!

農家の家専門店「木造住宅株式会社」の
佐治徹雄社長、ありがとございます!
 

出版記念祝賀会 会場写真

9月27日18時30分より、グランドハイアット福岡にて
「崖っぷち社長の逆転戦略」出版記念祝賀会が
ありました。

写真のデータが上がってきましたので、ブログにも
アップさせて頂きます。


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「崖っぷち社長の逆転戦略」出版記念祝賀会

9月27日18時30分より、グランドハイアット福岡にて
「崖っぷち社長の逆転戦略」出版記念祝賀会が
ありました。


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参加者は230名ほどで、とてもたくさんの方に、
お越し頂きました。

発起人を代表して、ランチェスター経営株式会社の
竹田陽一先生より、本を書くことについてのお話があり、
株式会社ふくや 川原正孝社長
株式会社やずや 矢頭美世子会長
博多総鎮守 阿部憲之介宮司
と、ご祝辞を頂きました。

私は、なんで本を書くようになったかと、将来の夢を
皆さんにお話しさせて頂きました。

その後、鏡割りのあと乾杯。乾杯のあいさつは、
吉塚うなぎ屋本店の徳安憲一社長より頂きました。


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歓談中も各テーブルを回り、皆さんへごあいさつしました。


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最後の締めは、石村万盛堂の石村僐悟社長にお話し
頂きました。

本当にたくさんの方にお越し頂き、なんて幸せ
なんだろうと、心から思い感謝しました。


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ありがとうございました!
 

出版最初の仕事

友人で、もう10年以上前から親しくしてくれている
下田洋二さん(サクセスパワー福岡)が9月22日、
納品されたばかりの私の執筆本を買いに来られ
ました。


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サインをと言われて、恥ずかしながら書かせて
頂きました。これが、著者として最初の仕事でした。
下田さんありがとうございました!
 


私の本が出来ました!!

9月22日、私の執筆本「崖っぷち社長の逆転戦略」が
完成し、事務所に送ってきました。この本は、私が
独立して現在に至るまでを書いた本です。

独立は平成7年11月。
最初は何もわからず、ハイエナのような営業活動をし、
生計を立てていたて私です。独立2年後より経営の勉強し、
目標を定めて経営計画書を書き、営業地域を絞り込み、
15年で社員15人、売り上げ1億円を超える会社になりました。

勉強した結果、営業エリアを歴史ある商人の町「博多」に
絞りこみました。宮崎県出身の私。最初は四面楚歌状況
でした。それから、地域の活動へ入り込み、少しずつ
地域の方々へ認知頂き、お持ちの不動産を任せて頂く
ようになっていきました。

その経験をわかりやすく、より具体的な内容にし、本に
しました。ぜひ、ご覧下さい。1冊1260円です。

ご購入は、福一不動産(電話092-291-2103)まで
お越しください。

また、ご郵送をご希望の方は、出版社(花乱社092-781-7550
FAX092-781-7555)までご連絡ください。

一般発売は、10月5日から開始されます。
また、2~3日後はアマゾンでも購入できます。


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私は全部で1200冊を注文しています。
たくさんありますので、ぜひ、福一不動産へお越しください。
 

私の本がほぼ完成しました!

私が、2年間かかってやっとに書き上げた本が
完成しました。


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タイトルは「(仮称)小さな会社の成功法則」です。
このタイトルは、どうしてもしっくりこないので、今
考え中です。

どうしようもない私が、何とか地道に15年やって
ここまで来た!と言う気持ちを伝える題名にしたいと
思ってます。

現在、どんなタイトルがいいか頭を悩ませています。
良いタイトルが浮かんだ方は教えてください。
よろしくお願い致します。


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内容は、私が独立し孤軍奮闘した時代から、
ランチェスターを学び、戦略を立て地道な地域
活動により、地域に根付いて行ったことなどを、
細かく書いています。

経営は誰も教えてくれません。
何かのヒントになれば幸いです。

9月上旬には完成する予定です。
発売開始になりましたら、必ずお知らせします。
1冊1,260円です。

出版パーティは、9月27日に行う予定です。
販売した時は、ぜひアマゾン等で購入して下さい。
 

宇美青年部はパワフルな方達の集まりでした。

7月7日19時30分より宇美商工会青年部講演会に、
講師として招かれました。


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演題は「地域NO.1への挑戦」

宇美商工会青年部は40歳定年の若い集まり。
元気にあふれ、楽しい方ばかりでした。

参加者は23名。私のつたない話を真剣に聞いて
くれました。起業家が5名。後は後継者。
宇美町を活性化したい気持ちは熱い!


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講演終了後、懇親会にて皆さんと談話。
びっくりしたことがありました。
青年会部長の山上和之さんは、私のブログを
隅々まで読んで下さっていました!
ブログにて、情報収集済み。それも、詳しく知って
いるんです。講演を何回かしましたが、これほど
キチンと読んで下さっているとは…!

そんな青年部の皆さんなので、懇親会では熱く熱く
語っていました!

私も感謝感激!!

講師に呼んで頂いたのに、私が一番勉強になった
かもしれません!


PDCAの繰り返しが最高の改善策 後編

私の会社でも、もちろん「PDCA」を行っている。
「PDCA」という言葉が、社員の口癖になっている。
会社内でも「PDCA」は何回でも繰り返すように
言っている。新しい商品を作り市場に出し、利用者に
確認する。問題点は改善をする。その改善の計画を
立てる。こうやって「PDCA」を2回、3回と
限りなく続けるのだ。

その成果は著しいものがある。成長しているところには
そのノウハウがたくさんあり、社員全員がそうする事で、
体に染みついている。


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私達もそれを学び、日々「PDCA」をやらなければ
成長しない。社員から課題が出されると、皆で計画→
実行→確認→改善する。使ってみて問題点を見つける。
改善し、また使う。そして改善点がでてくると、改良を
加え、また使ってみる。といった具合だ。

私の経験からいうと、どんな課題も「PDCA」を
5回ぐらい繰り返すと、そこそこのものが出来上がる。
これは、良い結果になったと思えるのが5回目。
逆に、最初の「PDCA」で完璧なものを作ろうと
考えてしまうと、計画段階で嫌になり、2回目の
「PDCA」まで至らないことがある。私もあまりに
考えすぎて、その事が嫌になることがよくある。
そうすると、棚上げし「PDCA」をする前に諦めて
しまう。1回目(計画)は深く考えるよりも、とりあえず
行ってみて(実行)、それからいろいろな点を示唆
(確認)し、作り変えなければならない点を見つける
(改善)。それでよいと思う。良いものが完成するまでは、
何回も何回も「PDCA」をする。その癖をつければ、
あまり考えこまなくても良い。「PDCA」は繰り返す
ことに本当の意味がある。思いこまず、「PDCA」を
繰り返してほしい。


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まとめ
「PDCA」は繰り返すことが重要。良いものを作ろうと
考えず、とりあえず未完成なものであっても実行し、
それから改善点を見つけることがポイント。1回目で
良いものを作ろうとは考えないことだ。

PDCAの繰り返しが最高の改善策 前編

PはPLAY=計画する。
DはDO=行動する。
CはCHECK=確認する。
AはACTION=改善する。

この4つを「PDCA」という。意味を理解できる
だろうか。仕事や仕組みを考える時、この手法を
私はよく使う。これを図にすると左記のようになる。
どんな仕事も、計画→実行→確認→改善という
流れで行うはずだ。


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新しいビジネスを始めようとしても、同じことを
する。業務の改善をするときも同じ。しかし、
成長企業はこれからが違う。この「PDCA」を
1回では終わらせない。2回、3回と何度も繰り返す。
このことが大切なのだ。

私達の周りにある商品もその「PDCA」を繰り
返しているものが多いのではないだろうか。私が
今、使っているパソコンも10年前のものと比べると、
現行のソフトウエアの内容や機能レベルは違う。
10年前のパソコンは化石ではないかというぐらい
改善されている。3年前のものでも、違いは明らかに
わかる。その違いは何なのだろう?と考えてみる。
パソコンメーカーやソフトウエア開発会社も
「PDCA」を何回も何回も行っていることがわかる。
その結果、パソコンの場合は、使いやすさや
機能性の改善が至るところに現れているのだと思う。

携帯電話も「PDCA」の繰り返しを続けた成果では
ないだろうか。電話線無しで、どこでも持ってまわれる
ようになっただけでも凄い。最初に出た携帯電話は、
弁当箱程度の大きさで、現在のサイズとは全く違い、
かなり重かった。電池は90分しかもたなかった。
いつの間にか小さくなった。電池も長持ちするように
なり、ディスプレイは白黒からカラーになり、
よく繋がるようになった。今ではメールができ、
誰でも持っている。テレビも見ることもできる。
誰もが使いやすいものになった。華々しい進化を
遂げている。


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この成果を上げたのは、携帯電話会社が懲りずに
行った「PDCA」なのだ!


強い会社の社員づくりとは 後編

のブログは、「強い会社の社員づくりとは 後編」の
続きになります。

「できるだろう」「やってくれるだろう」
「わかるだろう」「そのうち」という考えは
捨てて、右記の様な思いで接することだ。
社員教育に悩んでいる社長はたくさんいる。
思ったようには、人は育たない。「だろう」で
教育していては、違う方向へ進みがち。
「やって見せる」「やらせて見せる」「いつも
誉める」「随時、承認する」「理解できるように
伝える」「叱る」でやることだ。「やって見せる」
「やらせて見せる」「いつも誉める」「いつも
承認する」「理解できるように伝える」「叱る」も
本人が心から成長しようと思った時でないと、
教えたことを吸収し自分のものにはしない。
成長したいと自分から思うまでは待つことも大切。
「諦めず」という忍耐も必要になる。


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「やって見せる」「やらせて見せる」「いつも
誉める」「随時、承認する」「理解できるように
伝える」「叱る」を「諦めず」に続けていると、
ある時、社員の心が「ポン!」と音を立てて
変化する。「社員自身が自分から変化する時」が
来る。それまで「諦めず」にやってきた努力が実る。
実った時は、大きいものを会社が得る。そのように
育った社員は、会社の宝なのだ。「人を残すは上」
盤石で世の中のためになくてはならない会社に
なっていくだろう。

まとめ
人を育てるのは、根気が必要で諦めないこと。
社員が自分から気づき変化した時に大きな
喜びがある。


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強い会社の社員づくりとは
「やって見せる」
「やらせて見せる」
「いつも誉める」
「随時、承認する」
「理解できるように伝える」
「叱る」を「諦めず」にすること


強い会社の社員づくりとは 前編

成長企業の社長の講演を聞くと、どの社長も
「人材が一番の財産」と言う。お客様に支持され、
選んでもらわなければ会社は成り立たない。
そのお客様といつも接している社員を大切に
しなければ、お客様を大切にするはずがない。
社員を大切にしない会社の発展は無いと言う。

人を大事にしない会社は、ある一定の間は成長し、
利益も残すだろう。しかし、長年に渡り盤石なのは
難しい。社員を大切に、社員を一番に考え、強い
会社を作っている。


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先日、上場している不動産会社社長の講演を聞いた。
一昨年のリーマンショックで会社の業績が落ち、
存続も危ない状況に陥った。しかし、社長は社員全員に
リストラはしない。と明言した。「このような時こそ、
社員の力が必要。皆の力で、会社を立て直そう。」と
言ったのだ。そして、リーマンショックの大きな打撃を
受けながらも、全員で会社を立て直した。この話こそ
「人材が一番の財産」と言えるものだろう。

香酢の「やずや」さんは「名を残すは下。金を残すは中。
人を残すは上。感動を残すは最上」と社是で謳っている。
社長が名を残してくれていても、後に残った人たちの
ためにはならない。有名だったのだ。と言う事だけは
残るかもしれないが。

私も常々、社員を育て素晴らしい人材にしていかな
ければ、盤石には成り得ないと考えてしる。しかし、
なかなか素晴らしい人材は育たない。このことを
考えると「自分には能力がないのではないのか。」と
思い、悩んでしまう程。思った以上に人を育てるのは
難しい。けれども、社員が当社のような小さな会社を
大きくしていこう。自分の大切な会社なのだからと、
思ってくれることが一番なのだ。


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「人を残すのが上。」優秀な社員がいる会社であれば
あるほど、業績もいい。人材はお金では買えない。
それも、同業他社から優秀な社員を連れてきても、
長年に渡り愛社精神が強い社員とは想いが違う。会社の
ことを一番に考え、持っている力を存分に投じてくれる
社員を育て、盤石な会社にしていきたいものだ。社長は
「社員の期待を裏切ってはならない。」という想いを
いつも心に持っておくこと。

そのためには、「やって見せる」「やらせて見せる」
「いつも誉める」「諦めない」「随時、承認する」
「理解できるように伝える」「叱る」「社員本人自身が
自分から変化するのを待つ」ことが必要だろう。


盤石な会社をめざして 後編

このブログは、「盤石な会社をめざして 後編」
続きになります。

香酢の「やずや」さんの例を挙げよう。お客様から
電話があると、話した会話を必ず記録している。
そして、次に電話があったとき、その話題を元に
会話をはずませる。そうすることにより、お客様の
事をよく知っている健康食品会社という認識が
上がり、商品も売れるようになるという、独自の
販売方法をとっている。

直接販売することも同じだ。通販会社の話だが、
販売員へ半値で卸し、定価で売ってもらう。商品を
売っている競合、他社がなかった頃は定価で販売
できたが、同じような商品を競合が出してくると、
定価の半額をリベートとして取っていた販売員が、
そのリベートを少なくしてでも売りだす。そうすると、
定価が定価でなくなる。金額が売る人によって違うと、
その商品の信用も落ちる。よって、売れなくなってくる。
代理店制度や問屋制度も販売ルートの確保には
よいのだが、販売価格が安定しないような状態を
招くぐらいなら、直接ユーザーへ販売した方がまし。
価格の安定が、商品の信用度を増すのだ。よって、
直接販売することは、変化が激しい現代は盤石な
会社の条件なのだ。


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当社もその3つの条件を目指し、日々社員と努力
している。歓楽街の店舗をメインに、不動産会社の
商品では、あまり手掛けないものを扱っている。
お客様にできる限りキチンと対応できるように、
狭い地域だけをターゲットにしている。信用を
一番に、地域行事に社員と率先して参加し、
お客様のご繁盛を応援する。そのための講演会や
勉強会を開催。インターネットでも、お客様に
ご来店して頂けるように紹介をしている。

また、ほとんどのお客様が直接当社へご来店
頂いている。不動産会社が間に入ることは、
ほとんどない。まだまだ小さい会社だが、
1.どこもやらない商品を
2.どこもやらない営業方法で
3.直接販売する
という、3つの条件の枠を外れないように、
これからもやっていくことが一番だと考えている。


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まとめ
どこもやらない商品を、どこもやらない営業方法で
直接販売すること。それが盤石な会社の条件なのだ!
 


盤石な会社をめざして 前編

会社を経営して15年になる。今では、たくさんの
社長と親しくさせてもらっている。急成長している
会社の社長や、資産もあり簡単には潰れない会社の
社長、毎年大変そうな会社の社長など、たくさんの
方にお会いしてきた。


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多くの社長に経営方針などを聞き、自社に役立てて
きた。そのことを踏まえ、盤石な会社づくりとして、
不変の法則がある。それは

1.どこもやらない商品を
2.どこもやらない営業方法で
3.直接販売すること

商品は他がやらないものか、独自開発の商品。
誰でも売っている商品はダメなのだ。どこでも販売
している商品を扱っていて、失敗した例がある。
牛乳を各家庭へ配達する仕事。地道な仕事であり、
地域に密着し、顧客との対面営業で、売り上げを
伸ばしていた。お客様一人ひとりと密接な関係を
築き上げ、顧客が減ることはなく、地域を拡大して
いけば、必ずといってよいほど成長していた。
毎日、お客様の自宅まで牛乳を届ける。サービスの
レベルを上げていくことで、大きな支持をお客様から
もらっていた。

私はその社長の講演をお聞きした時「素晴らしい
地域戦略だ!」と感動した。しかし、その牛乳を
製造していたメーカーがある時、倒産してしまったのだ。
その配達業者の牛乳は、自社開発したものでは
なかったのだ。顧客と密接な関係を作り、成長していた
会社も、商品を仕入れることができなければどうしようも
ない。この時、商品は自社で作っておかなければ、
このようなことが起きる。経営とはなんと難しいもの
なのかと、心から思った。いくらお客様と密接な関係を
とっていても、他社が開発した商品を扱っていては、
商品を仕入れる事ができなくなった時点で、お客様へ
迷惑をかけてしまう。商品も自社で開発し、どこも
扱っていないものにしなければ、盤石な会社には
なりえないのだと、痛感した。


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販売方法も同じ。どこでもやっている方法では、利益を
残せない。お客様に選んで頂かなければどうしようもない。
買う側に100%決済権があり、売る側の決済権は0%。
「当社から買わないと罰が当たりますよ!」と言って売る
ことは絶対にできない。よって、どこもやらない販売方法で、
お客様に支持して頂く以外には方法がないのだ。

接近戦、一騎打ち戦やってわかったこと 後編

このブログは、接近戦、一騎打ち戦やってわかったこと 前編
続きになります。

「それではどちらのほうが効果あるのだろうか?」
金額を考えなければ、断然テレビ、ラジオ、新聞や
雑誌だろうと考える。何しろたくさんの人達に伝わる。
しかし、空中戦(テレビ、ラジオ、新聞)は福岡
県内とか九州とか、全国などの広範囲で、莫大な
費用がかかる。そんなことをしていては、即倒産。
倒産しないためにもテリトリーを決め、狭い範囲で
広告していかないと、会社が継続しない。

テレビやラジオに「自社のテリトリーだけでよいので、
そこだけ放送してください。」と言って範囲指定で、
広告料も安ければそれもよいだろう。しかし、一番狭い
放送圏内や配布範囲でも県単位なのだ。無料ならば話は
別だが、県単位であれば、高額なのは当たり前。更に、
どこでも商品が買えるわけではないので、100km先の
ところで購入したいと言われても売ることが難しい。
それに比べて、日清のカップラーメンは腐らないし、
コンビニやスーパーのどこでも売っていて、入手しやすい。
日清のような全国規模、または県内にたくさん支店の
ある会社、それらはいわゆる強者であり、空中戦
(テレビ、ラジオ、新聞)は、私達、番外弱者がしては
ならない手段なのだ。


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逆に狭い範囲を指定でき、宣伝広告費が安い広告
媒体なのが、看板やのぼり、チラシ。不動産であれば、
物件に付ける入居者募集看板はそこに来た人しか
見ることができない。その地域の人しか利用しないので
あれば、それでOK。広範囲に広告する必要はない。
不動産ではない業種でも範囲は必要だろう。なので、
私が地域を限定してから行った戦略は、接近戦と
一騎打ち戦ばかりだった。チラシの折り込みと看板と
のぼり。

チラシは日々掲載内容が変わり、すぐ作成できなければ
ならない。そのためには自社で印刷機を購入する必要が
ある。印刷機であれば、少ない枚数でもできるので
印刷会社には頼まず、印刷機を購入して作成する。
原稿は自社で作り、印刷し、自社で配る。定期的なチラシは、
新聞折り込みが4200部、手配りが1000部の合計5200部と
決まっている。看板は物件紹介看板を会社事務所の前と
中洲内の管理物件の前4か所に設置。また、物件自体に貼る
入居者募集やテナント募集看板は、空室のある物件の
オーナーへ相談し、了承をもらって、わかりやすいところに
貼る。といった徹底ぶり。のぼりも同じ。オーナーに了承して
もらい、立てていく。このような活動(接近戦と一騎打ち戦)
を続けてやってきた。


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それを続け、得たものはたくさんある。中洲内にはテナント
ビルが約100棟ある。現在では、その中で福一不動産の
テナント募集看板が付いているビルは30棟。100棟中
30棟なのだが、中洲を歩いていると当社の看板を3棟に
1つは見ることになるので、近隣の人達は福一不動産が
たくさんの物件を中洲では預かっていると思って
もらえるようになった。

そして、中洲へ出勤する人も、中洲に飲みに来る人も看板が
目に入る。福一不動産が中洲では一番と思ってもらえるように
なった。逆に、中洲に来ない人は全く知らないはずだ。しかし、
当社を利用してもらう人は中洲に関わりあいがある人なのだ。
それでよいことが分かった。「地域で一番なのだ。」と利用者に
思ってもらうことが最重要。そのためには、接近戦と一騎打ち戦
でよいのだ。

まとめ
番外弱者は間違っても空中戦はしてはならない。地域を決め、
接近戦、一騎打ち戦に徹し、地域で一番を目指すこと。


接近戦、一騎打ち戦やってわかったこと 前編

中洲にテリトリーを決めて最初にしたことは、接近戦と
一騎打ち戦。ランチェスター経営の竹田先生が言う。
「弱者は接近戦と一騎打ち戦しかやってはいけない。
間違っても間隔戦や空中戦はしてはいけない。間隔戦や
空中戦は強者のやること」と、起業して間もない頃、
購入したランチェスター経営のテープが何回も言っていた。

○接近戦
接近戦とは、正に字のごとく。遠いお客様には目もくれず、
近くのお客様を対象に仕事をする。遠くのお客様が高額の
仕事であっても移動時間の無駄と万が一、トラブル事が
起こった場合、即対処ができない。お客様が一番困って
いる時に対処ができないのであれば、自社の存在もあって
ないようなもの。できない事はお客様へご迷惑をかける事に
なる。しいては信用がなくなる事になる。仕事は継続して
行うことが大切。売って終わりの会社もたくさんある。
売った後は知らない。そのような商売では、いつまで経っても
信用がつかず、お客様は永続しない。また、紹介のお客様も
出てこない。大切なのは目の前の売上よりも、継続して
お客様とお付き合いすること。お客様を大事にするためには、
即お伺いができなければ意味がない。近くなくてはならない
のだ。ランチェスターのテープはそう私に言っていた。その
教えにのっとって、今も私は経営を続けている。


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現在もそのポリシーは変わらないので、お客様からクレームの
連絡があれば、即お伺いしている。私達ができる限りの事を
している。お客様は近隣のみなので、連絡があればいつでも
すぐに駆けつけることができる。福一不動産では社員全員へ
自転車を支給している。その自転車を使えば、どのお客様へも
5分で行ける。すぐさま対応できる環境である。お客様へ早急に
対応できるように心がけている。

最近ではありがいことに、いろいろな方から地域を問わず、
所有物件のことで依頼がある。しかし、社員へ「中洲または
中洲周辺を自社地域にすることを説明し、それがお客様へ
迷惑をかけないことなのだ。」と話している。私より社員の
ほうがテリトリー意識が強く、お客様へご迷惑をお掛け
しそうであればお断りするケースが多々ある。

また、いろいろなところで当社の地域戦略について話している。
お客様の方から依頼の電話がある時「福一さんのテリトリーでは
ないよね。」という質問がある。今ではお客様も福一不動産の
地域戦略について詳しくなっている。利益を上げ、信用してもらい、
盤石な会社を作っていきたいと思うのであれば、地域、客層を決め、
接近戦で行うべきだ。

「御社の得意分野は?」と聞かれて「何でもやります。」と答える
会社は多い。しかしそれは、戦略が決まっていないことと同じ。
お客様に支持され、いつも利用してもらうことを一番の目的と
考えるのであれば、接近戦で攻め、狭い範囲でも「その範囲だけの
方達をお客様に限定して業務しています。」という方が信頼される。
継続して利用してもらえるのだ。


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○一騎打ち戦
戦争で説明すると、刀や槍で戦うこと。空中線は鉄砲や大砲、
飛行機で戦うことと、ランチェスターから教えてもらった。
わかりやすく例を使って説明しよう。

○広告媒体を使った例
広告媒体のテレビやラジオ、雑誌や新聞は空中戦。看板やチラシ、
のぼりは一騎打ち戦。看板やチラシ、のぼりは、その場所に来た
人にしかわからない。看板は、看板のある場所に行かないと
見られない。のぼりものぼりのある場所に行くと見ることはできる。
チラシはその地域にしか配らない。結局は、折り込みしたエリアや
手配りした場所しか見てもらえない。

それに比べて、テレビやラジオは広いエリアに流れている。誰でも
見ることや聞くことができる。テレビやラジオがあれば、どこでも
見ることや聞くことができる。広告する先の指定は広く、福岡県内
とか九州とか全国などで、とても広範囲。このような不特定多数を
対象に広範囲で広告を打つやり方は、ランチェスターでいう空中戦
なのだ。


報告、連絡、確認、相談 後編

~仕事ができるかどうかはこれで決まる~

このブログは、報告、連絡、確認、相談 前編の続きに
なります。

もうひとつ「報告、連絡、確認、相談」でお教えしたい
内容がある。いろんなところでコーチング研修の講師を
している山内美智さん。生徒さんに「報連相」について
教えている。その研修で伝えているのが「中間報告」。
どうしても業務が終了しないと、「報連相」はしなくて
よいと思ってしまう。私もそれを忘れて社員に指摘される。
特に、社長である私が担当する仕事は重要な事が多いので、
社員からしてみれば「中間報告」を逐一してほしいものだ。

山内さんは全く業務が進まなくても、少しだけ進んだだけ
でも、進歩状況を報告するべきだと言う。担当者は業務が
進歩してないので中間報告は必要ないと思ってしまう。
もちろん、会社側や上司側は「中間報告」が必要であるか
ないかを先に伝えておく必要はある。現場は担当者。進歩が
なくても、3日で終わる業務が、3日過ぎても進歩しない。
進歩しない旨を伝えると、お客様や上司、会社は
「どうなっているのか?」という疑問が「そうなのだ!」に
変わる。


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逆に中間報告をしていないと「どうなっているのだ!」と
連絡がお客様から入る。「進歩していないのですよ。」と
伝えたら、ほとんどのお客様が「それならそれで報告して
くれないと!」と言って、機嫌が悪くなる。業務が遅れて
いるのは、取引先の不手際でもお客様はそうは思って
くれない。それどころか「中間報告」をしてないことで
信用が落ちてしまう。「報告、連絡、確認、相談」をした
方が良いとだけわかっていても、それを行うタイミングや
シチュエーションによって、いろいろなことが起こる。

「報告、連絡、確認、相談」を伝えるツールとして、電話や
メール、報告書のような紙媒体がある。会って伝えるのが
一番伝わりやすい。言葉で表現でき、表情などや手振りで
ニュアンスも伝わりやすい。しかし、時間を取ってもらい、
会いに行かなければならないというマイナス点はある。
電話で伝えるのもいい。言葉で伝えることで、字にして
伝えるよりも簡単で伝わりやすい。言葉の強弱や表現で
わかりやすく伝えることができる。会って話すことよりは
伝達能力は落ちるが、比較的ニュアンスは伝わりやすい。

私が今一番使っている「報告、連絡、確認、相談」ツールは
携帯電話のメール。携帯電話はいつも持っているもの。
取引先であろうと、お客様であろうと社員であろうと皆が
持っているもの。文章で伝えるのは右記に比べると難しい。
しかし、メールの文章は残る。「報告、連絡、確認、相談」
をメールして、受信者が忙しく、即見る事ができなくても、
時間に余裕ができたときに見てくれれば大丈夫という所が、
使いやすい理由である。


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社員、お客様、取り引き先で携帯電話のメールアドレスを
教えてもらった人へは、携帯電話のメールを使っている。
いつでも発信でき、相手が気づいたときに返信してもらう。
即効性は少し低いが「報告、連絡、確認、相談」のツールと
しては十分なのだ。社員を励ます時などは、言いたいことを
文章にすると、かえって分かりやすく伝えることができたり
するもの。

お客様との連絡もメール。約束の日時や場所が文章で携帯に
残るため、間違いはほとんどない。以前よくあったのが
「ホテルオークラ」と「ホテルニューオオタニ」を「オークラ」
と「オータニ」に省略して言われることがあった。私が勘違いし
「オークラ」を「オータニ」と間違えて行ってしまい、お客様へ
大変ご迷惑をおかけした経験がある。今では電話で確認しても、
もう一度メールで日時と待ち合わせ場所をお送りしている。
当日になって、もう一度メールを見てお互いに確認し、待ち
合わせができるので間違いはない。


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まとめ
「報告、連絡、確認、相談」は今までに書いたように大切な
ことだ。相手があることなので、お互いに確認し合い、業務に
取り組んでいくこと。今までに私も「報告、連絡、確認、相談」で
たくさん失敗しているからこそわかるのだ。


報告、連絡、確認、相談 前編

~仕事ができるかどうかはこれで決まる~

「報告、連絡、相談」ホウレンソウとよくいわれるが、
福一不動産ではそれに「確認」が入る。確認作業も
大切なもの。毎朝朝礼で「報告、連絡、確認、相談」の
4つを唱和している。「報告、連絡、相談」をしっかり
しなければ、大変な問題になる。
しかし、「報告、連絡」はもちろんだが、その「確認」
も大切なもの。「確認」は簡単なことであるが、忘れて
しまうと厄介な問題になると私は考える。確認作業が
なくては、その日の仕事は絶対といってよいほど終わら
ない。

部下が「報告」をしないと、上司は「確認」をしなければ、
その日の業務は終わらない。「報告」をしない部下が悪いが、
「確認」は絶対に必要。業務をしない上司に限っては、
「確認」をしないで、その日を終わらせてしまう。
そうなっては、いくら上司と部下の業務レベルが高くても、
やっている仕事の進み具合がわからなければ、その会社の
信用は落ちてしまう。


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「報告」があって「確認」がある。
「連絡」があって「確認」がある。
「相談」があって「確認」がある。
…というような進みになる。
その流れを的確に行わないのは最悪なのだ。

ポイントは、いつ「報連相」をしなければいけないのか。
どんな時にどのような方法で「報連相」を行うかなのだ。
どこまでかは会社によりけり。上司によりけりだ。
キチンとどこまでかを教育していく必要がある。

「今日業務が終わったら連絡してきてください。」と
上司に言われた。「部下は仕事が終わったら、終了した
ことの報告をすればよいのだ!」と思い、自分でその日の
業務が終了と思ったら、終了した旨の報告を電話した。
しかし、上司はその日の業務内容や、それをどこまで
やったのかを聞いてきた。部下は終了したことだけ
報告すればよいのだろうと考えていたのに、その日の
業務内容やどこまでやったのかを聞かれ、慌てた。

終了報告だけと思っていた部下は、報告書を持たずに
電話してしまったので、頭に覚えている内容で報告を
始めた。「○○さんは来週の火曜日、いや水曜日だった
かな…出張から帰ってきます。」と答えると上司は
「なんだそんなこともキチンと話していないのか!」と
怒鳴る。部下側は「報告書を手元に持っていればキチンと
言えるのに…」と心の中で言ってみたが、言葉には出せず
怒られ続ける、といった感じである。


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上司が「仕事が終わったら、連絡したお客様の内容と行った
業務について確認します。その報告をお願いします。」と
言っていれば、上司は怒鳴る必要もなく、部下が怒られる
必要もなかったのだ。

そのようなことは日常茶飯事。「報連相」も重要である
ことは間違いないが、それよりも上司が伝えた「確認」の
内容が重要になってくるのだ。上司であるが故、キチンと
夜、電話させる内容について、部下に対する確認作業を
行っていないから起こるのだ。上司も部下も、お互いに
何を「報連相」してもらうのかを「確認」し合うことが
重要になってくる。

ということは、仕事ができる社員は、業務スキルも大切だが、
「確認」スキルも高いことができる社員の鉄則ということに
なる。上記のような上司と部下のやり取りの場合、確認スキル
の高い部下であれば「今日業務が終わったら連絡してきて
ください。」と上司に言われたら「仕事が終わったら終了した
ことの報告をすればいいのですか?」と聞く。続けて「他に
報告することはないのですね?」と念押しの「確認」をする。
部下は「自分でその日の業務が終了と思ったら、終了した旨の
報告を電話だけでいいのか。他に上司が求めている、その日の
業務内容や、どこまでやったのかを聞いてくるのではないのか。」
と考え、上司へ質問し確認をしておく。そうすることで、上司が
求めている、してほしい「報告」がわかる。訳がわからず
怒鳴られる必要もなく、部下が怒られる必要もなくなるのだ。


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確認事項の徹底は基本、上司がするもの。しかし、上司も人間。
部下側も再度「確認」をすることにより「報連相」が上手く
いくと考える。


お客様が来る魔法の法則 後編

このブログは、26日のものの続きになります。
http://www.2912103.co.jp/nakasu/diary/201004260000/

ここで例を出してみる。居酒屋で、新米の店員がいるとする。
入店してすぐに、配膳や飲み物の出し方などは、ベテラン店員が
細部にわたり教えるだろう。しかし、お客様対応については、
「頑張って下さい。」とか「きちんとお客様を応対して下さい。」
「やる気を出して応対してください。」と言ってくれるが、
一般的にお客様対応については、細かい所までは教えないもの。
『ストローク理論』は、そんな時に役立つツールなのだ。

新米の店員が恥ずかしさや慣れないことから、皿を洗いながら
下を向いて、聞こえるかどうかわからない小さな声で
「いらっしゃいませ。」と言ったとする。店長は「きちんと
お客様に応対して下さい。」とか「やる気を出して応対して
下さい。」などと言って指導するはず。しかし、当の本人は
何がきちんとで、何にやる気を出していいかわからない。
新人の行動を分析し、説明しやすくするのが『ストローク理論』
なのだ。


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ストロークの説明1
新米店員に「下を向いてと上を向いてとでは、どちらが
お客様に好感が持ってもらえるかな?」と聞いてみて
頂きたい。新米店員は、上を向いてのほうが好感が持てる
と言うはず。新米店員は、お客様がどう感じるかより
恥ずかしいとか、どう対応していいか、わからないから
とりあえず下を向いていただけなのだ。
これを『ストローク理論』で説明すると、「上を向いてと
下を向いてとでは、上を向く方が態度による(2)陽性の
ストローク(1―A)だ。」と教える。ここまで説明すると
新米店員は「理解できました。」と答える。

ストロークの説明2
上を向いたら、次はお客様の方を向いているのと向かない
のではどう違うかを教える。これも同じ。お客様の方を
向かずに「いらっしゃいませ!」と言うのか、お客様の方を
見て言うのかでは全く違うことを教える。『ストローク理論』
で説明すると、これもお客様のほうを向くのと向かないのでは、
お客様を向く方が、態度による(2)陽性のストローク(1―A)
である事を教える。

ストロークの説明3
「いらっしゃいませ。」の声はどうだろうか。これも同じだ。
『ストローク理論』では大きな声と小さな声では、大きな声の
方が、言葉による(1)陽性のストローク(1―A)である事を
教える。

ストロークの説明4
顔はどうだろうか。これもまた同じ。『ストローク理論』で
説明すると、顔の表情は、笑顔と無表情とでは笑顔の方が
態度による(2)陽性のストローク(1―A)である事がわかる。

ストロークの説明5
お客様の名前は? もし相手のことを覚えていたら「○○さん
いらっしゃいませ!」というのはどうだろう。お客様側から
すると「○○さんいらっしゃいませ!」と「いらっしゃいませ!」
とでは、勿論「○○さんいらっしゃいませ!」の方が良いに
決まっている。これは言葉による(1)パーソナルストローク
(3―A)で(その人だけ)陽性のストローク(1―A)なのだ。

まとめ
ストロークの説明1 上を向く事が『態度による(2)陽性のストローク(1―A)』
ストロークの説明2 客様のほうを向くことが『態度による(2)陽性のストローク(1―A)』
ストロークの説明3 大きな声が『言葉による(1)陽性トローク(1―A)』
ストロークの説明4 笑顔のほうが『態度による(2)陽性のストローク(1―A)』
ストロークの説明5 お客様の名前をつけることが『言葉による(1)パーソナルストローク(3―A)』と
『言葉による(1)陽性のストローク(1―A)』
に変わるのだ。


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下を向いて小さな声で「いらっしゃいませ。」と言っているのに
比べると、1顔を上げて 2お客様のほうを向き 3大きな声を出し
4笑顔で 5お客様の名前をつけて「○○様、いらっしゃいませ!」
5つも良いものが加わる。お客様に伝わる店員応対は、なんと
5倍も違うのだ。新米店員がどちらを選ぶかは一目瞭然。

『ストローク理論』で分析し、説明していくと、若い人や慣れて
いない人でも理解するスピードが速くなるのだ。昔のように
「体で覚えなさい!」と言っていては、いつまでたっても
よくならない。繁盛店かどうかは、店側が『ストローク理論』を
勉強し、店員へ教育しているかどうかだけなのかもしれない。
ぜひ『ストローク理論』を使ってみて頂きたい。店員全員が、
お客様へ5倍のストロークをすれば、おのずと店は繁盛する
はずだ。
『ストローク理論』はお客様が来る魔法の法則なのだ。

お客様が来る魔法の法則 前編

「飲食店の人気はお店によってどうして違うのか?」
「料理に違いがあるのでは?」とお考えの方が、
ほとんどではないだろうか。しかし、お店に行って
みると、料理も確かに美味しいが、店員の対応に
違いがあることに気づいたのではないだろうか?
繁盛店での「いらっしゃいませ!」の一言にも、
意味があることを店員全員が知っている。店に来る
お客様は、それを知らず知らずのうちに承認し、
その店を支持しているのだ。

では、どのような違いがあるのだろうか?声のかけ方や、
その方法に違いがあるのだ。簡単にいうと、お客様が
好感を持って頂けるような方法がある。ベテランの
店員は自然にできていることなのだが、新米店員は
それができない。「ちゃんと」 「真面目に!」と
いわれるが、この抽象的な言葉では新米店員は動けない。
ベテラン店員が自然にやれていることをしっかり分析をし、
新米店員にもわかりやすく伝える方法がある。
それが『お客様が来る魔法の法則』(ストローク理論)
という手法なのだ。
※以下では『ストローク理論』の名称にて説明する。

難しい言葉だが『ストローク理論』はとても大切なので、
ぜひ覚えて頂きたい!


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では、その『ストローク理論』について説明していこう。
『ストローク理論』は、5つの種類と3つの方法から
できている。まず初めに、5つの種類について説明する。
それは下記の5つ。

1.言葉によるストローク
「いらっしゃいませ。」とか「ありがとうございました。」
は『言葉のストローク』

2.態度によるストローク
ほほ笑んだり、お客様の方を向く行為、会釈などは
『態度のストローク』

3.文書によるストローク
手紙、はがき、FAX、メールなど、文書ものはすべて
『文書のストローク』

4.タッチによるストローク
握手や抱擁、肩を叩いたり、触って行うものは
『タッチのストローク』

5.贈り物によるストローク
プレゼント、ギフト、商品券等は『贈り物のストローク』

どれも当たり前な5種類だが、ストロークの方法
(なげかけ方)は、この5つしかない。業務の分析や
新人教育の時に『ストローク理論』を5アイテムにして
説明すると、理解しやすく、説明も簡単。必要なツール
なのだ。ぜひ、この5つを覚えてほしい。


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またその5つの方法は
A 陽性のストローク
褒めること、激励すること
1.言葉のストローク     「すごいじゃないか。」
2.態度によるストローク    ほほ笑む
3.文章によるストローク   「おハガキいただき、ありがとうございます。」
4.タッチによるストローク   嬉しそうに握手をする。
5.贈り物によるストローク   お世話になった人へ贈り物をする。

B 陰性のストローク
怒ること、嫌なことをすること
1.言葉のストローク    「どうしてできないんだ。」
2.態度によるストローク   ムスッとする。
3.文章によるストローク   内容証明 
4.タッチによるストローク  殴る。
5.贈り物によるストローク  カミソリを贈る。

A 条件付きストローク
何か報いを求めること
1.言葉のストローク    「今日、目標を達成したら、報奨金を出します。」
2.態度によるストローク   残業を嫌そうな顔をしてすること。
3.文章によるストローク   3個買っていただくと、もう1個ついてくるというDM文。
4.タッチによるストローク  握手で、仕事が欲しいという態度。
5.贈り物によるストローク  商品を買っていただきたいというサンプルを送ること。

B 無条件のストローク
報いがないこと
1.言葉のストローク    「ありがとう」
2.態度によるストローク   いつも楽しそうに振る舞う。
3.文章によるストローク   感謝の気持ちを伝える文章。
4.タッチによるストローク  嬉しい気持ちを表わす握手。
5.贈り物によるストローク  花束を渡す。
(花は枯れて残らないので、渡したことをこびれない。)

A パーソナルストローク
その人のために行うこと
1.言葉のストローク    「○○さんのおかげで、できました。」
2.態度によるストローク   ○○さんのほうだけを向く。
3.文章によるストローク   ○○さんのおかげでできましたという文章。
4.タッチによるストローク  ○○さんとだけ握手をする。
5.贈り物によるストローク  ○○さんにだけ、特別な贈り物をする。

B 一般的ストローク
皆さんに行うこと
1.言葉のストローク    「皆さんのおかげで、できました。」
2.態度によるストローク   みんなのほうを向く。
3.文章によるストローク   皆さんのおかげでできましたという文章を全員に送る
4.タッチによるストローク  みんなと握手をする。
5.贈り物によるストローク  皆さんに同じものを贈る。


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以上が『ストローク理論』。投げかけの方法は5つ。
これだけのアイテムしかない。


博多経友会について 後編

今日のブログは、4月24日のブログの続きになります。
http://www.2912103.co.jp/nakasu/diary/201004230000/

毎回お話いただく講演者には、たくさんのビジネスヒントを
いただいている。勉強になった例を1つ皆さんへお話したい。

2009年9月に講演の(株)ジャパンシーフーズの井上幸一社長は、
商品を絞り込む商品戦略と販売先を絞り込んだ顧客戦略、
販売方法をシステム化した販売戦略に感動した。
(株)ジャパンシーフーズさんは、魚をメインに加工販売して
いる会社。しかし、商品は魚全般ではなく、アジとサバ。
それもアジがメインで売り上げの85%を占めている。アジでも、
刺身だけを売っている。販売先は全国のスーパー。私たちが
販売しやすいと思える居酒屋などには売らないのだ。商品は
魚のアジ。販売先は、全国のスーパーのみ。発注があると
翌々日の朝には全国のスーパーに必ず商品は届く。
このシステムを開発し、現在の売上は23億円。この話を聞いた
時に私は目からうろこが落ちた。これこそ、ビジネスの最先端。
ランチェスター経営の竹田先生がいう商品戦略と顧客戦略、
販売戦略がキチンと整理され、利益をもたらしている。
素晴らしい戦略を持つ社長だった。


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もう一人は、2009年11月に講演いただいた(株)ストーンマーケット
の中村泰二郎社長。(株)ストーンマーケットさんは、アクセサリーを
売るお店。現在では全国に120店舗。海外にも3店舗出店している
大企業だ。年商は100億円を超えている。今まで急成長してきた。
しかし、中村社長は言う。「熊本上通に最初の1店舗目を自分
一人で開業。それから1店1店、店を増やしてきただけ。店を
増やしてきていたら、こんなに成長してしまったのだ」と言う。
1つの店舗に店員は6人。店長は1人。店長だけは社員。あとの
5人はアルバイト。そのアルバイトが社員になりたい。店長を
やりたいと言ってきたら、店長の業務について説明。1店舗
出すのに約3000万円必要であること。アルバイトとは違う、
厳しく責任感のある業務である等を説明する。そして、それでも
頑張りたいと言ってきた人には、店を出してきた。その結果が
123店舗。
起業したのは福一不動産と同じ平成7年。しかし、(株)ストーン
マーケットさんは100億円企業。その成長にはどんな秘密が
隠されているのか?と思っていたら、いたってシンプルだった。
1店舗の大きさと店員数を決めて店舗展開。自社店舗内から
人材を確保し、多店舗展開していったのだ。誰が聞いても、
簡単な方法だが、それが1番良い方法であり、堅実だと思える。
商品を特化し、店の大きさを限定して、店舗展開を全国へ。
中村社長がやる気のある人材を見つけ、キチンと教育して店を
出していった結果なのだ。
主材料である石の仕入れは、必ず中村社長が行うという徹底ぶり。
1.どこでも仕入れられない商品を
2.誰もやらない方法で
3.直接販売する。


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健康食品香酢「やずや」さんの経営計画書に書いてある法則とも
同じなのだ。1~3が盤石な会社づくりの方法なのだ。

上記のような社長の講演をお聞きすると「博多経友会」を継続
していて良かったと思う瞬間だ。こんなに素晴らしい経営を
している社長が博多にいる。それも井上社長等は10年以上前から
知っている。しかし、お会いしない間に、こんなに素晴らしい
戦略をたて、急成長している。中村社長は、2つ年下。起業した
時期も同じ。
お二人とも正しい経営方法を考え、確実に実績をあげている。
心から感動した。教えていただけなければ、わからないこと
だらけだった。
博多経友会では、先端をいっている社長のビジネスを博多にいる
経営者や起業を考えているビジネスマンへ伝え、博多全体を強く
確かな街にしていきたい。心からそう思っている。私だけでなく、
多くの方にこの感動を伝えたいと考えている。


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まとめ
博多の元気な社長の講演を聞き交流を深めることで、私自身と
博多の経営者、起業を考えているビジネスマンが元気になり
強くなること。博多経友会はそんな方達を応援している。


博多経友会について 前編

~博多を元気にしよう~

平成14年6月4日から、博多経友会という異業種交流の
勉強会を8年間している。最初は、有志でお酒を
飲みながら語る会としてスタートした。


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2回目からは、会の参加者が30分程度講演をして、
講演者を囲み、皆で語り合う。そして、参加者の
ビジネスについても語り合ったりしていた。
始めた頃の参加者は10人程度。グランドハイアット
ホテル福岡1階のバーでやっていた。気の合った
仲間が集まり、楽しく語らう会だった。

平成8年に全国規模の中小企業の会へ入会した。
私でも入ることができるといわれたので入会したの
だが、新入会員には冷たく、名刺交換すら難しい。
会費は月7000円。起業したばかりの私には、高く
感じた。仕事は苦しく、まだまだ社長といえる収入も
実績のない時期。当時の私にとっては決して安くない
金額だった。ビジネスについて何かヒントを得ようと
参加していたのだが、参加はするものの、皆さんと
知り合うこともできず、ビジネスについて教えて
もらうこともできなかった。常連の会員さん達は
仲良く、とっても親しく話をするが、入ったばかりの
私達新人とは話してもらえなかった。

講演会もよくあった。講演は勉強になり良かった。
懇親会にも講師が参加。しかし、講師をそっちのけに
して、仲良しクラブ。本当に会社を大きくしていきたい、
ビジネスチャンスを見つけに来ている人達もいたが、
ただの仲良しクラブに7000円もの会費を払っている
気がして、幻滅した。

異業種交流会に新会員が初めて参加しても、会の役員
から名刺交換に行かなければ馴染まない。ましてや
若い人は、どうしてよいかわからず、辞めていく。
そんな仲良しだけが交流する会ではない、志が高ければ
誰でも馴染める会を作りたいと熱望し、独自の交流会を
立ち上げた。


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楽しく語らう会として「博多経友会」を発足。会の
名前は、1.博多の経営者が共に成長していく会。
2.博多の経営者が元気になり、皆が友達になり成長
したい。という想いから「博多経友会」と名付けた。

しかし、当時の私は知り合いも少なく、地元では全く
無名。親友で創美の須藤社長に会長になってもらい発足。
彼は博多出身で、大学も博多。お父さんが創美を創業し、
2代目社長。現在の創美は印刷物でもシールを専門に
している。先般、シールで世界一の賞を2度も受賞。
すばらしい会社であり、素晴らしい社長だ。その
須藤社長に会長になってもらい、開催することになった。
けれども無名な会なので、最初は人集めに苦労した。

もちろん、初参加者や交流会慣れしていない会員さんへは
できるだけ声を掛け、馴染みやすい環境を心がけた。役員を
5~6人に任命し、参加しやすい会に徹した。地道にやって
いこう。博多を元気にしていこうと頑張った。

発足した初年は参加者が10名を超えるのがやっと。しかし、
毎月第一火曜日に行っていた。「博多を元気にしよう。」
とは言ったものの、仲良しクラブだった。2年目も参加者は
増えない。3年目で20人に増え、それまでバーの片隅で
やっていた「博多経友会」だったが、バーのメインフロアへ
移動。最初は細々だったが、交流会らしくなっていった。
石の上にも3年。有志が少しずつ増えてきた。水割りを
飲みながら楽しく、心から語り合える仲間の会だったように
思い出される。そうしながらも参加者は増え、4年目で30人
近くなった。ホテルのバーでやっていた「博多経友会」だが、
バーでお酒を飲みながらする人数ではなくなり、宴会場を
借りて行うようなった。

参加者はそれからも増えつづけ、50名以上の会にまで成長。
その頃から、参加者が講演するのではなく、福岡で大きく
成功した福岡の社長さんに講演いただくようになっていった。
「博多を元気にしよう!」というキャッチフレーズに、少し
近づいた気がする。


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現在、参加者の
「人間力向上」
「パーソナル(自己)ブランディングの構築」
「アイデアと情報の提供」
この3つの目的と掲げ、毎月第一火曜日19時30分から
行っている。私は人との出会いが大好きです。毎回、
新しい参加者に出会い、いろいろな話をお聞きする
ことで、たくさんのヒントを貰っている。

20代の方には元気をいただき、30代から40代の方からは、
たくさんのヒントをいただき、先輩方からはお叱りをいただく。
その刺激がたまらないのだ!


地域を限定して最初に行ったこと 月刊ゴジタ 後編

『月間ゴジタ』は誌面の内容を企画し、取材して、B5用紙
4ページで構成されている。文章は取材した内容を元に、
プロのコピーライターに原稿を書いてもらっている。誌面の
制作はプロのデザイナーへ依頼している。制作するのに
1回5万円程かかる。当時の福一不動産には、この費用も
実は大きな負担だった。

半径500mのテリトリー内で、商売をしている方のみ取材
している。このポリシーだけは強く持っていた。その方々を
取材して、その人の人となりを聞いて、新聞にする。


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当時、地域では全く無名の不動産屋。だれも知らないけど
「絶対に地域に根付いてやる!」と、この新聞を始めた。
地域新聞をやり続けると、いろんなことが起こり出した。
『月間ゴジタ』に掲載した人達と知り合いになれる。
「無料で取材させてください。」とお願いするのだが、
最初の頃は、3人、4人、5人とお願いしても「なんが
こげなと載るか!」と言われた。地元の人達は創刊当初、
知名度の低い『月間ゴジタ』に対し、理解して頂け
なかった。「月間ゴジタ、聞いたことないねぇ。」と
言われた。こちらの顔も目も見ないで「はいはいはい、
わかったわかった、はいはい。」と言われ、取り合って
もらえなかった。なんでも最初は、なかなか受け入れて
もらえないものなのだ。

それでも取材させて頂くと、徐々に知り合いになっていける。
毎月発行なので、取材先も少しずつ増え、福一不動産の事も、
少しは憶えてもらえるようになった。私の事も憶えてもらえて
きた。毎月6200枚配り、誌面を見てくれる人も少しずつ増えきた。

『月間ゴジタ』を毎月発行していて、不思議に感じる事がある。
誌面を見た人は、掲載している方と私が知り合いだと思って
くれるのだ。本当はお願いしてお願いして、やっと掲載を
了解頂いたのに。私は宮崎県延岡市出身。藁をも掴む思いで
お願いしてまわって、なんとか掲載の了解を頂いただけ。
その私と、この地域の名士が知り合いと思ってくれるのだ。
これが『月間ゴジタ』を始めて気づいたことだ。


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現在、これまでに取材をさせて頂いた方が135人を超えている。
掲載記事のネタに困るように思われるかもしれないが、事務所を
中心にした半径500mには、取材ネタはまだいくらでもある。
今では『月刊ゴジタ』を地元のご年配の方々が楽しみに待って
くれている。通りですれ違うと「福一さん、今度は○○さん
やったねぇ。あん人は、広島出身やったったい。」と声をかけて
くれる。掲載されている人がいつもよく会っている人でも、
出身地や趣味など、あまり知らないものだ。『月刊ゴジタ』で
隠れたその人のことがわかる。楽しみに読んでくれている。

全然知らない地域で仕事を始めるとき、「地域新聞」は効果絶大
なのだ。とは言っても、3年間は何も反響はなかった。「石の上
にも3年」と言うが、間違いない事実だと実感した。道ですれ違い
「あんた福一さんね。『月間ゴジタ』見とうばい。」と声をかけて
もらえるようになるまでに3年。それまでは、誰も何にも言って
くれなかった。こちらから「こんにちは!」と声をかけても、
返事がない。「こんにちは!」と返してくれない。地域に対して、
私のことや福一不動産のことを知ってもらう。『月刊ゴジタ』は、
そのための特効薬なのだ。


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新聞の内容にも工夫をした。『月刊ゴジタ』には全く「売り」
(不動産の広告)がない。端の方に小さく「発行 福一不動産」と
書いてあるだけ。『月刊ゴジタ』は地域新聞に徹底したのだ。
直接的な営業が入っていないので、地域の公民館などの人達とも、
接点が取れるようになった。情報提供もたくさんして頂いている。
社員もランチに行ったところへ「取材させてもらえませんか?」と
コミュニケーションが取れるようになった。そういうツールと
しても、使わせてもらっている。

『月間ゴジタ』は地域の方に、福一不動産を覚えてもらうための
ツールとして、絶大な効果を発揮してくれたと思っている。後で
出てくるが、この方法は無条件のストロークといって、読んで
頂く方に、不動産を売りつけることは全くせず、地域の情報のみを
考え、毎月発行していったことが、当社の社名を覚えて頂く、
一番の近道だったのだろう!

地域を限定して最初に行ったこと 月刊ゴジタ 前編

地域を限定し、自分で「金の山」と称したテリトリーで
最初にしたことは、チラシの配布だ。事務所を中心に、
新聞5誌(西日本、朝日、読売、毎日、日経)に、折り込み
広告を4200枚。手配りで中洲、川端地区に1200枚。全部で
5400枚。福一不動産のテリトリーである半径500mに、
チラシを毎週配った。お客様の手元に届くまでのチラシ
作成費用は、1枚6円。6円×5400枚=1回の配布で32,400円。
営業地域を決めていない起業当初は何もわからず、広い
地域に15~20万円をかけ、折り込み広告をしていた。
何も勉強せず、考えずにしていた広告出稿に比べたら、
1回に投じる費用は安くなった。


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偶然だが、以前マンションの中古の販売を福岡市南区に
ある「井尻」という所で請けた。15万円かけて宣伝
したが、1回目の宣伝では売れなかった。もう1度15万円を
かけ、チラシを配布してみた。そうすると、購入してくれる
というお客様がたまたま来てくれて、マンションが売れた。
更に、すぐ隣りのマンションの売り出しの話が出てきた。
それを請け負うことになった。ほぼ同じエリアへ再度、
チラシを配布した。それもまた運の良いことに売れた。

その1週間後、井尻の一戸建てを持っている人が「家を
売りたい。」と電話をしてきた。当社の事務所は
博多区上川端町。南区井尻へは車で50分以上かかる所。
「なぜ遠い南区井尻から博多区上川端町の不動産会社に
電話してくるのだろう?」と単純な疑問を感じ「どうして
福一不動産へお電話いただいたのですか?」と聞いてみた。
すると「あんたんとこ、ようチラシ入っとうやない。」
と言う。「そういえば、3週間続けてチラシを配ったな。」
ということに気がついた。「チラシ配布も続けると、人の
印象に残るんだなぁ。やっぱり1回じゃ、だめなんだな。」
と思った。竹田先生のテープも「1回の広告ではダメ、4回も
5回も6回も10回もやらなければいけない!」と言っている。

この一戸建てを売りたいといった井尻のお客様は、3度目の
チラシ配布の後、当社に電話をしてきたのだ。この事実を
もとに、地域を限定し、チラシ折り込みを何回もやろうと
考えた。それは今でも続けている。6200枚のチラシを
新聞へ折り込み、あとは手配りで、毎週続けている。

「金の山」へ飛び込み営業活動も展開した。訪問すると
「お前だ誰や、聞いたことなかねぇ。」と言われたが、
とにかく何回も会いに行こう決断。

やずやの矢頭宣男社長に教えてもらった事がある。
「地域新聞を出しなさい。」と。こちらから何かを
発信をすることで、地域の皆さんと付き合える突破口が
あるかもしれない。やずやでは『招き猫』という新聞を
作り、南区の高宮で新聞に折り込んでいる。当社は
『招き猫』の真似をして『月刊ゴジタ』という新聞を
出すことにした。なにしろ私にとっては、会社を
中心にした半径500mは四面楚歌。少しでも地域と
密着したことをやらなければという気持ちで始めた。
『月刊ゴジタ』を新聞へ折り込む日は、水曜日。それも
月末の水曜日。毎月、これをすることを決意した。
どんなことがあっても、続けようと決心した。
この折り込み日は、今まで一度も遅れたことはない。
もう135号(11年)を超えた。


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最初は、福一不動産のことや私のことを誰も知らな
かった。新聞を発行し続けることだけを目的として
やった。最初の1年目。飛び込み営業も行っていたが、
毎月『月間ゴジタ』を地域に配布しているにも関わらず、
福一不動産の名前はいっこうに覚えてもらえなかった。
2年目も同じ。「どうしてなんだ!」といってよいほど
『月間ゴジタ』効果はなく、やめてしまおうと何度も
思った。


経営計画書

~思いは書く 何しろ書くことです~

平成10年11月に香酢や青汁の「やずや」さんで、経営者の
ための勉強会「21世紀生き残りセミナー」があった。
その時に教えて頂いたものがある。それは「経営計画書」。
当時は、ワンシートで作成した。

矢頭宣男社長(元社長)は、目標を立てる時は「何しろ
書くことだ」と言う。
このワンシートに、来年上げるであろう予定の売上を
書くように言われた。当時、売上についても、その日
暮らしでいくらを上げようとか考えたことがなかった。
毎日、毎日、歯を喰いしばって生きることのみ。
矢頭社長が言うには、目標と言うものは、頭で思っても
ダメ。もちろん口で言うだけでもダメ。「何しろ、思った
ことを書くことだ!」と言う。何でもいいので、思った
ことや自分の思いを紙に書く。1回書いてみたが、
自分でもあまりわからない内容になった。そういう
場合は、もう一度書くと良い。何回でも読みなおしを
して、作り変えてOK。


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目的は、自分でわかる内容にすることと、書いて保存し、
いつでも見れるようにしておくこと。書いていると、
いつでも見る事ができる。見ると思いが戻ってくる。
計画は必ず書いておくことが大切なのだと言われた。
思いは書くこと。書いたものを絵にしておくと、もっと
具体的になる。その絵を毎日見ることで、イメージが
広がる。

経営計画書だが、作成するのは何しろ初めて。いっぱい
書けないので、B4の紙を4つに割り、「経営理念」と
「基本方針」と「めざすもの」と「売上金額」を記入する。
初めて作るので、ワンシートではあったが、その作成に
3週間ほどかかった。

そこに書いたことを何度も読み返した。そして、その内容が
実現できると思い念ずる。必ず現実になってくると思い、
何回も読んだ。

自分なりに、必死に作成したワンシートの経営計画書。
当時の参加者の中では、私の会社が売上金額で一番低く、
それだけでも恥ずかしかった。年商3000万円とか、
5000万円や1億とか言う社長ばかり。私は、750万円。
年商で2桁違っていた。矢頭社長は、完成した経営計画書を、
一人一人発表させた。2桁違う私は、参加者皆さんの前で
発表することが、裸で街の中を歩くことぐらい恥ずかしかった。
参加者から「たった750万円で参加しているやつがいる」と、
くすくす笑われると思った。

今思えば、あの時矢頭社長が、私の肩を叩いて発表させられた
ことで、発表後は「絶対に発表した金額は上げてやる!」
「参加者の中でも一番の会社になってやる。」という気持ちで
いっぱいだった。


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勉強会は12月に終わり、今まで月70万円程しか上げることが
できなかった私だが、次の年の4月からは「月300万円を上げる」
と、福一の経営計画書に書いた。4月まで何回も何回も、この
経営計画書を見てイメージした。そうすると不思議なもので、
4月が終わると300万円を上げていた。今までの約4.5倍もの
売り上げを上げることができたのだ。その時、「矢頭社長の
言う通りなのだ!」と思った。書くことはとても大切。
書かなければ、全ては始まらない。ワンシートでも書いて
いたので、その通りになったのだ。
そのおかげで、それからは経営計画書に書いた目標金額通りに
売上が上がるようになった。

平成11年度の経営計画書は4ページだったが、書くことで実現する
実感を味わった私は、楽しくなり、何でも書いて残すことにした。
目標をより具体的に書くことにしている。書くことで目標達成
できるならと毎年経営計画書を書き、ページ数が増えていった。
経営計画書を書き始めて11年。今では60ページ以上にもなる。
日々変化し続けている。書いておくと、社員とも確認できる。
自分自身でもいつでも確認できる。こんなに便利でわかりやすい
会社の指針書はない。

福一不動産の夢は、「中洲を日本一の歓楽街にすること」。
それをイメージした絵を表紙にしている。その絵は、中洲を
描いた絵の中に、社員全員の似顔絵が入っている。この絵を
みて、社員との目標を確認している。このようになったのも、
「やずや」さんが勉強会「21世紀生き残りセミナー」を行って
下さったからだ。

本当に、心から感謝しています。


サクセス400

~ 400万円でオーナーになれる夢のシステム ~

中洲のお店の70%近くがスナックだ。それも10坪程度の
お店がほとんど。中洲の店舗はリース契約が80%。
中洲のリース契約はオーナーが室内の改装を費用負担し、
すぐにオープンできる状態にして貸してくれる契約方法。
内装は家主負担で行う契約方法。

中洲の店舗賃貸坪単価は22,000円(家賃、リース料等
その他の経費を含み月額)である。10坪だと220,000円に
なる。また、保証金は家賃の6ヶ月分が相場。よって
1,320,000円の保証金と、前家賃220,000円と仲介手数料
220,000円+消費税の合計1,771,000円になる。
この171万円を準備すると明日からでもお店が始められる。

テーブルや照明などの室内の備品は、ほとんど揃っている。
他に揃える必要のある備品…グラスやマドラーなどである。
プラスして約200万円でお店が持てる。いとも簡単に、
誰でもスナックのオーナーになれるのだ。


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居酒屋の場合はというと、平均30坪程度の広さが必要。
居酒屋の場合リース契約はない。30坪を全面改装すると
約2000万円かかる。それに、安く考えても家賃は
坪10,000円、30坪で300,000円。敷金の平均が8~10ヶ月。
8ヶ月で計算しても240万円。前家賃や仲介手数料をプラス
すると、合計が約2300万円になる。

「居抜き物件」という手もある。「居抜き」とは飲食店等の
売買、転貸、賃借権の譲渡の際に、営業用の設備や装飾品
などの経済的価値のあるものをつけたままで行われる。

全面改装に比べて安くはなるが、居抜きの場合でも、
そのままでオープンすることは難しく、接客スペースは
30%~50%に金額を落とせても、厨房機器などは割と
費用がかかる。よって、全面改装にかかる金額の30%減
程度が必要。それでも1500万円は必要になる。

それに比べ、10坪のスナックは200万円でオープンできる。
それも諸費用込み。改装費はビルオーナーが専門の内装
業者にお願いしているので、全く必要なし。オープン
当初はお客様もいないので、6ヶ月間は収入ゼロでも
家賃だけは払えるように、事業資金として200万円を
加算し、合計400万円の総資金でスタート。

この事をわかってもらいたいと考え、名前を『サクセス400』
と名付けた。


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『サクセス400』は400万円の総資金があれば、スナック
経営ができる。諸経費も込みで6ヶ月間の事業資金の
準備もある。必ずサクセス(成功)するという意味だ。

もちろん上記の居酒屋の場合、サラリーマンであれば、
借入をしないとスタートできないだろう。スナックで
あれば、400万円を自己資金でできる。資金を集めるか
貯金を貯めていれば、OK。万が一失敗しても、痛手は
最小で済む。

「なぜ改装費は無料で、そんなに少ない資金でスナックは
できるのか?」と考える方も多いだろう。中洲という地域
だから、安く始められる秘密がある。ビルが新しく完成し、
最初に入店いただく場合は、改装費をほとんどの場合が
入居者の負担で、自分好みの店をつくる。その場合は、
800~1000万円は掛かる。

しかし、ここからが違う。中洲という場所は、その
スナックが閉店し、入居者が家賃を払わなくなると、
スナック内の内装はオーナーの持ち物になる。
もちろん上記の居酒屋の例の居抜きでも売れる場合が
あるが、スナックでは家賃の6ケ月分の保証金(170万円)
を払えば、きれいな店が借りられる「リース」という
システムがあるので、いくら800万円で改装した店で、
半額や3分の1の居抜き価格で出したとしても、保証金の
方が安くなる。


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あとは退去の都度、少しの改装費をオーナーが負担して
リースする。また、リースだと、内装の所有権がオーナーに
あるので、家賃未払いや夜逃げがあっても、簡単に処理が
でき、次に貸せるというメリットもある。中洲ならではの
システムなのだ。

『サクセス400』は中洲という立地とスナックという業種の
合わせ技でできた。少ない資金で、安定して行える事業
なのである。あなたも中洲で、スナックオーナーになって
みてはどうだろうか?

まとめ
中洲という立地だからこそ、リース契約という特別な賃貸
方法があり、運転資金を含め、わずか400万円で店が出せる。


自己管理(パーソナルリーダーシップ)後編

~将来への夢を実現するには~

週単位でも自己管理を行う。来週の予定は、金曜日もしくは
土曜日に決める。ある程度時間がかかる仕事は週のページに
記入する。例えば作業時間を計算し、6時間かかるとする。
1日で集中してやるのは無理。逆に、1日でその仕事に
費やせるのが1時間30分とする。6時間を1時間30分で割ると、
360分÷90分=4日。4日でできることになる。来週からすると
して、月曜から木曜日のする事に業務名を入れ、90分間使える
ところを見つけ書く。始める時間(約束時間)と費やす時間
(所要時間)を記入する。そうすると、思いついた仕事が、
木曜日までで終了できる。もちろん右記の通りでできなかった
時は、次にできる日を設定し、移す。


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週の予定を決める時に注意してほしいのは、予定をぎっしりは
入れないこと。1日に業務ができる時間が10時間と考える。
10時間いっぱいに予定を入れるとキツイのは、当たり前。
その1週間、できない自分と付き合うことになる。たくさん
入れたとしてもそのうちの75%(3/4)、よければ65%ぐらいの
方が、できる自分と1週間付き合える。

私の理想は、月曜から木曜日が業務をこなす日。金曜日は
整理日。土曜は業務調整日。日曜日は休日。毎週そのように
設定している。週の計画を行う上で右記の6時間かかる業務だが、
1週間でするのであれば、もう1つ行っておくとよい事がある。
それは、業務をとりあえず4つに分類することだ。4つに分類し、
分析する。分類したものができるのかどうか考え、4つの中から
難しいと思われるものは、社員や取引先業者等に相談し、現状
分析を行なう。そして問題点を見つける。問題点を見つける事に
より、その業務を解決する事へ少し近くなる。週単位で業務が
行えるようになると、仕事上の悩みの70%がなくなってくる
ので、繰り返し毎週やってみていただきたい。


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次が月単位での計画。月単位での計画で最重要視するのは、
無理のない計画である。体調管理も大切。無理な予定を組み、
体調が悪くなり、予定を立てる上で、仕事ができなくなるのが
一番の問題。1日の計画を立て、週の計画を立てる。おのずと
歪みが出てくる。それを調整するのが月単位。月単位の予定表
には、施行する時間と業務内容を記入する。1週間でする仕事は
決まっている。また、毎年その月にする仕事も決まっている。
よってキチンとした調整がなされていないと、無理な日程になる。
無理なままやることは、とても危険なのだ。それを調整しながら
月の予定は作成する。もちろんブッキングなども回避するのは、
月の予定で十分に確認する事。月予定は12ヶ月先まで書く。
私は、1月が終わると来年の1月を記入する。予想ではあるが、
毎年の行事日程を転記することで、予定組みがしやすく、
ブッキングを回避できるのだ。また、月初めに次の月とその次の
月の内容をチェックする。

年単位のページは、一目で1年を見ることができるものにしている。
これは1年を通して、自分の業務を見直すため。1年の全体でみると、
まだまだ業務ができる月や週がわかる。また、もうキツキツの月や
週もわかる。その調整も自己管理(パーソナルリーダーシップ)
なのだ。


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その予定時間に他の予定を入れないこと。精神的にその業務ができる
心であること。それさえクリアできれば、仕事は必ずうまくいく。
ここまで具体的に考え、行動する。しかし、なかなか具体的に手帳
には書けないもの。それを手帳に書き、行動に落とせば、将来を
変えることができる。自分の将来は自分でしか変えられない。人に
期待する人も多いだろうが、毎日を自分に正直に生きて、精一杯
やることが一番。手帳でパーソナルリーダーシップしていくこと
なのだ。

まとめ
自分の一日をA5 1ページにできる限り記入し、充実した1日を送る事。
その積み重ねが将来の夢を叶える。
手帳で自己管理(パーソナルリーダーシップ)していくことなのだ。


自己管理(パーソナルリーダーシップ) 前編

~将来への夢を実現するには~

自己管理のことをパーソナルリーダーシップという。自分の
1日をどう管理し、充実した1日に変えていくかは、その人
次第である。私は、私の1日を手帳によって自己管理している。
私の手帳では、A5の1枚が1日分。朝は5時から夜は11時までの
自分の時間の予定と、その日にする事や社員への連絡事項、
お客様への連絡、追跡フォロー表、朝することのチェック表、
朝礼で伝える事項、ミーティングにて伝えなければならない
事項など、1日の業務を充実させる為の内容が、この1ページに
集約されている。


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手帳は今までも様々なものを使っていたが、自分で作成し、
使いやすくカスタマイズしていくものが一番だと思う。
過去は変えられないが、未来はいかようにでも編集できる。
無限大に期待できるのだ。しかし、どうやって期待し、確実な
ものにしていくかが大切。私の場合、1日にできうる業務を
15分単位で分析し、やらなければいけない業務を決めたら、
どれぐらいの時間でやることができるか分析する。分析し、
業務時間を決める。例えば2時間と決めた時は、始める時間を
13時と書き、所要時間を120分と書く。手帳に始業時間と
所要時間を書く。
所要時間を記入するのは、例えば2時間で業務をする場合、
2時間以内で終わらせるためにどうするかを考え、記入する
のである。右記の通り、その時間内でその事をやることが
決まる。後はそれを遂行するだけ。手帳に書くと、遂行
することが楽しくなるのだ。


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もし、その時間に他の仕事が入り遂行できない場合でも、
手帳に書いてあるので、できる日に移行すればよいのだ。
一番悪いのは、その仕事を忘れてしまい、やる事さえ忘れ、
やらなくなること。やらなければならない仕事があるにも
関わらず、日々の業務が忙しいので忘れてしまうことも
しばしば。しかし、この手帳を使うと、忘れるわけではなく、
延期するだけ。日を伸ばした場合は「考える時間が延び、
そのことの内容が煮詰まり、充実してくる。」とプラスで
考えれば全く問題ない。


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他にも、日々実行するルーチンワークを記入し、行う時間も
決めて行動する。この手帳を使うと、夜寝るときに「今日も
自分のできる限りのことをやった。充実していた。」という
気持ちになり、明日も頑張る気になる。「自分の1日を
どれだけ充実させるか」が将来を決めることになり、夢が
叶う。自分の1日を手帳1ページにできるだけ記入し内容を
充実させることで、少しずつ夢が近くなってくる。


ゴジタ効果

~思った以上にゴジタ効果は絶大であった~

『月刊ゴジタ』を平成11年2月から10年間、近隣へ4200部、
新聞に折り込んできた。『月刊ゴジタ』を毎月最終水曜日に
折り込んできた成果を、ここで紹介したい。

『月刊ゴジタ』を始めたきっかけは、平成7年11月に、
この地を拠点と定め、平成10年11月に経営者を集めた
「やずや」さんの勉強会にて、先代の矢頭宣男社長が
「古川くんの仕事には地域密着が大切。地域新聞が
最適だ!」と言われた事。当時やずやさんの『招き猫』
という地域新聞の真似をして始めた。

事務所から2軒隣の電気屋さんに掲載をなんとかお願い
して、第1号を創刊。1号を出すだけでも大変だった。
最初は、毎月取材先を探すだけでも苦労した。当社には
ネームバリューもなく、なぜ不動産屋が新聞を出すのかも
皆に理解してもらえない。「何者かわからない」不動産屋
からの取材。地域の方々も戸惑っていたと思う。掲載の
承諾を取れると、嬉しくて心から感謝していた。

しかし、配布を始めると思った以上に『月間ゴジタ効果』が
あった。『月刊ゴジタ』はB5サイズの4ページで構成されて
いる。ページ構成は1ページ目(表紙)がその月の風物や
いわれ、2ページ目が地域で頑張っている方の人となりを
取材し、顔写真も一緒に掲載。3ページ目は特集と地域の
お店を紹介。4ページ目は地域行事と編集後記というような
内容。この誌面の構成は今も変わらない。


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上記内容を取材して、毎月地域の新聞に折り込んでいった。
こちらがなんとかお願いして掲載させて頂いた方々なのに、
私がさぞ知り合いであるように思われる事が大きな成果だった。
それだけでなく、掲載を機にその方達と親しくなっていく
事ができるのだ。

発行を続けることで、地域の方々との親交も深くなっていった。
定期的に掲載することで、地域の方への信頼がついていく。
信頼が得られると、大切な不動産の仕事を依頼頂けるように
なっていく。そればかりか、地域公民館、地域の神社(櫛田神社)
などとの交流も深くなる。今では、神社の不動産の取引店にも
指定して頂いている。

会合にも参加させて頂くと、『月間ゴジタ』の発行者というだけで
よくして頂くこともある。地域の方が不動産のことで考えるように
なると、その同じ地域の方が福一不動産に行ってみなさいと紹介
してくれる。いろいろな効果が表れた。

しかし、発行を始めて半年が過ぎ、地域の方にお会いし、飛び込み
営業を行っても、全く反応なかった。「見て下さっているのかな?」
と疑心暗鬼になった。1年を過ぎても同じ感触。やずやの矢頭社長の
言葉を信じ続けるしかなかった。2年を過ぎても全然。この効果が
出てきたのは、新聞折り込みを初めて3年後。「石の上にも3年」と
いうが、その通りだった。ゴジタを初めてその事を実感した。
3年を過ぎたある日のこと、『月間ゴジタ』が折り込まれたその日。
通りを歩いていると、向うの方から「福一さん!」という声。
振り向くと、地域のおばちゃんが立っている。「福一さん。今回の
『月間ゴジタ』は○○さんやったね!」という。声をかけられ、
『月間ゴジタ』の話をしているおばちゃんの顔を見て、「地域に
溶け込めるのではないのか?」といった思いが、心を駆け抜けた。
嬉しい瞬間だった!


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3年を過ぎてからは、取材のお願いも快く受けて頂けるようになり、
取材先の紹介もある。ここ最近では、店がオープンすると、『月間
ゴジタ』に掲載されることが、そのお店の登竜門のような感じに
なってきている。嬉しい結果がどんどん現れた。

私たち、弱小番外弱者が地域に認められ、その方々から仕事をもらう
までには時間がかかる。根気よく定期的業務を行っていると、いつか
信頼に変わる時がくる。そのバロメーターは「石の上にも3年」。
3年は続けることなのだろう。頑張って続けることで、成果は必ず
生まれる。その姿を皆さんは見てくれているのだと実感した。


営業のしくみ 後編

今回のブログは「営業のしくみ 前編」の続きになります。

2.受注のしくみ 業務ウエイトは10%
商品やサービスを代金に変える役目が受注の仕組み。
販売の「販」という字がある。昔は金属でできた貨幣はなく、
貝が貨幣だった。販売の「販」という字は「お金とは反対の
もの」という意味。正に「受注の仕組み」のこと。お客様に
商品を気に入ってもらい購入してもらう。購入してもらった
あと、代金を支払ってもらう。その時のことを「販」は
表しているのだ。

お客様が来店された時に接客をし、商品の説明をして、商品の
内容を理解してもらい、他社より当社がよいことを納得して
もらってからクロージングする。そして、販売をして代金回収を
する。不動産であれば、引き渡しまでを行うのが受注の仕組み。
商品を誰よりも理解し、惚れ込み、自分でも利用してみる。
またはお客様が買わなければ、私が欲しいぐらいに商品を好きに
なり、販売していく。

福一不動産であれば、来店してもらい、物件を案内する。
それから、申し込みをもらい契約を交わして、決済(代金の
支払い)をして頂き、物件の鍵を渡すまでの業務が「受注の
しくみ」。


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3.継続の仕組み
一度来られ利用してもらったお客様がまた、利用して頂くように
する仕組みが継続の仕組みだ。直接訪問、DMや誕生日ハガキ、
記念日ハガキなど、一度使っていただいたお客様に忘れられない
ようにすること。

一度利用頂いた方は、販売員やサービス、商品の良さなどを
知っている。2度目の利用の時は、一般顧客より利用実績が
ある為理解が早く、成約に結びつきやすい。一般顧客の3分の
1の営業努力で決まる。ある意味おいしいお客様。しかし、
お客様が購入を考えた時に、自社のことを思い出して頂ければの
話。一番に思い出してもらわなければ、これも意味をなさない。
そのための仕組みが「継続の仕組み」。忘れられなくする仕組みは
とても大切なのだ。

4.紹介の仕組み
利用してもらったお客様に満足して頂いた時、知人や友人、
先輩などの紹介をもらう。その紹介をもらうための仕組みだ。
上記の「継続の仕組み」に近い仕組みだが、「紹介の仕組み」は
もっと成約に近い。4分の1か5分の1の営業努力で販売もしくは
成約できる。


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紹介の場合、基本的に購入を考えているお客様が知人や友人、
先輩などに相談して、自社を紹介してくれる。一番おいしい
ところでやってくる。例えば賃貸の場合、探している地域、
求めている広さ、家賃の相場を理解し、借りたい部屋を
ある程度限定してやってくる。営業する側としては、70%の
業務が軽減される。とてもありがたい仕組み。「紹介の仕組み」
の場合、紹介者は変な営業マンだと思っていれば、絶対に紹介
しない。以前、紹介者が購入してもらったときの対応が良かった
からこそ紹介がくるのだ。

「紹介の仕組み」では、いつもお客様を大切にして、お付き
合いしていないと紹介はない。また、成約頂いたときや、利用
してもらったときに、即・紹介を促すことも大切。利用後すぐが
一番良さをわかってもらえる。その時に紹介が出やすい。促す
ことが大切。


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紹介カードを渡し、紹介をもらえるようにする。紹介カードは
2名欄を設けること。1人分だけの欄であれば、1人しか紹介しない
ので、もう1人分の枠を設けていること。もう1人いれば、書いて
くれる。しかし3人以上だと、営業社員の業務内容の良さを伝えて
もらうことが目的なのに、紹介しようと思っている方へ紹介が、
強制のように伝わる。基本、紹介カードは2人分を書いてもらう
欄を設けること。

まとめ
営業の仕組みは4つ。
1.見込み客開拓 70%
2.受注の仕組み 10%
3.継続の仕組み 10%
4.紹介の仕組み 10%
ウエイト付けは上記の通り。

どの仕組みも必要だが、1.は特に大切。社長が担当すること。
継続や紹介の仕組みを使うことにより、簡単に営業できるように
なる。


営業のしくみ 前編

10年以上前に、ランチェスター経営の竹田陽一先生に営業の仕組みを
教えて頂いた。営業を行う上で役立つ内容だ。ぜひ覚えてほしい。

営業の仕組みを4つに分類する。
1.見込み客開拓の仕組み
2.受注の仕組み
3.継続の仕組み
4.紹介の仕組み

営業の仕組みは、この4つで構成されている。4つの仕組みに分けて、
業務分担し、遂行する。4つに分類し、1つ1つを綿密に計画し、
業務遂行すると、社員にもわかりやすく、業務の分担ができ、業務
内容を詳細に計画できる。
4つの営業の仕組みは、それぞれ業務のウエイトが違う。私は会社を
経営して15年になるが、このウエイト付けとそれぞれの担当者を
決めることで、役割分担が確定すると考えている。


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1.見込み客開拓のしくみ 業務ウエイトは70%
~大きな役割を担う~
4つの中では最も重要な仕組みである。お客様に当社へ初めて来て
頂くまでの仕組みだ。商品も会社も知らない人に、当社へ来てもらう
までの仕組み。見込みのお客様にご来店してもらうまでの仕組みだ。
これが一番難しい。

見込みのお客様にできるだけたくさん来てもらうことが売上や利益に
直結する。顧客数が増えればそれからの業務は2.の「受注の仕組み」
になる。受注は成約が一番だが、お客様が来ない事には始まらない。
見込みのお客様に来てもらう方法がわかれば、経営も苦労はない。
お客様に指示してもらい、選んでもらわなければならない。買う方に
100%の選ぶ権利があり、私達売るほうには、全く権利はない。「うちを
使わないと罰があたりますよ!」などといえることは絶対にないのだ。
お客様に選んでもらうこと。たくさんの競合他社の中から選んで
もらわなければならない。社長はいつも、このことで悩み苦しむのだ。

既存客は1年で15%は減る。新規がないと7年で一人もお客様がいなく
なってしまう。飲食店であれば、儲かっている店でも利益率は15%。
利益がなければ、店も生きていけない。顧客が増えないと、1年
持たないということになる。既存客のままでは即、閉店に追い込まれる。

年15%の既存客が減るということは、1000人が顧客とすると1年で150人
減ることになる。現状維持をするにも150人は補充しなければならない。
見込み客開拓をして、その中から顧客を150人見つけなければならない。
顧客の補充は、営業する上で一番大切と考えられる。よって、見込み客
開拓は「営業の仕組み」の中で70%のウエイトを占める。「営業の
仕組み」は、見込み客をどうやって開拓するかにかかっているといって
よい。


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見込み客開拓を会社で担当するのは、トップの社長である。社長自身で
見込み客がどこにいるか(見込み客を集める方法)を現状分析し、どう
するかを決める。それだけではなく、一般客を潜在客へ加工し、ある
程度の期間がたつと見込み客へと変化する仕組みも考えなければ
ならない。

サンプリングを行い、当社を利用してもらい、良さを感じてもらい、購入に
近づける、といったことや懸賞の賞品を考え、最初は懸賞目的でくる。
しかし、当社の商品が必要になったときには、いつも懸賞付きのサイトや
コーナーを見て頂いているので、当社を利用してもらえるようにする仕組み
などがある。ありとあらゆる手でお客様が自社を選び、来店してもえらるか、
または即発注してもらえるようにしなければならないのだ。

時にはセミナーや講演会をおこなったり、展示会を開催したり、マスコミを
使って宣伝をしたりする。いろいろなことを考え分析して、集客していく。
見込み客の開拓は、会社の存亡にかかわる大切な業務。競合他社との
差別化を図り、選んでもらわなければならない。やり方によっては、
多大な費用負担を強いられることもある。その決断も社長が行う。
社長が担当しなければならない。

世の中の変化を察知し、その変化に対応しながら、お客様を見つけていく
仕事。社長が担当して当然。それができなければ、社長失格である。


地域は金(きん)の山

竹田理論を信じ「商品、地域、客層の限定」を行う事を決めた。
その中で一番に地域を限定した。地図を開き、コンパスで
地域を決めようと、毎日円を引いてみた。「対象とする地域の
広さはどれぐらいがいいのか?」と円を書き、その中にどんな
ものがあるのかを考えた。

そして、とにかく歩いてまわった。道路や川で商圏が変わるのか
どうか。学校区の区切りや歴史的背景、神社仏閣の地域区分の
違いなどの現状分析をした。また、福岡市は城下町と商人町の
違いなどあるのだ。

今までは、自己満足だけのために仕事をしていた…。
新築マンションの販売を請けた時のような、舞い上がる気持ちは
封印して、経営とはどういうことであるかを意識し、地域把握の
ために歩いてまわった。

最初は何がなんだかわからずまわっていたが、2・3回と続ける
うちに、少しずつ商圏の違いが見えてきた。不動産業は1件の
取り引き額が大きいため、クレームが多い。お客様に迷惑を
かけない範囲(自転車で10分圏内で駆けつけられる)を
イメージし、半径500mと決めた。直径1km。テリトリーが
直径1kmということだ。


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「この営業範囲の限定をどう思うか。」友人10人に相談したが
「お前は馬鹿だ。不動産屋が半径500mでやれるわけがない。」と
いわれた。しかし、20万円のテープは「地域は狭くしろ。」
「1番になれる地域に限定しろ。」 「移動時間は無駄だ。」と
いうのだ。テープが何度も無駄だというから、しょうがない。
私がやれると決断できる範囲は「半径500m」と決めた。

コンパスで地図に線を引いてみた。会社の場所を支点にして円を
描いてみた。中心は事務所がある上川端(かみかわばた)町(まち)。
円の中に入ったのは祇園(ぎおん)町(まち)、冷泉(れいせん)町
(まち)、上川端(かみかわばた)町(まち)、店屋(てんや)町(まち)、
中洲(なかす)1~5丁目だった。9つの町が入っていた。そこは古い
町で、博多弁丸出し、「山笠(やまかさ)」、「どんたく」といった、
福岡市内でも伝統ある祭りを愛している人達の町。旧博多部
(きゅうはかたぶ)だ。何代も前からこの地に住み、昔から「ここは
福岡やないったい、博多ったい!」というような地元意識の高い
人の町。

私は宮崎県延岡市(のべおかし)出身。当時は全く博多弁も話せ
なかった。サラリーマン時代は、熊本、鹿児島、北九州と転々と
していたので、自分が話している言葉が何弁かもわからない。
地域の人と話すと、イントネーションがおかしいらしく
「あんた、どこ出身ね?」とよく聞かれた。

地域を限定した地域戦略を始めたときは、全くの「四面楚歌」だった。
博多には友人、知人は全くおらず、何もわからない状態でのスタート。
飛び込み営業をし「こんにちは、福一不動産です!」と言うと
「お前だれな、聞いたことなかね。帰りやい。」といわれた。
博多弁「聞いたことなかね=知らない」「帰りやい=帰れ」という意味。

しかし、1件1件、飛び込み営業をしないと仕方がない。当時、地域の
人には認知度ゼロの私だったが、この地域に骨をうずめると決心して
いたからだ。この限定した地域をまわると、「お前だれな、聞いた
ことなかね。帰りやい。」ずっとそういわれ続けた。飛び込み営業を
しながら半径500mをまわりながら分析していった。


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ゼンリンの地図に掲載されている各ビルの入居店舗数を詳しく分析した。
中洲には店舗が2700件あるのだとわかった。川端(かわばた)地区には、
マンションと事務所が2300件ある。更に、上記以外の仕事のネタになる
売り地や売りビル、駐車場の数も数えた。上記の不動産が、1年で
どれぐらい賃貸募集され、どれぐらいの価格で売りに出されるかを考えた。
その内何%が成約するかをシュミレーションしてみた。そして、その
仲介手数料はいくらぐらいだろうかと考えてみた。賃貸物件の出入りは
年間何%あるだろう。どれぐらいの金額が手数料として入って
くるのだろうか。中洲のビルは約100棟。年間に何棟売買されるのだろうか
と考え、ソロバンをはじき、計算してみた。

「半径500mで年間の仲介手数料はどれぐらいになるのだろうか。」
日夜、計算に計算を重ねた。そして、すごい数字がはじかれた。
なんと、年間30億円の仲介手数料が見込めることがわかった。それも、
粗利益での収入なのだ。たった半径500m内に30億円眠っている!私は
思った以上の結果にびっくりした。30億円全部を売り上げるのは無理。
しかし、ランチェスター経営の統計によると「市場の26%取ったら、
NO.1」とテープがいっていた。「限定に限定を行った極めて狭い地域
なので、地道にやれば、3割も夢ではない。3割取ったら、間違いない
ナンバーワンだろう。」と私は考えた。

30億円の3割は10億円。粗利益の仲介手数料が年間10億円になる。
年商10億円の不動産会社になると、福岡市内の不動産会社の中で5本の
指に入る。当時、分析だけで何もスタートしてない私だったが「年商
10億の不動産会社になれる!」と夢がわいた。

にわかな数字だが、将来が見えた気がした。「10億円売り上げられる
会社になりたい。」と思った。それは、今でも経営計画書に書いている。
「○○年後に10億円」と入れている。私はこの地域に対して「掘れば
金(きん)が出てくる、金(きん)の山だ!」思った。四面楚歌で宮崎県
出身の私…「お前だれな?」といわれるが、地域はそのうち「金(きん)の
山」になると思いだした。「必ず金(きん)が出る!」と。これを
きっかけに、もっと深く分析をやっていった。


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地域のことをもっと知りたいと考えた。そんなある時、ランチェスター
経営の勉強をしている神奈川県の不動産会社さんがヒントをくれた。
その会社は、ファミリーレストランやディスカウントショップ等を
建てる土地を探して、長期で賃貸する仕事(建(たて)貸(がし)業)だ。

その会社は、月に1回車の両側にビデオカメラを設置し、幹線道路を
走りながら道の両側を撮影した。車を運転している時には気づかない
周辺の変化を見つけるためにやっていたのだ。例えば、建物が建っていた
ところが更地になった変化を見つけた場合は、その土地の所有者を調べる。
そして、営業に行き、建(たて)貸(がし)の依頼を取るという。

その話にヒントを得た私は、私の地域に活用できないかと考えた。
普通に歩いているとじっくりチェックできない地域分析をビデオに残す
ことで、じっくり確認できると気づいた。そして、ビデオを撮っていった。
時間がある時は、ビデオを見ることで深く地域のことがわかるようになった。
空地、駐車場、どんなマンションで、管理会社はどこ、店舗の名前など
鮮明に私の脳裏に記憶された。すると、地域に何か変化があると、記憶
されているビデオの映像との違いに気づき、即座にわかる。ちょっとした
変化も見逃さない。

例えば、あるお店の看板が変わったとする。今までは気付かなかった
「お店が変わった」という情報に即座に察知することができるように
なった。地域のどんな動きも見逃さなくなったのだ。この土地は
○○不動産、このビルは△△不動産、この駐車場は□□不動産が管理…
ということがわかってきた。そして、ビルの外壁や看板、扉などの状態で、
新しいのか古いのかなども把握していった。「この会社は、扉や看板は
メンテナンスが悪い。もしかすると近い将来廃業し空室になり、賃貸
募集物件に変わるかもしれない。」新築のビルが建っていると、「その
ビルを扱う不動産会社は決まっているのだろうか?」といったことを
考えるようになっていった。


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「地域は金(きん)の山」。
しかし、これからこの地域にどのように関わっていくのかは、まだ
決めていなかった。


名刺について ~名刺は最初のカタログ~ 後編

■名刺表面もわかりやすく印象を与え、有効活用する事■
名刺の表面に少しでも空いている個所があれば、そこには
仕事の内容が一目でわかるキャッチコピーを掲載すること。
たくさんの字を入れるわけにはいかないので、一言で
わかるものを考える。「ハガキの販売は日本一」「鯵の
刺身を全国に販売」とか「高級中古車には自信があります」
など、一言入れると会社のイメージが伝わるだろう。

相手に与えたい会社の第一印象を名刺で伝える文章を盛り込む。
私は、3ヶ月で400の人と名刺交換をしている。月に100人以上の
人と名刺交換をするのだ。たくさんの名刺を交換する中でも、
覚えている名刺はある。そこにはきちんとキャッチコピーが
書かれている。

それ以外に印象に残る名刺は「色使い」。会社のカンパニー
カラーを名刺に入れている事。例えば、赤色をカンパニー
カラーにし、赤と黒のコントラストで忘れられない色合いにし、
できればキャラクター(犬や猫、アヒル、ウサギ等)を入れて
印象を付けている。


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会社のロゴも必ず必要。名刺交換した時に色、キャラクター、
キャッチコピー、会社のロゴは短い名刺交換の間でも、印象が
目から入ってくるもの。その会社やロゴ、キャッチコピーの
印象は一瞬だが、脳裏に残っているものだ。会社に帰って
もう一度名刺を見て、その瞬間に色やキャラクターから
イメージが蘇る。少しぐらい月日が経ったとしても、名刺を
見て名刺交換した場所、誰の紹介だったか、会合が始まる前に
交換したのか、会合の終わり頃に交換したなどの時間や顔、
場所まで思い出す。ある程度の事を、色やキャラクターや
会社のロゴが思い出させてくれる。

しかし、色使いもなく白地に黒といった何の変哲もない名刺は、
後でもう一度見た時に、不思議な事だが、何も浮かんでこない。
名刺の印象は、それだけ違うという事なのだ。もちろん、名刺に
印象や紹介者の名前、日付を貰った時に記入していれば、その
添え書きで思い出す場合はあるが、名刺を渡す側でしておかな
ければならない事だと私は考える。名刺が与える重要性を
考えると、今からでもよいので、ぜひ実行してもらいたいものだ。

■裏面も大切な営業ツールになる■
名刺の裏面も有効利用しなければもったいない!裏にはキャッチ
コピーを説明する内容を入れると、より具体的に伝わる。キャッチ
コピーも書いてなく、会社名がカタカナで何屋かわからない場合、
名刺をもらって行う行為は、裏を見ることだ。情報をもう少し
得たいと思った瞬間なのだ。どんな商品を扱っているのか、一番の
売りは何なのかを知りたくて裏面をみる。しかし、何も書いて
いない事がわかると、名刺をくれた相手が商業意識が低く、やる気が
ないのだろうと考えてしまう。

会合で名刺交換をしているのだから、何らかのきっかけでビジネスに
なればと考えているはず。しかし、訴えるものが名刺の表裏両面に
なければ、そこから話は進まない。それどころか話すきっかけづくりも
ないので、話がはずまない。その人とは話すことがないので、次の
人との名刺交換に走る。

表面のキャッチコピーや、裏面に何も書いてない名刺を渡した側も
ビジネスチャンスを探しに参加しているのに、名刺を渡した相手は
ビジネスチャンスがこの人にはないと判断されかねない。よって、
裏面には商品の説明を記入することをお勧めしたい。


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超繁盛店「スナック○○」は、スタッフ全員の名刺の裏に料金体系や
営業時間を書いている。その名刺をもらったお客様は、お店の金額を
確認し、自分の財布具合と合っているかを考え、リピートする。
料金体系以外にも20時~22時の2時間は貸切り利用可。その貸切りの
料金まで書いていた。一般的にスナックにお客様が来られる時間帯は
22時以降。それまでの時間はデッドタイム。その時間は価格を安くし
「貸切可」と書いてあり、その料金まで記載していた。私もそのお店に
行くが、いつも満席。店に入ることができない程、繁盛している。
正に名刺の裏を上手く利用して、ビジネスに繋げた素晴らしい例だ。

■まとめ■
名刺には、
1.写真を入れ
2.カンパニーカラーを使う
3.キャラクターを入れる
4.社名をロゴにし入れる
5.電話番号は大きく
6.キャッチコピーを入れる
7.名前には“ふりがな”を付ける
8.裏面は業務内容をわかりやすく入れる

上記を徹底する事で、名刺を渡すだけでビジネスチャンスが生まれる。
もし、あなたの名刺が上記のようでなければ、すぐに印刷屋を呼んで
作成したほうがよいだろう。


名刺について ~名刺は最初のカタログ~ 前編

■写真を載せよう■
名刺はお客様と初めて交わす自分のカタログ。自分の
服装や顔、体格も大切だが、名刺は残る。持ち帰って
もらい、もう一度自分を思い出してもらう、大切な
自分をアピールするカタログなのだ。
お客様は仕事を発注してくれる大切な人。その人に
持って帰ってもらい、自分の印象を残す為のもので
なくてはだめなのだ。


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名刺に書かれているアピール内容が少なくても、
私は写真を必ず掲載するべきであると考えている。
一度会っただけで、顔を覚えて貰おうなどと思って
いるのであれば、それは大きな間違いだ。

逆に名刺に写真を載せていれば、名刺を名刺ファイルに
残してもらっていれば、顔を覚えてもらえることにも
繋がる。名刺ファイルに入れてくれなくても、もう一度
会社名と一緒に顔を見てもらえるチャンスが生まれる。
ゴミ箱に行ってしまうとしても、捨てる前にもう一度
顔を覚えてもらえるチャンスがあるのだ。

そのチャンスが、写真を載せていない名刺にはない。
写真を載せる必要はないと会社や部署が言うかもしれない。
それは社長や部署の責任者が「載せたくないというエゴか、
商業意識がないのだろう。」と考える。また、写真を
載せる事により、渡す側は自分の分身と考え、心を込めて
渡すようになっていくのではないだろうか。上記のような
効果があるので、恥ずかしがらず写真を名刺に掲載して
ほしいと思う。もし会社が名刺に写真を掲載する事を
ダメというのなら、自費で作成してでも写真入りの名刺を
作ってほしい。

■電話番号は大きく■
名刺で大切なのは電話番号。電話番号が記載されてない
名刺はない。しかし、あなたの名刺はお客様へ渡した時、
電話番号がすぐにわかるようになっているだろうか。
お客様が電話しようと思った時、その時がチャンスなのだ。
電話番号を小さい字で載せていて、探しにくい名刺が実に
多い。電話しようとお客様が思った時、どこに電話番号が
書いてあるかわからず、名刺をじーっと見て探す。
名刺によっては、虫めがねで探さなければならないものも
ある。そんな名刺に意味があるのだろうか。

私達不動産業は高額な商品を扱っている。お金持ちは
高齢な人が多い。「お客様層が年配者なのだ。」と
いう事は、老眼の人がほとんど。私も老眼になって
わかったのだが、見やすい電話番号の大きさになって
いるだろうか、だ。
「老眼の人でも読めるような字の大きさにしていますか?」


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仕事を発注する時、特に初めてであれば、商品や業務内容に
不明な点も多い。電話してわからない点を質問しようと
考えるものだ。電話をかける時、電話番号の字が小さすぎて、
名刺に掲載されている番号が読めない。「どこに電話番号が
書いてあるか?」と探す。その手間は割と苦痛なのだ。

名刺がお客様をわずらわす為のものになってはならない。
以前は私も、電話番号について深くは考えていなかった。
しかし、ランチェスター経営の竹田先生に電話番号の
大切さを教えて頂き、名刺掲載の電話番号は大きくしている。
50歳が近くなってわかった事だが、小さい字が見えにくい。
印刷屋へ電話番号は特に大きな字で入れるように頼んでいる。

私はまだ老眼が始まったばかりだが、意識的に大きく掲載して
いない名刺の電話番号は、目をこらして見ないとわからない。
暗い所では読めない。電話をかけたいと思った時に、すぐ
かけられる大きさでなければ、本来の目的を達成しないのだ。
印刷屋へ、特別に電話番号だけ大きくして貰うように発注して
頂きたい。名刺は電話をかけやすい状況にしておくべきだ。

■苗字、名前には“ふりがな”を■
表面は顔写真、名前と役職、住所と電話番号、FAX番号、
Eメールアドレスなどを入れている。名刺を貰って、
よく私が聞く事がある。それは苗字と名前の呼び方。
難しい苗字や当て字になっている名前だ。「名字はなんと
読むのですか?」と聞く。会社へ電話をして「○○さん
お願いします。」という時に、苗字が読めない場合は、
電話する事がどれだけ大変かがわかっているからだ。
しかし、一般的に名刺を貰ってすぐ、苗字をお聞き
するのは失礼ではないのか?と少しためらう。特に、
年配者だとしたら気が引ける。また、名前も同じなのだ。
電話をかけた時に「鈴木さんはいらっしゃいますか?」と
言うと、電話口の女性が「鈴木は3名おりますが?」と
聞いてくる。その時に名前の読み方がわからないと
「難しい字の鈴木さん」と言うしかない。それでも
電話を取ったのが新米社員の場合はこれがわからず、
私の側もあたふたしてしまう。

なぜ名刺を貰った時に、名前の読み方を聞いてなかったの
だろうと後悔しきりなのだ。「苗字と名前に“ふりがな”を
付けていてくれれば簡単に取り次いでくれるのに…」と
思ってしまう。


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もらった名刺の苗字と名前が読めない場合は、その場で
“読みがな”をボールペンで書く。貰った名刺にすぐに
記入する事を心掛けている。しかし、本当は“読みがな”を
つけていてもらうと助かる。できるだけ聞くように心掛けては
いるが、聞くのを忘れた時のために、ぜひお願いしたい。
名刺を貰った時、電話する事がない相手だなという場合でも、
いつ、その人に電話するかはわからないのだ。


商品30% 営業70%

会社に、飛び込みでよく営業マンがやってくる。その営業マンは
「弊社の商品は素晴らしいのです。ぜひ購入して下さい。」と
必ず言う。私宛ての場合、時間があるときは会って話を聞く。
しかし、聞いても5分程度。営業マンが名刺交換を言ってきた
時は、すぐに名刺を渡し帰ってもらう。飛び込みで来た営業マンの
特性は自社の商品の良さをアピールすることのみを言ってくる。
私が、その商品を必要であろうとなかろうと「弊社の商品は
素晴らしいのです。ぜひ購入して下さい。」と言うのだ。
そんな営業方法でもたくさんの件数を訪問をすると、たまたま
その商品を探している人に出会い、その時に売れる。しかし、
かなり効率が悪い。営業の世界では、これを千三つ(センミツ)
と言う。千件回って3件は売れるという事だ。きっと利益は
出ないので、営業マン教育の為にやらせているのであろう、と
考えてしまう。


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営業活動を行う場合に私の持論は、商品30%営業70%。
どういう意味かと言うと「商品の良さでは売れない。商品よりも
大切なのは売る人。営業マン」なのだ。そうでなければ、商品が
よければ何でも売れるという事になる。人格や仕事に対する思い、
営業歴などの方が買う側には重要なのだ。営業する社員に対しては、
騙し売りではないのか?売りっぱなしではないのか?信頼できる人
なのか?買ったあとも対応してくれるか?購入後、商品の使い方
などの相談に対応してくれるのか?など、たくさんの疑問がある。
そこをクリアしないと買わない。一般的に見て、突然飛び込みを
してきて「商品が良いから買ってくれ!」と言っても買わない。
それが営業の基本と、私は考えている。しかし、良い商品であれば
売れると考えている人が多い。

売れる為には、自己のアピールが一番!自分を分かって頂く事。
商品の紹介は後でも構わない。それと買って頂く方の事を知る事
なのだ。

飛び込みで来た時に、商品の紹介はせずに、入ってくるなり
福一不動産の電話番号は、291-2103(フクイチフドウサン)。
「会社名と電話番号が一緒なのは珍しいですね!」
「全国的に見ても珍しいのでは?」
「どうやって取ってこれらのですか?教えて下さい」と
言われれば、私は自社の事なので、「それは…」と答える。
他にも「福一不動産と言う名前は福岡で一番と言う意味ですか?
教えて下さい。」と言われれば「それは…」と答える。他にも
「宮崎県出身の古川社長がなぜ福岡で始めたのですか?」
「苦労は無かったですか?」などと聞いて来れば、全て
「それは…」と、答えるだろう。最初から商品の話をしてくると、
押し売りであり、全くその商品の事を考えていなければ、聞き
たくないというボタンが入るが、自社の質問や私の事について
聞いてくると、答えざるを得ない。そして、真剣に聞いてくれると
「なかなか良い奴ではないか!」というボタンが入る。それから
商品の話をしても良い。商品については、話さなくても興味を
持てば自ずと聞いてくる。しかし、聞いて貰える環境を整え
なければ、話は始まらないのだ。


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よくある話だが、Aさんは「○○○」という車をインターネットで
見て、この車が自分に合っている。金額的にも、機能性の性能も、
価格も合っている。車の色も赤と決めた。後は、価格交渉と発注の
為に、いつ販売店に行くかだけなのだ。ある日、販売店へ買う気
満々でAさんは行った。これだけ買う気満々なので、意中の車を
注文して、納車を待つだけの形にして、帰ってくるだろうと思った。
しかし、販売店の営業マンが商品30%、営業70%を知らない場合は、
そうはいかない。商品説明をご理解頂くレベルまで、キチンとしないと
いけない。マニュアル通りに説明を終えてからでないと、注文へは
進めない。車の内容は熟知していて、すぐにでも購入したいAさんとの
温度差は歴然。Aさんが何を考え、何が目的で来ているのかはお構い
なしで、営業マンのペースで話が進む。そこで大切なのは、お客様が
何を考え、どうしたいのかだ。そこを察知してくれると買う側は思って
販売店へ行っているのだが、商品が一番と思っている人は気付かない。
商品が良いから売れると思っているからだ。買い側は、自分の意向を
認めて貰わないと購入には進まない。

この様な場合でも商品は30%営業マンの質が70%になる。お客様に
聞いて、聞いて、聴いてをし、お客様の意向をお聞きして、その
思いを理解する必要がある。理解すれば、何でもない問題だ。
正に「棚からぼたもち」だ。営業70%の重要性がわかる。


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全国的に有名な「めんたい会社」さんでのエピソード。
そこの「からし明太子」はとても美味しく、毎日お客様が並んでまで
買いに来て、飛ぶように売れていた。夕方5時には、在庫が全て売れて
しまう。めんたい会社の社員さんは、売れることをとても嬉しく思って
いた。しかし、毎日になると、夕方5時に売れてしまう事が当たり前に
なる。長い時間待って買えなかったお客様からもクレームを言われる。
毎日憂うつになった店員さん達は、並んで買えなかったお客様へ、横柄な
態度で「もう売り切れ。また、明日。」というような態度を取るように
なった。その態度がうわさになり、毎日並んでいたお客様が来なくなって
しました。これも、商品が一番と思っている人達が行ってしまう問題点だ。

商品は良くてはならない。しかし、いつでもウエイトは商品30%
営業70%なのだ。商品以外のものの方が大切だということである!


相手を承認する

コーチングの手法は、ほとんどがアクノリッジメント
(承認)である。相手を承認する事がコーチングなのだ。
私はコーチングの手法を勉強させて頂き、たくさん
気付く事があった。


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1.相槌
承認の方法として、簡単だが忘れてしまいがちな手法が相槌。
「聞いていますよ。」「分かってまいすよ。」と伝える事。
相手が話をしている時に、真剣に聞いていればいる程、相槌を
打たなくなる。しかし、話している方も真剣。相槌がないと
「聞いてくれていない。」「何を考えているのだ。」と思い、
話が止まる。しかし、聞く方は真剣に聞いていただけなのに。
話を聞く時に心掛けてほしいのが、首を振り、話の内容に
リズム良く首をふる事。私も講演を受けて壇上で話している時、
聞いてくれているのか確認している。しかし、相槌を打って
聞いてくれている人はあまりいない。話をしている私の方を
見てくれている人もいない事も多い。話をしている側としては、
「聞いていくれているのか、分からない」「面白くない話なの
かな?」と頭によぎった時点で、講演の内容までが、暗く
伝わってしまいがちだ。それに比べ、最前列の人が、何人も
私の顔を見て相槌を打ってくれると、話も弾み、もっと伝え
たいと思う。それは、皆に共通な事だ。相槌を打って聞いて
いる態度を伝える事は、話を聞く上でとても重要な事なのだ。
そして、相手を承認する事に繋がるのだ。


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2.リフレイン
コーチングの手法では、一番簡単で使いやすいもの。相手の
言った言葉をもう一度言う。A君が「今のままでは、いけない
のです。」と言う。私が「今のままではいけないのですね?」
と、相手の言葉をもう一度繰り返す。人は自分を認めてほしい
もの。ほとんどの人が、承認を求めている。認めて貰いたくて
意見を言うのだ。この場合も、A君が「今のままでは、いけない
のです。」と言っている自分が「今のままではいけないと
気付いた」という事を分かって欲しくて言っているのだ。
しかし、もし私がこの言葉をリフレインせずに、次の言葉を
発すると、A君はその言葉を承認してくれていないと考え、話が
おかしくなる。普通に考えると「何が今のままではいけないの
ですか?」と聞きたくなるが、そう言うとA君は、自分の意見を
分かってくれない。「何が、ではないだろう!」と激怒する
場合もあるのだ。一度「今までのままではいけないのですね」
と、リフレインをすれば、A君は、自分の言った事が伝わった、
承認されたと考え、話が次に行くのだ。
もっと言えば、A君が「今のままでは、いけないのです」と
言った後に、次の展開まで頭がいき「違うだろう」などと
言ってしまったら、身も蓋もない。目も当てられない状況に
なる。私も、よくこのような事をしてしまい、話し合いが
話し合いでなくなる事がある。失敗したと反省する。本当の
目的が話し合いにあると考え、どんどん意見を出し合いたい
ところなのだが、相手の言葉を一度リフレインし、「言って
いる言葉は理解している。」と返さないければ、話し合いは
繋がらない。


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私が逆の場合でも、話がスムーズに行く相手は、リフレインを
無意識でやってくれているからかも知れない。
また、上司として部下の意見を聞く場合にもリフレインは有効
なのだ。例えばB君が「今月は売上が上がらないのですが」と
言う。上司である私が「なんとかして上げろ」とか「ダメじゃ
ないか」と切り出すと、話は終わってしまう。B君は、私が
言いたい上記の言葉を言われるだろうと分かっていて「今月は
売上が上がらないのですが」と言ってきてるのだが、「なんとか
して上げろ」とか「ダメじゃないか」と言われると、私に対して
自分の事しか考えていない。B君の事は、何も分かっていないと
思いこんでしまう。そこを、「今月は売上が上がらないんだ」と
リフレインする事で、B君は売上に苦しむ自分を分かってくれたと
判断する。それからの話は、B君を一度承認しているのでスムーズ
になる。

もうひとつリフレインの例がある。C君が私に「社長の考えは間違って
います」と大変失礼なことを言ってきたとする。この場合、C君に
「失礼だろう!」と、つい大きな声で言ってしまうと、これも同じで
C君の意見は却下されたと感じ、話し合いにはならない。
しかし、「社長の考えは間違っているのだ」とリフレインすると、
間違っていると言うことを承認する訳ではないが、C君の問題定義を
社長は耳にした、内容や意見を聞いてみようという事になる。失礼な
言葉を発した部下や社員でも、発した言葉をリフレインする事により、
本意を聞く事ができる。また、どんな場合でも話し合いがスムーズに
行く。そして、上司である方々に対し、部下からは、懐が大きく
見えるので一石二鳥の手法なのだ。リフレインは、相手との話を
スムーズにする、一番簡単な手法。使わない手は無い!


目標設定 ~なぜ仕事をしているかは目標設定にある~ その3

最終結論 社会奉仕

目標達成意欲の一番にするのは、会社と個人が社会
奉仕を行う事。社会奉仕ができる企業でなければ、
会社は大きくならない。社長の目的は、私欲を
肥やす事であってはならない。また、社員も自分の
給与が貰えれば、それで良いとは思わない。

会社は利益を出すことで生きている。その利益を
たくさん出す為には、会社と社員が一丸となって
業務に打ち込む必要がある。その気持ちを大きく
する為には、会社ぐるみで、利益を惜しむ事なく
社会へ奉仕する事なのだ。


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織田信長が、天下統一を目標に、戦国時代に戦を
行った。本やテレビでは、信長は「うつけ者」だった
とか「変わり者」だったとか、面白おかしく描写して
いる。しかし、冷静に考えてみると、生まれた時から
大名家に生まれ、何不自由ない生活を送っていたのだ。
恵まれた環境を壊さず、大名家を継いでいればよかった
のではないだろうか。そんな良い所のボンボンが天下
統一を目論み、生死を掛けた合戦を何度も繰り広げた。
その気持ちや目標は、良い日本にしたいと考えたからに
他ならない。
西郷隆盛も同じ。250年続いた徳川幕府を倒し、明治
新政府を作った。日本を良い国にしたいと心から思い、
国を変えたのだ。
国を変える事を考え、高いモティベーションでたくさんの
方に賛同してもらい、社会奉仕をしたのだと私は考える。

小さな会社を経営している私。織田信長や西郷隆盛の
ように、日本を変えるような大それた事はできなくても、
何か世の中の為に役立つ事をやってみたい!

弊社は中洲の不動産屋。日本を変える力はないが、
中洲を日本一の歓楽街にする事を、私のライフワーク
として考えていきたい。外からはわからないが、中洲
にもたくさんの問題がある。その問題を、私や社員の
力で解決していきたい。また、利益を上げ、この地域
発展の為に奉仕活動を社員と一緒にやっていきたい。


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中洲には、30年続いている「中洲まつり」がある。
まつりのメインイベントは「國廣女神輿」。女性
社員全員とその友達が参加し、中洲を盛り上げようと
頑張っている。まつりには、男性社員も協力し、社員
全員で中洲活性化の為に尽力している。まつりへの
参加は小さな事だが、社員とできる奉仕を、これからも
やっていきたい。

人生の目標は、会社が発展し、地域に無くてはならない
会社になり、利益を上げる事。そして社会奉仕なのだ。


目標設定 ~なぜ仕事をしているかは目標設定にある~ その2

将来は自分でつくるもの

自分の将来を会社に期待する人は多い。この会社に居れば、
自分の将来は大丈夫と考えた、他力本願的な人。大企業に
就職すれば、将来は約束されている。有名高校を卒業し、
一流大学へ進学。上場企業へ就職。就職安泰と思われる
道を目指す。親も子供もそれが一番と考え、子供は勉強し、
親は塾を探し、役立つ参考書を買ってやる。しかし、人生の
目標はそんな事なのだろうか。そこに正しい生き方があるのか。


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しかし、人の事は言えない。私は地元の県立高校を卒業し、
親から有名大学進学する事が一番と言われ、言う通りに受験。
全ての大学受験で失敗。高校3年の3月中旬には、進学を
諦めていた。母親が2次募集を応募している3流大学を見つけ、
その大学へ進学。当時は夢も希望もなかった。
大学3年から就職活動に入り、建築課だったので、たくさんの
大手建設会社へ面接に行くが全て不採用。そこでも挫折。
仕方なくマンション会社へ就職。そして12年後、バブル崩壊と
ともに会社は倒産。「俺ってなんてついていないのだ!」と
心から思った。世間一般から見れば間違いなく落ちこぼれ。


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しかし裸一巻で起業!リストラにあってから15年。
現在の私は、会社を経営している。目標を決め日々孤軍
奮闘中。そんな私から言える事は、自分の将来を決め、
それを年単位で分け、6ヶ月にし、3ヶ月単位、週単位、
今日という1日に分けて頑張っている。そこに、大学や
会社がしてくれる事はないのだ。
将来は自分でつくるもの。卒業した大学は、上場企業へ
就職させてくれたが、将来は作ってくれない。作るのは
自分。上場企業に就職しても将来は決めてくれない。


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人生は「良いところへ就職できるから?」「他人に誇らしげに
言えるから?」そんなものは将来の目標ではない。約束されて
いるのは、ある一定の給与。給与も大事だが、どんな人間に
なるかが重要課題なのだ。大学も会社も、全ての人を成長
させて素晴らしい人間にはしてくれない。目指すものを
自分で掲げ、日々行う事なのだ!


目標設定 ~なぜ仕事をしているかは目標設定にある~ その1

~仕事をする目的~
新規採用社員を面接する場合に、必ず次の事を最後に
聞く。「君の人生の目標は?」と、私は聞く様にしている。
面接に来たほとんど方が、「御社に採用して頂いたら、
社員の皆さんに認めて頂ける社員になりたい」と答える。
「具体的には?」と意地悪な質問をすると、なかなか
答えは返ってこない。それが標準。それで良いと思う。
しかし、採用通知を出し入社したからには、その目標を
より具体的に考えてもらう事にしている。入社1週間は
研修。会社のモットーや目指しているもの経営理念、
会社が存在する意義等についてみっちり教えて行く。


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その後、部署へ配属。部署が決まり業務内容が決定する。
1ヶ月間は業務に慣れてもらう。1ヶ月後、採用した社員の
1年間個人目標を作成してもらう。目標を字にして、書く
事により決意が決まる。書く事により残る。その目標を
何回も見戻す事で、目標へ向かって照準が定まる。
しかし、日々状況は変わるので、書いている事とは違う
方向へ行く事もしばしばである。
そのような社員に対し、私たち上司はその目標設定を
遂行してもらう為に、その社員が目標を見失う事なく
達成する為に努力する。社員の碇の役目を担っている。
常々思うことだが、成長と言うものは、1日1日、自分の
器を意識し、すり切りいっぱいの水を入れるまで、誠心
誠意業務を行って行く事によって、その人の器は大きく
なって行くもの。器の70%や50%の水を入れていては
成長はない。他の社員に認めて貰えるような人間には
ならない。すり切りいっぱいに業務する事により、
成長があり、社員から承認して貰えると思う。その事を
心に持ち、業務にあたってもらう事を社員の目標と
してもらう。


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新入社員は、夢を描き期待を持って入社する。
しかし、会社が自分を変えてくれるものと考えているかも
しれないが、会社が本人のやる気を文章にしてもらい、
その目標を達成する手伝いをするだけで、本人が自分で
作っていくものなのだ。

トップセールスマンは 後編

前日のブログの続きになります。
http://www.2912103.co.jp/nakasu/diary/201002160000/

『マイハガキ』を真ん中から折り、立体的にして、
お客様の机の上に置いてもらうようにお願いする。
できるだけ印象をつける事が大切。飛び込み営業の
場合、お客様が会ってくれる確立は10%程度だろう。
会えない場合は、このハガキが一番インパクトが
あるものだと私は考えている。

ハガキを置いてきたら、すぐに電話をかけて、
お客様にコンタクトをいただく時間を聞く。
この場合もハガキは効果絶大。80%の方は
コンタクトの時間を取ってくれる。どうしても
会って頂けない場合は、出勤時間が早い人だったら、
朝会いに行くとよい。そのお客様のファンなので、
ストーカー的に会う瞬間を探す。「そこまですると、
逆に嫌われるのではないか?」と考える方も多い
かもしれない。しかし、嫌われてもOKなのだ。会う
ことができなければ、スタートしない。それでも
会ってもらえない場合は、一旦休止。会える場面を
考え、再チャレンジする。

会うことができたら、聞いて聞いて聴くことが大切。
自分の話は決してしてはならない。ホームページと
ブログを見て準備した質問項目を、心からファンに
なったつもりで、目を光らせて聴く。この為の時間は
いくらかけても大丈夫。先方がもういいと言うまで
聞きまくる。


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自分のファンになってもらって、嫌な人はいない。
人は、自分が認められることが一番心地よい。

準備した質問項目が終了したら、名刺を隅々まで見て
質問する。質問の仕方は、例えば、セールスマンの
出身地がお客様と同じ「宮崎県出身」としても
「自分も宮崎なんですよ!」とこちらからは言わない。
質問できる項目のアイテムが増えたと思うこと。
「宮崎のことは自分も詳しい」と考えると、質問できる
項目が、そこが出身ではない人の2から3倍増えるはずだ。
聞くことが増えるのは、営業をする上で、とても大切な
ことなのだ。

出身地を聞かれれば、答えない訳にはいかないが、
知っている項目が出ても、なるべく知っているとは
言わず、質問に変えていく。

お客様の方が営業力が高く、質問も上手い場合があるので、
営業マンが自分の話をするといつの間にか、質問を受けて
どんどん自分の話をしてしまいがち。それでは何をしに
来たのかわからなくなってしまう。お客様へ質問をして
答えてもらう。質問と回答の割合は質問20%回答80%
程度で行い、2時間~3時間、お客様のファンという姿勢で
臨む。

回答して頂く事が知っている事でも「知っています」とは
言わない。知らなかったとは言えないが、「勉強になり
ます!」と言い、もっともっと聴いていく。聞いて、聞いて、
聴いてを続けるとお客様は満足する。自分のファンより
承認を受け、楽しくなり、満足する。その満足の瞬間は
顔でわかる。そして、その満足した瞬間、お客様は
セールスマンのファンに変わる。その瞬間が大切。

お客様の耳は営業マンの話を聞きたくて、聞きたくて
たまらなくなっている。その時にお客様へ初めて自分の
商品を説明する。聞く耳を持ってくれているので、
商品への理解も早く、営業マンへの信頼も高くなって
いる。セールスマンへ何か、お返しをしたいと思って
いる。商品を必要としているかどうかもわかる。買うか
買わないかの結論も早い。そこで、何かしてあげたいと
思う心にアタックする。

クロージングはこの瞬間に行うもの。これが、成約への
一番の近道であると私は考える。


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トップセールスマンへの一番の近道である!


トップセールスマンは 前編

~ 聞いて聞いて聴いてを行う ~

営業を行う上で必要なことがある。知っておくと
売上が倍~3倍と違うはずだ。

営業をするとき、絶対に覚えなければならないのが
商品30%、営業70%。商品のウエイトは30%のみ。
商品を売る営業マンによって変わるということ。
それがトップセールスマン。

トヨタでも日本生命でも、トップセールスマンはいる。
しかし、販売する商品は一緒。という事は「売る人の
違い」。


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会社では、商品の良さを中心に教えられる。どうしても
商品の良さをアピールしたくなるが、商品は2の次でいい。
では「何を売るのか?」それは「自分」。
すなわち自分自身なのだが、突然会いに行って営業マン
自身をアピールしようとしても、お客様のほとんどが
何も聞いてくれないだろう。出身地は… 高校は…
大学は…趣味は… 好きな言葉は…と言い出しても、
先方にとっては不愉快なだけ。

では、どうすればよいのだろうか。それは簡単なこと。
「お客様の事を聞くこと」それだけなのだ。
一番大切なのは、自分自身がお客様のファンになり
「お客様のことを知りたい!」と思うこと。

そのためには下準備が大切。「知りたい」と思っている
訳だから、会社のホームページは絶対に見ること。
できれば隅々まで見ることで、その会社について、
ある程度の知識がついてくる。会社の特性や特徴、
社長の考え方、創業年数、売上高、社員数、売りの
商品は何か?がわかってくる。ホームページを見て、
概要がわかったところで、お客様に会った時に質問する
項目を考える。ファンとして、聞きたい事を最優先する。

先方が答えにくい内容は排除し、お客様が自慢できる事、
今取り組んでいることや苦労話を中心に話したくなる
項目を選び準備する。また、ブログがあればそれも見る。
ブログを隅々まで読む。ブログはその方の私生活や日頃の
行動が記載されているので、ファンになるのはこれを活用
するのが一番。有名アイドルタレントのブログにアクセス
する理由のほとんどが、そのアイドルタレントのファンで
ある。それと同じ。

一般的に、自分のファンになってもらって、嬉しくない人は
いない。逆に、自分のことをよく知ってくれる人には好感を
持つものだ。ここが重要!


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自分のこと聞いてくれる。知ってくれる。よりよい理解者を
人は求めるもの。そして、その人を信頼できると思うように
なるのだ。

そして、データーをインプットした時点で、会いに行って
みよう。この場合、初めてでも先方にできるだけ事前に
時間を取ってもらい、会いに行く。どうしても、連絡が
取れそうにない場合は、何も持たず、ただ飛び込みで訪問
するのではなく、自社の商品をアピールするパンフレットと
先方に印象を与えるツールを持って行くのがよい。会えなく
ても渡せるものを準備すること。

私は、『マイハガキ』を使う。それも立体的のなるハガキを
使う。名刺に文章を書き入れるのも一つの方法だが、私は
似顔絵ハガキを使うのだ。

上半分にあいさつ文を書けるようになっていて、下半分には
似顔絵が書いてある。似顔絵80%と20%が会社の住所や
電話番号、携帯番号になっている。(※携帯番号を入れて
おくと、先方が興味を持っていれば、直接電話をしてくれる
場合がある。)


一騎打ち戦の施工

中洲にテリトリーを決めて最初にやったことは、接近戦と
一騎打ち戦だ。ランチェスター経営の竹田先生が言う。
「弱者は、接近戦と一騎打ち戦しかやってはいけない。
間違っても間隔戦や空中戦はしてはいけない。間隔戦や
空中戦は強者のやること」と、起業して間もない頃
購入したランチェスター経営さんのテープが何回も
言っていた。
その教え通り、看板やチラシのぼりにて一騎打ち戦を
決行した。(それは後でお話しします。)
看板、チラシ、のぼりの他にも一騎打ち戦を行った。
何しろ、地域を限定して営業活動をしようと決めた以上、
決めた地域の方々に私達の存在を分かって頂き、信用して
もらい、大事な財産である所有不動産を、私達へ預けて
もらわなければならない。そのために行ったのは、
いろんな会合へ参加すること。地域の方が多く出る
会合へは、できる限り参加した。


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博多法人会。ライオンズクラブ。時事連合会。地域の
小学校、中学校。中洲連合会。中小企業同友会。
商工会議所。宅建協会など…。最初はどんな会合なのか
わからなかったが、参加することに意義があると考え参加。
担当を社員の部長と分け、女性が行った方が良い会合は
彼女に行って貰っていた。二人三脚をする日々だった。
私は基本的にお酒が飲めない。上記の会合は、ほとんどが夜。
それも懇親会がある。ほぼ飲み会。お酒は飲めないが、
少しでも多く知り合いになっていく事が私の目的。
「福一不動産の古川と申します。よろしくお願いします。」と
ビール瓶を持って各テーブルを回った。ビールをお注ぎすると、
2人に1人はご返杯をして頂く。ご返杯頂いたビールは、必ず
飲み干してお返ししなければならない。飲み干すまで、次の
方へは行けないのだ。
酒に弱い私は、当時会合が終了すると、酔い過ぎてフラフラに
なっているか、トイレで吐いていた。
懇親会の後、スナックなどに行くことがある。最初は断る事が
できず、一緒に行っていた。今思えば、フラフラなのだから
断ればよかったのだが、使命感で行っていた。
スナックに歩いて行くのがやっと。着くと気分が悪く、店内に
居れない。お酒を飲み過ぎているので、睡魔が襲ってくる。
階段で1時間ぐらい寝ている事がよくあった。
そんな毎日だったが、「地域の方々へ認知頂く事が大切なのだ」
という使命感だけがあった。
上記の会合へは参加するだけではなく、誰よりも早く私を
覚えてもらう作戦として、私が考えたことがある。それは、
その会合の役員を受ける事。一般的に、どの会合も役員不足。
役員改正の時期には、やり手が少なく運営側は困っているもの。
「私で良かったら…」と名乗りを上げる。新参者の私を見て
「あいつは誰だ?」と言う方々ばかり。しかし、役員を受けると
頑張り様によって、「古川君は頑張っているね!」と、いち早く
認めてもらえる。そのスピードでやらないと会社が潰れると
思っていた。


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また、限定した地域は旧博多部、祭りが多いところ。
博多どんたく、博多祇園山笠、おくんち、夫婦恵比寿、
中洲まつりなどのまつりがある。まつりは会合よりも、
こころが熱い。特にこの博多部では、山笠に参加しているか
どうかは大きい。33歳で独立した私だが、35歳から山笠へ
参加することになった。山笠へ参加すると、「博多どんたく」も
「おくんち」も繋がっている。山笠は縦社会。参加年数で
立場が決まる。初参加の私は年齢は35歳でも新人。山笠運営の
しくみは全く分からない。高校生であろうと先輩の指示を受ける。
「グラス持ってこい」とか「ビール持ってこい」などと言われ、
走らなければならない。
山笠は体育会系。頭を叩かれ、顔を殴られ怒られる。35歳の
私は、山笠に馴染むまで、かなりの時間がかかった。山笠が
動き出すと、体育会系というより体力勝負。その後が直会
(その日の打ち上げ)参加者の懇親会のようなもの。そこで、
ビールの早飲み大会がある。酒に弱い私は毎回負け。上の
人たちが「古川もういいぞ!」と言われるまで、何杯でも
コップのビールを一気飲みをさせられる。毎日5杯以上。
多い時は、10杯程のビールを一気飲みする。5キロを走り、
その後の直良いで、ビールをたくさん飲み、酔ってフラフラの
日々だった。
山笠では、地下足袋を履いて、アスファルトの上を走り回る。
地下足袋は裸足に近い。膝が痛くて、毎日アイスノンを脚に
巻いて冷やす日々だった。
こんなキツイ山笠だが、毎年参加する事により、地域の方へ
顔を売っていけるというメリットは強烈な効果があった。
山笠に出てないと話にならない地域なのだ。
一騎打ち戦は、人間そのもので、いろんな人たちに会っていき、
認めてもらうことだと私は思っている。この、昔ながらの
手法ではあるが、効果は絶大だった。役員を受け急速に
近づいていくことも効果が高い。起業する方には、一番良い
営業方法だと私は思っている。


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その場合、お酒が飲めるとより良いでしょう。



株式会社やずやの矢頭社長との出会い 後編

経営計画書の4ページの最初「経営理念」とか「経営指針」は、
今使っている経営計画書にも入っている。内容は、ほとんど
一緒だ。それぐらい、そのときに発起して書いた事が、今でも
やっていかなきゃいけないものになっている。だから経営計画書は
絶対に書かなきゃいけない。経営をする上で、絶対に必要なものだ。
経営計画書は目標設定すること。経営者は、目標設定をしない
訳にはいかない。


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福一不動産の経営計画書の表紙には絵が描いてある。これは
ビジュアリゼーションというもの。「中洲を日本一の歓楽街に
します」というのが、弊社の目標だ。それをイメージし
「みんなで楽しくなる」絵なのだ。中洲を撮った写真を
絵にしたものだ。

これに私の似顔絵と社員全員の似顔絵が入っている。この絵を社員と
見て、我々のビジネス目標が「中洲を日本一の歓楽街にしよう!」と
いうことで確定したものになった。私はその絵をみるといつも
「ニヤッ!」としてしまうのだ。これを社員全員に渡し、経営計画書の
表紙にカラーで印刷し入れている。

朝、それを持って朝礼に臨む。この表紙を見て目標を確認し、次の
ページの「経営理念」を社員全員で唱和する。絵にするとイメージ
しやすい。絵の中心に弊社の看板がある。しかし、本当はここに弊社の
看板はない。これは「中洲ネオンの中心に、弊社の看板を掲載したい」
という社員全員の思い。「看板を置けるぐらいの会社になりたい」と
いう夢がここに入っている。ビジュアリゼーションをし、経営計画書に
加えているのだ。


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平成9年の12月、1ヶ月かかり、経営計画書を書き終えた。年商750万円の
会社だが、給料1000万円とらないといけない。頑張らねば!そのためには
目標をキチンと書いて記録すること。次の年の4月から、売り上げを300万円
上げると私は設定した。「絶対に300万円売れ!」と自分に言い聞かせた。
年商750万円。月60万円平均だったが、平成10年の4月から300万円以上を
売り上げると書いた。書くと実現する。4月からは、300万円を下回った
売り上げは出でなかった。

やずやの社長が「書きなさい。書くと必ずそうなるんだ!」と言ってくれた。
私は書いた。そうしたら、見事その通りになった。経営計画書を書くという
のは、すごくいい事なのだ。

現在、社員10人、パート5人で、合計15人。パートにも目標を書いてもらって
いる。そして、全員がもつ経営計画書の中に入れている。「1ページ自分の
目標を書きなさい。どんな事でもいいよ。」といって書かせる。どんな事
でも、書いてくれている。

経営計画書の内容は随時差し替えている。3ヶ月に一回、新しい経営計画書の
変更を社員全員に渡している。そして社員といろいろなことを話している。
「今年中に宅建を取ります。」「売り上げ目標をクリアし、上の役職に
上がりたい。」など。私は「好きなように書いて良い。」と言っている。

毎日、朝礼で経営計画書を読んでいる。「お客様への方針」や「経営理念」
などを大きな声を出し、社員全員で唱和してます。社員はもちろん、パートの
個人目標も読んでいる。全員の前で読むと、その目標を再確認できるのだ。
パート社員でも、12ヶ月間の業務目標を数字や具体的な業務に落とし込み、
わかりやすく記入し、自分の業務の簡素化や、お客様のためにできること、
会社発展のためにできることを記入し経営計画書へ入れている。
また、その業務の確認のために朝礼で発表もしている。

経営計画書は全員のもの。目標を文章にして残すということ。それは誰に
とっても大切なこと。社員に書いてもらったものも、書いて貰うとその
通りになる。ならなかった時には「くやしかったね、どうすればいいか。」
と、社員と話し合う。目標を書いていなければ、何にも見えない。口で
言ったものは、消えてなくなる。書くと残るのだ。みんなで見るものを
残すと、みんなが見ているから、ごまかすことができない。ぜひ書いて
もらいたいと思う。


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矢頭宣男社長には「1000万円取れ!」「目標は書け!」と言われた。
竹田先生の20万円のテープは「長距離はダメだ!」と言われた。
「『商品、地域、客層』を限定しろ!」という。

新築マンションの販売は請けたが、売上は下がる一方。竹田先生の理論に
反する経営をしているのは、明白。ここは清水の舞台から飛び降りた思いで、
地域を限定した。



株式会社やずやの矢頭社長との出会い 前編

「竹田理論は間違いない!」と思いながらも思いきれなかった
私がいた。そしてもう1人の恩人との出会いがあった。それは、
やずやの創設者、矢頭(やず)宣男(のぶお)社長と出会いだ。
この方も中小企業家同友会で知り合った。

偶然だが、ランチェスター経営の竹田先生も、同じ中小起業家
同友会の同じ支部だった。最初はあまり話もできなかった社長。
偉い方で「私の名前など覚えて頂く事もないだろう」と思っていた。

平成9年の11月と12月に矢頭社長が主催された「21世紀生き残り
セミナー」という勉強会があった。やずやはすごく伸びている
会社。勉強会に参加すれば、「矢頭社長の経営論も学べるかも
しれない!」と思い、参加することにした。
平成9年11月。勉強会の最初に「社長をしている人たちは、会社を
経営するのだったら、年収1000万円はとらんと辞めたがいいよ」と
言われた。私にとっては衝撃的な言葉だった!


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そのころ、私は年商が750万円。年収は200万円以下。
「年収1000万円とらなければいかん!」と言われて「自分はどう
なのだ?」と自問自答した。当時の私は、妻の貯金で暮らしていた。
あまり給料も入れてなかった。年商どころじゃなくて、家族が生活
することのできる年収もなし。ギリギリの生活だった。「1000万円の
年収がとれないなら、サラリーマンに戻れ!」と言われた。
「どうしようかなぁ?」と本当に思った。

それを聞いて、最初50人ぐらいいた参加者が、次の回には15人ぐらいに
なった。なにしろその話を聞いて「会社の決算書を持って来い!」と
言われて、売り上げがどのくらい、粗利は、経常利益は、自己資本率は、
とたくさんの数字を書かされた。それで「年商いくらぐらいですか?」と
聞かれるのだ。

参加者は1億円とか、少なくても何千万円だった。ここで750万円と
いうのがすごく恥ずかしくて仕方なかった。もちろん、その時は私が
1番少なかった。私にはとても厳しく、自分の現状を鏡に写され、
それをじっくりと見ることのできる勉強会だった。


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矢頭社長は言う。私の方を見て「不動産屋って契約するまでは『これ
絶対いい物件ですから!』とかいって、ぺこぺこ頭を下げて『間違いない
ですよ!』というが、手付契約(売買代金の20%をもらい仮契約すること)
が終了すると『あなたは、買わなければ仕方ありませんね!』という。
買わなければ手付金約20%が戻らないこと、放棄はできないだろうと
知っているからだ。」「そんな態度だから、不動産屋ってイメージが
よくない。」といわれ「ああ、そう言われたらそうなのかもしれない
なぁ。」と私は自分の仕事を垣間見ることができた。

そして自分が12年間大手マンションデベロッパーで学んできたことが、
世間一般では通用しないという事がわかり、なんだか自信がなくなって
きた。他にも、矢頭社長にも、たくさんの一般と不動産会社のギャップを
教えて頂いた。歯を食いしばり参加していたが、どうしていけばいいのか
解からなくなりそうだったのだ。

勉強会では「経営計画書」作成があった。この書面を作成することで、
私の考えが変わったのだ。「経営計画書」とは何か。これは、会社の
指針書なのだ。「今年どれぐらい売り上げをあげる。」などを書いた
紙の事だ。今年どうする、例えば10年後はこういう風な会社にしたい。
例えば、朝、朝礼で唱和する会社の経営理念などが、書いてある紙だ。
1枚でもいい。なにしろ計画を立てて、文章に残すのだ。矢頭社長は
「あまり深く考えなくてもいい。何しろ、それを書きなさい。」と
言った。参加者全員、4ページものの経営計画書を書いた。

今でも、経営計画書は手帳の中に入れている。現在は60ページぐらいの
ものになっている。10年程で、毎年書き足して60ページになった。
当時は4ページ作るのも大変だった。4ページで作りなさいと言われて、
必死に作った。


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そのときに書いてみて「どれだけ私が考えていないか」に気がついた。
「会社の将来のことをどうしたい?」「売上は?」「社員数は?」
「事務所は?」「中心商品は?」「ターゲットとするお客様は?」
「どういう風に仕事をやっていく?」「どんなビジネス展開をやって
いくのか?」「どういう信念でやっていくか?」というのが
わからないので書けない。決めていないので書けないのだ。
「書けないのは、まずい!」と思い、4ページ必死に書いた。


e中洲ドットコム ~お客様の喜んで頂くために!~

福一不動産は13年間、中洲スナック、クラブの
賃貸紹介をやってきました。
お客様に事務所へご来店頂き、物件をご紹介します。
営業社員がいくつか物件を選定し、案内します。
その中から、お客様のお気に入りの物件が決まり、
契約を頂きます。ご契約後ご入店。そしてオープン。
オープンまでには、行政への営業許可申請があります。
その仕事も一緒に行います。開店までの業務は、思った
よりも大変なものです。オープンまでこぎつけると、
お客様も営業マンも一安心!ここまでが私たちの仕事です。
お客様と一緒になり、真剣に仕事をさせて頂いています。

しかし、オープンまでたどり着くと、私たちとお客様の
ご縁は一旦終わってしまいます。その後は、営業社員が
時々、お客さんとして、そのお店にお伺いします。お店へ
伺う1回分の金額が高い為、お客さんとしてお伺いするのも
頻繁には難しいのが現状。一般的に、不動産会社が行う
業務はここまでです。しかし、それだけで中洲の発展に
貢献しているのだろうか?と私は常々思っていました。
お店側の正念場はオープンしてからなのです!「お客様が
毎日来てくれるのだろうか?」と考える日々が続きます。
お客様が定期的にお店に来て頂かないと、オープンしても
すぐに閉店へ追い込まれてしまいます。そこで、オープン
してからもお手伝いをしたいと考えました。開店後からが
本当に大変なのです!


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お店の特性や、売りを公開していくお手伝いを思い付き、
お客様に来て頂けるようにと考えたのが『e中洲ドット
コム』です。
http://www.enakasu.com/pc/index.php


『e中洲ドットコム』では携帯用サイトとパソコン用
サイトの両方でお店を紹介しています。掲載内容は
1.セット料金 、2.席数、3.店休日、4.ボトルの値段、
5.店内写真、6.女の子の写真、7.お店の地図…と
お店の特性を広く、多くのお客様へ情報提供を行って
います。

ホームページにて紹介をやってみてわかった事ですが、
ホームページで歓楽街店舗の紹介をするインターネット
サイトは、全国的にも珍しいのです。理由は、現地に
「紹介所」があるからです。

また、飲みに行くお客様が「良い店だな!」といくら
思っても、お酒を飲みながら食事をして、その後、
ほろ酔い気分で行くところがスナック、クラブ。その
ような状況で行くので、一度だけ行ったお店の場所など
なかなか覚えていません。店の名前は忘れてしまう事も
多いでしょう。次の機会で、そのお店へ行きたくても、
行けないのが現状なのです。
それを打破するために『e中洲ドットコム』を考えました。
携帯に、来店したお店をブックマークする事により、地図
にてお店の場所がわかり、再来店しやすくなります。

私たちは賃貸募集中のお店に、ご入店頂くのが本業。
『e中洲ドットコム』の利用により、繁盛店が増え、中洲の
空き店舗の入店率が100%になる事が一番の願いです。
繁盛する店が増えれば自ずと2店舗目、3店舗目を出す時、
当社へリピートして頂きたいと考えています。

全国をまわってわかった事があります。東京の歌舞伎町でも、
札幌のすすきのでも、大阪の難波でも、全国のどの歓楽街でも
スナック・クラブを紹介する総合ホームページはありません。

「なぜないのか?」 それは、お店の紹介所があるからです。
この紹介所でのお店探しが一般的です。お客様1人あたりの
単価が高いので、紹介手数料がたくさん取れます。だから、
紹介所は歓楽街内の賃料の高い場所(家賃の高い1階の店舗)
でも運営ができるのです。効率もよく、大きな収入源に
なるのです。逆に総合ホームページがある事によって、直接
お店へ行かれると、紹介料が取れなくなるので、できるだけ
お店の詳細な金額はわからないようにしています。
ある意味『e中洲ドットコム』は、歓楽街では、常識と思われる
紹介所と逆の方法で店を支援しているのです。


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しかし『e中洲ドットコム』は中洲に飲みに行くお客様に
とっても、下調べをする事ができ、お店の正規金額の
情報が入手でき「ぐるなび」と同じように一般の方が、
安心してお店に行く事ができます。お店側としても、
お客様に直接来て頂けて金額が表示することができ、
金額を付加した紹介所を利用しなくてもいいのです。
よって、リピートにも繋がります。更に、『e中洲ドット
コム』は福岡市内ホテルのコンシェルジェとも提携を
しているので、宿泊客より相談があった場合には『e中洲
ドットコム』掲載店をご紹介頂いています。

『e中洲ドットコム』掲載店舗の紹介パンフレットも作成し、
一般ホテルにも置いてもらい、福岡に来られた宿泊客に、
中洲へ行ってもらうようにしています。全国の歓楽街より、
中洲は安心して飲みに行ける歓楽街というステイタスを
上げる事を一番に活動しています。

それだけでなく『中洲よかばいパック』も紹介中です。
『中洲よかばいパック』とは、ホテルに宿泊されている
方が、中洲に低料金で行けるように、同伴+高級クラブを
「オプショナルツアー」にしたものです。どんな
「オプショナルツアー」かというと、食事代(同伴ホステス分
込)約90分~110分+高級クラブのセット料金(90分)を
パッケージにし、お1人様20,000円で提供。より行きやすい
中洲を提供しています。中洲を親しみやすく、またリピート
しやすい所として、認識して頂く活動を決行中です!

「中洲」という言葉は全国区。しかし、まだ日本一の歓楽街とは
言って頂けません。今後『e中洲ドットコム』は中洲を「日本一の
歓楽街」と呼んで頂く為に、今後も活動をしていくつもりです!


竹田先生との出会い 後編

当時ランチェスター経営で、1番安い20万円で20本セットの
カセットテープだった。竹田先生には怒られるが、1本1万円の
カセットテープって高くないか…。しかし、毎月5000円で
そのテープを買うことにした。20万円。48回払い。当時の
私には、それでも高かった。

20万円の高いお金を払って買ったのだから、20本のテープを
車の助手席に置いて、東区の新築マンションへの移動の間に
聴いた。1本聴いたら差し替えて、また次のテープを聴く。
なにしろ20万円だから、これを聴くしかない。私が尊敬して
いる人が作成したテープなのだ。擦り切れるくらい、ガンガン
聴いた。半年間、20本のテープを何回も聴いた。


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テープを聴くまでの私は、経営する時に必要なものは「人・物・
金」と思っていた。人は人材、物は売るもの、後はお金が必要。
「私が持ち合わせていないものが必要なのだ!」と思っていた。
しかし、テープはそう言わないのだ。20本のテープは、私の様な
貧乏な奴でも大丈夫だというのだ。何が必要かというと、
「『商品・地域・客層』が必要だ!」と言うのだ。

それを聞いた時に、目からうろこが落ちた。私は不動産会社
だから、特にその3つの中でも『地域』が一番大切なのだ。
地域を自分たちで決めて、この地域でやろうと頑張っている
不動産会社は多いのだ。「商品・地域・客層」が大切だと
言われて、「地域を絞らなきゃいけない!」と本当に思った。

当時車で1時間以上、3時間かけて移動している現場もあった。
長時間かけて現場へ行っていたのだが、その移動している間中、
テープが言うのだ。「移動時間は無駄だ。」と、テープが
何回も言うのだ。

確かにそうだ。その間は車の運転をしているだけ。遠い所に
1時間も2時間もかけて行って、商談は15分で終わって帰って
くる。3時間も4時間も時間を費やして、無駄だと本当に思う。
移動時間に何回も何回も、テープが言う。ずーっと聞いて
いると「このテープの言っている事と逆の事を私はして
いるのだなぁ。」感じてきた。車で移動して、ガソリン代も
使って。3時間かけて現場に行って仕事して、また帰ってくる。
その移動時間がすごく無駄だ。


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テープを聴けば聴くほど「このままでは駄目なんだ!」と思った。
絶対駄目だと。その半年間、テープを聴いて「駄目なのだ、ダメ
なのだ、変えなきゃいけない!」と思った。「商品・地域・客層」
の限定をしなければ。「長距離で動いてはいかん!」 「近くじゃ
ないといかん!」 「地域を絶対限定しなければいかん!」と
テープに言われてきた。そして、テープのいっている事が
「間違えのない理論だ!」と思えるようになった。言っている事は
間違いないし、そうする事が正しい。それでも当時は、地域の
限定を思い切る事はできなかった。本当に怖かったのだ。

しかし、このテープのおかげで、全く考えられない経営ができる
時が来る。そして今では、ランチェスター経営のテープ(今は
DVDかCD)は全て購入させて頂いた。今でも聴いている。他にも、
一騎打ち戦と間隔戦、強者と弱者の戦略、一位主義の大切さ、
商品の良さでは売れない事、経営の8大要因の確定など、間違い
ない理論をテープからたくさん学んでいる。竹田先生には、
心から感謝している。

竹田先生との出会い 前編

心底悩みに悩んでいたのだが、実は会社を伸ばすヒントを
与えてくれる恩師に出会っていたのだ。
平成8年7月に、中小企業家同友会に入った。そこで、私の
恩師 竹田陽一先生に出会ったのだ。サラリーマン時代に
いろいろな事を教えて頂いた社長から、中小企業同友会に
強制的に入れられたのだ。お金は無かったし、入会金、
月会費も高い。強制的でなければ、入っていなかったと思う。

同友会には入ったが、知り合いは紹介してくれた社長のみ。
会はいつも70~80人参加している。それも全員社長。最初は、
辞めたくて仕方がなかった。会の中には5つのチームがあり、
これも強制的に入れられた。

チームに入ってすぐに、例会(参加者70~80人)で「司会を
しろ!」と言われた。「中小企業同友会は、とても強制的な
所…」というイメージ。入会金も払ったし、すぐに辞めると
しゃくだし、仕方なく受ける事にした。

今まで司会は一度もした事はないし、人前で話した事もない。
その時の講演の講師が、将来恩師となるランチェスター経営
竹田陽一先生だったのだ。竹田先生が壇上で、私が司会で、
2人でやりとりをさせて頂いた。私はその時、初めて人前で
マイクを持って話した。しかしやってみると、人前で話す
事がすごく気持ち良くて、嬉しかった事を憶えている。


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こうして、竹田陽一先生と知り合う機会ができた。
『ランチェスター弱者必勝の戦略』という本があって、以前、
その本を読んでいた。その時「この理論は正しいな、よく
わかる。」と、その本に感動した。たまたまだが、あの本を
書いた素晴らしい先生に、しかも壇上で私とやりとりができて、
心から「楽しいなぁ!」と思い、熱狂的なファンになった。

それからは、ランチェスター経営の勉強会へも積極的に
参加し、経営について勉強する事になった。でも、経営
コンサルタントという職業の人たちは、コンサルタント料が
収入。それも、税理士や弁護士と変わらない顧問料を取って
いる。

私のその頃の年商は750万円。年収ではなく年商だ。
年収は200万円もなかった。

ある時、竹田先生から「ああ、古川君!ランチでも行かないか?」
とお誘い頂いた。「竹田先生に直接経営の話が聞ける。なんと
ありがたい事だろう。」と嬉しかった。

しかし、竹田先生の話は「古川君には経営のセンスがある。
ぜひ経営の勉強をしてみないか?」というものだった。
「どういうことかな?」と私が思っていると、竹田先生が
「経営が勉強できるテープがフルセットで○○○万円する。
毎月5万円ずつ、うちに払わないかね?」と言われたのだ。
毎月5万円。年間で60万円。「経営のセンスがある!」という
竹田先生の期待に応えたいのは山々だったが、その頃の
私にはとても払える訳がない。いや、絶対に払えない。


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「私には払えないですよ。」と答えた。そうすると竹田先生は
「古川君だけ特別に3万円でいいよ。だから買いなさい!」と
言われた。私は「いえ、3万なんてとんでもない。会社は明日
潰れるかもしれませんし、そんな5万も3万も毎月払うのだった
ら・・・。」と答えた。竹田先生はそう答える私の顔を見て、
ブスッと怒って、どこかに行ってしまった。

これで「竹田先生との縁は、終わってしまった。」と思った。
竹田先生はいなくなってしまったが、私の担当の方は残って
いた。そして「古川君、毎月いくらだったら払えるの?」と
聞かれた。私は悩んだ。払えないといったら、もう竹田先生は
私と話してくれないかもしれない、もう縁は終わり。ブスッと
怒って行ってしまったのだから。「どうしようか?」と思い、
ずーっと考えた。そして清水の舞台から飛び降りるつもりで
「5000円だったら払えます。」と答えた。

「怒られる!」と思った。しかし回答は「いいですよ。
5000円で。」と言われたのだ。「スモールサクセスプログラム
というテープがあるから、それを買ってみては?」と言って
くれたのだ。

起業 後編

起業 前編起業 中編の続きになります。

ある時、地元のマンションデベロッパーから「古川さんは、
営業力に自信があるのでしょ?新築マンションの販売代理を
しませんか?」という話がきた。
以前、マンションデベロッパーで、新築のマンションを売る
仕事をしていた私は、そういった話がきた事を嬉しく感じた。

新築マンションの販売用のパンフレットは、私が配っている
中古マンションのチラシよりも、もちろん立派。室内の
きれいな写真や外観図が入っていて、間取り図も立派だ。
そして、そのパンフレットには『販売代理 福一不動産』と
入れてくれるというのだ。パンフレットに会社の名前が
あるだけで、素晴らしいと思った。中古のマンションや、
債権物件を売っていた私にとっては、ありがたいと感じた。
「我社もでかくなった。嬉しい!」と思った。

今思えば、パンフレットに社名が載っただけで「まだ儲かって
もいない」のに…。当時ウキウキで、そのマンションの現状
分析など何にもしなかった。売れるかどうかもわからないのに、
売れたら貰える手数料が、素晴らしいにんじんに見えたのだ。
一人でやっている私に任せるという事がどんな事か、全く
わかっていなかった。


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受けた新築マンションは、東区のはずれ。当時は車で1時間
以上かかるところ。往復で2時間以上。マンションデベロッパー
から新築を請負って、心はウキウキ。しかし、請けてみて
気づいたのだが、マンションはもう完成しているし、総戸数
70戸で残り30戸ぐらい。半分は売れ残っていた。売り出しから
1年以上経っていて、デベロッパーもどうやって売ればいいのか、
実は悩んでいたのだ。

請けてはみたものの、平日は全くといっていいほど、お客様は
来ない。その頃、私と妻とパートで雇った経理の女の子と3人で
会社を運営していた。販売代理を受けてからは、平日は経理の
女の子が現場待機。新築マンションの現場へ直行してもらい、
お客様がもし来た時は接客してもらう。お客様が来ない時は、
経理の仕事をしてもらう。平日、私はご来店頂いたお客様まわりや
受託物件探し。妻は、賃貸の業務で忙しくしていたので、現場は
パートの女の子任せ。本陣(事務所)にも、お客様がたまに来る
ので、現場へは行けない。女の子を現地へ送り、妻と私は事務所が
ある川端で仕事をしていたのだ。

今思えば「陣」が2つ。それも販売物件から車で1時間と遠い陣。
例えば、バスケットは5人1組のスポーツ。どれだけ上手な人が
2人いても、5人のチームと試合をすれば負ける。不動産屋でも
同じ。3人の不動産屋でも、お客様のご来店があれば大変。
それをわざわざ3人を東区のはずれと、川端とで2つの陣に分け、
業務を分散しながらやっていた。2陣を3人でやるのは、どう
考えても難しい。万一お客様が来ても信用をなくすのが目に
見えていた。

しかし、当時はその事に全く気がつかなかった。土日に行って
いたオープンルームはやめて、私は新築マンションの現場待機を
していた。マンションの地域住人の皆さんは、これまでにも
何回ものチラシや新聞広告で、このマンションの事は詳しく
知っていて、土日であってももう来店してくれない。マンション
デベロッパーは、それでもチラシや広告を入れてくれた。しかし
来店は、一日に1組来れば良いほう。オープンルームも止め、
この新築マンションに全てをかけた私たち。
しかし、売り上げは落ちるばかり。売れ残りのマンションだが、
パンフレットに会社の名前が載る。それが嬉しくて始めたがダメ。
半年間それに賭けてみたが、全然売れなかった。

その時は悩んだ。自分に対して「馬鹿が独立して…」と、何にも
考えずに「人を騙す仕事はしてはならない!」と格好よく独立
したが、考えが甘かった。


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不動産会社を開業したら、電話はいつでも取らなければならない。
いつ何時、管理物件の入居者から漏水などで電話が掛かって
くるのかわからない。事務所にいない時は私の携帯へ転送して、
電話をとっていた。電話が鳴ると、物件を案内したお客様かも
しれない。車を運転している時も、寝ている時も、掛かってくる
電話には全て出る。気がおけない毎日。
もちろん休みなんてない。朝早くから現場へ行き、現場待機。
夕方から客宅へ訪問。必死にクロージング。毎日仕事が終わって
帰るのは23時以降。日付が変わってから帰宅する事もしばしば…。
寝る暇も惜しんで働いたが、収入にならない。信用はない。金も
ない。信頼して仕事を任せる社員もいないし、雇えない。自信も
ない。挙句の果てに、円形脱毛症の人を追い出す仕事をして、
なんとか稼いでいた。

「新築のマンションの販売を請けたが全然売れない。どうしたら
いいのだろうか。父親に電話してもあまり経営のことは教えて
くれない。」と毎日思い考えた。子供はまだ小さく、小学1年生と
幼稚園の年長。妻も仕事を必至に手伝ってくれたが、まだまだ
子供に手が掛かる時期だった。自宅へ23時過ぎに帰ると、子供は
泣いていて、妻は仕事で疲れ、子供に食事を作るのがやっと。
妻は椅子に座ったままその場で寝ていた。こんな生活を続けていた。

起業 中編

売り上げはどうかというと、毎週預かった
物件のオープンルームをする。広告料は
私の負担。1回のオープンルームでチラシを
1万枚ぐらい新聞に折り込み、新聞の紙面に
広告を入れて、総額15万円ぐらいかける。
信用が無く、実績のない私。売主から直接
仕事を請ける事はないので、買って頂いた
方から貰う仲介手数料のみが収入。突然
会社を辞めて起業した私は、直接売主からは
仕入れができていなかった。粗利として入る
お金は、仲介料として買主から入る50~60万円
なのだ。


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1回オープンルームすると広告代が15万円。
2回すると30万円。3回すると45万円なので、
売れたとしても仲介手数料50万円から広告
料の45万円を引くと5万円しか残らない。
広告代理店を儲けさせる為にオープンルームを
したようなものだ。だから、1回で売らないと
生活ができない。面白みが無いと言いたい
ところだが、それどころではなかった。


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とりあえず、事務所はワンルームで始めたが、
さまざまな経費が掛かる。事務所の家賃。
電気代に電話代。コピー機のメンテナンス費用。
輪転機のリース代。「売れなかったらすぐ倒産。」
という状況だった。オープンルームにお客様が
来られたら「この人に買わせなければ…。」と
思っていた。ハイエナみたいに感じるが、背に腹は
変えられないのだ。1回で売らなかったら50万円は
入ってこない。売れても売れなくても、15万円の
広告料は飛んでいく。

実収入は差し引き35万円。しかし、仕事の割には
少ない金額。でも「35万円が入らなかったら
死んでしまう。」そんな気持ちで、毎週オープン
ルームをしていた。ハイエナみたいな営業だが
「サラリーマン時代の人を騙す仕事と違うか
どうか…。」なんて考える暇もなかった。


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オープンルームの誘導看板はお手製。一般的な
不動産会社はプラスチック製。案内の矢印は
ビニールのシールが普通。しかし、私はお金が
無かったので、近くのスーパーで段ボール箱を
もらってきて、適当な大きさに切り、それに
コピー機で印字した紙を糊付けして作成する
手作りのもの。お手製というと格好がいいが、
雨が降ると糊がはがれ、誘導看板の意味が
無くなるようなものだった。

オープンルームの日は朝6時に起き、その看板を
50程設置してまわる。また、チラシは1000枚程
手配りする。そして、オープンルームの部屋で待機。
部屋に待機し、じーっとお客さまを待つ。夕方4時に
なっても5時になってもお客様が来ない時は、心も
体も懐も寂しい気持ちになっていた。
しかし、頑張るしかなかった。

起業 前編

平成7年11月7日から会社へ出勤しなくてもよくなった。
この日が、私が会社を始めた日だ。今まで、福岡市内でも
情緒ある福岡城祉公園を通って出勤していたが、景色も
変わって博多駅方面へ。

「今日から博多に出勤か。寂しいな~。どうやって私は
生活するのだろうか?」と思った。


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前の会社はマンションデベロッパー。サラリーマンの時に
やっていた仕事は、新築マンション販売の営業。できる
仕事はマンション販売のみ。しかし、新築のマンションの
販売には代理店として、何人かの社員も必要。
自分一人なので、新築の販売代理業もできない。

初めに請けた仕事は、お客様が使わなくなった中古の
マンションの売却を請けた。独立して最初のころは、
経営について全く勉強もしていなかった。
何も知らなかったのだ。地域はもちろん限定していない。
福岡市内でも西にある早良区西新、次の日は南にある
南区井尻、次は東区香椎、と市内もいろいろなところを
転々として、お客様にマンションの室内を見てもらえる
オープンルームをしていた。車での移動は、片道1時間が
当たり前。

もちろん信用がないので、私へ紹介頂く物件は少なく、
所有者が銀行への支払いが滞っている、銀行から債権が
保証会社へ移動した債権物件を扱っていた。銀行の
保証会社から「ローン不払いの物件を売ってくれるので
あれば、仕事まわすよ。」と言われ、請けることにした。

しかし、この仕事は血も涙もない仕事だった。北九州、
次は大分、福岡県でも郡部の物件を扱っていた。
(今思えば、近隣の物件や、販売しやすい物件は他の
不動産会社へ依頼していたのだと思う。)


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車で片道2時間も3時間もかけて行き、ローンを払えない
人に会う。面談し、そしてそのマンションから追い出す。
出て行ってもらうのだ。退去後、リフォームをして
オープンルームにして売却する。面談するのはよいのだが、
ローン不払いの人はほとんどが悪い人ではなく、バブル期の
給与をあてにして不動産を購入したものの、不景気になり
給与が半減し、どうしても払えなくなった人ばかり。
悩んで円形脱毛症になっている人や、自殺しかけている
ような人もいる。そんな人達に会いに行き「ここを出て
行ってください。」と話をする。
「売らなければなりません。早急に出て行ってください。」と
言うのが私の役目。「これじゃあ、サラリーマン時の仕事と
あんまり変わらない。」 「もしかすると、サラリーマン
時代よりも悪い。」と思いながら、でも「これはだますこと
ではない・・・」と自分に言い聞かせながらやっていた。
ローンが払えない人に会いに行って、その人をどこかに追い
出して、債権者に室内をちょっときれいにしてもらって
販売する…という事をしていた。


暴力団は怖くない ~正々堂々とすること~

サラリーマン時代は、よく暴力団に脅されていた。不動産会社は
扱う金額が大きいので、トラブルになると暴力団がらみになる
事もしばしば…。脅される時はいつも同じ。手付金を返さない時。
不動産を購入する時は手付契約をしてから、ローンの申し込みを
して、ローンが通るとローンを実行して物件の引き渡となる。
手付金は物件総額の10%が基本。物件総額によるが、2000万円だと
200万円。そのお金を準備してもらい手付契約を結ぶ。しかし、
お客様の気持ちは移り変わるもの。手付契約を結んだ後、ローンの
審査が出る前に買いたくないと言ってくる。そうなると、買主の
一方的な解約なので、手付金は返還せず、没収される。私の会社は
マンションデベロッパー(売主)なので、会社が没収する。
買主は手付金(200万円)を没収されるのが惜しくなる。そうなると
知人、友人へ相談する。相談者の中から「どうにかしましょう」と
言う人が出てくる。その人が、私のところへ直接電話をしてくる。
大きな声で「君、このままだと大変なことになるよ!」と言ってくる。
私はビクビク。しかし、会社は返さない。私は脅されるという日々が続く。
直の上司に相談しても、知らない顔をされるだけ。悩まさる日々が続いた。
仕方なく、(毎回は相談できないが)上司を飛び越して、幹部で大学の
先輩へ相談する。なんとか返金できるようはからってもらい、安堵すると
いった具合だ。


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入社5年ぐらいまで、手付金問題には悩まされた。
「大きな声で、心が凍る厳しい言葉で脅される」のだ。怖くてたまらない
日々だった。しかし、ある事件から私は変わった。その話をしたい。

新しく支店を開設し、私は鹿児島へ転勤した。鹿児島支店は6名。
営業社員は4人。私は営業の責任者。上司は所長のみ。所長は総務経理を
担当していた。

ある日の昼。鹿児島支店の事務所に暴力団と思われる方がやってきた。
大きな声で、机を叩きながら「おたくらが建設中のマンション工事音が
ガンガンとうるさくて、寝不足だ。どうしてくれるのだ。」と言う。
社員全員凍りつく。怖い。何回も同じことを言って、机をガンガン叩く。
「どうしてくれるんだ!」と言う。誰もなるべく知らない顔をするが、
心は怖くてたまらない。誰か相手をせねばと思い、私が応対する。
しかし、3m以上近づけない。机をガンガン叩いているので、私が近寄ると
叩かれそうなのだ。しかし、片言で応対した。
次の日も同じ時間に来て1時間以上大きな声を出して暴れる。
なんとかしたいが怖い。暴力団が事務所に来だして3日目。同じように
私は応対をしたが、やはり大きな声を張り上げてくる。言っている事も
同じだし、所長が本社へ近隣交渉費を○○万円出してもらう様に交渉中で
あることも知っていたので、3mの距離を狭め、殴られる覚悟で近づき、一言
「大きな声で机を叩いて言わなくても、仰っている事は良く聞こえています。」
と言ってみた。テーブル越しではあるが、かなり近づいて言った。
この言葉に激怒して「殴ってくるかな…。」と思ったが、その人の心が
「少しひるんだ」様に感じたのだ。私はとっさに感じた。殴るのが
目的ではなく、脅して金を貰いたいのだと。目的はお金なのだ。
この人たちは机を叩いて威嚇はするが、人は殴らないのだと感じ取った。
今までも、電話先や店頭では大きな声で威嚇するが叩かれたことは無かった。
近づいても大丈夫なのだと気づいた。そして、もっともっと近寄って
「お座り下さい。普通の声の大きさで話して下さい。」と言ってみた。
すると、すんなり言う通りにしてくれた。この時に暴力団の威嚇に負けると、
先方の言いなりになってしまう。「正々堂々と対応すればいいのだ!」と
気づいた。

考えてみれば叩いたら厄介なのは彼らなのだ。叩いたら、私たちは警察へ
即連絡し、彼らはすぐに捕まる。そして、留置させられ、罰金も来る。
前科も付いてしまう。得は何もない。心理作戦で私たち心を威嚇し、
殴ると見せかけて、いくらか取ることが一番の目的なのだ。

次の日も次の日も来たが同じ対応を私は続けた。1週間後本社より連絡が
来た。回答は、「1円も払うな!」と言う厳しいものだった。さすがに、
私もどう伝えるかは悩んだが、伝えるしかない。
同じように暴力団の男は現れた。私は「本社から通達がありました。
結論は、お払いするお金は準備できない、と言う内容でした。」と
伝えた。この時は、激怒して大きな声で叫びに叫んだ。しかし、一歩も
ひるまず「お払いするお金はありません」と言い続けた。
この時はドキドキだったが、私が気づいた理論は正しいと思い続けた。
次の日も、その次の日も暴力団の男は現れた。しかし、3日目からは
来なくなった。「私は、勝利した。」そんな気持ちでいっぱいになった。
それから私は、暴力団の男がプロレスラーか相撲取りの様な大男が
現れようと、正々堂々と毅然たる態度で臨むことができる様になった。
大男だと、少し心は不安になるが「私の理論は正しいはずだ!」と
思う様にしている。


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会社を開業してからすぐの頃は、このような方達が福一不動産の事務所へ
嫌がらせで来ることがあった。やはり大きな声で叫ぶ。その時は、お客様の
迷惑にならない、事務所の裏にある会議室へ移ってもらう。
そして、できるだけ近寄って言う。「お座り下さい」「普通の声の大きさで
話して下さい。聞こえますから」と言って、すぐ横に座り話を聞く。
威嚇が通用しない事を伝える。その後は、正々堂々と毅然たる態度で臨む。
ある程度の時間は頑張るが「福一の社長は、脅してもダメだ!」という顔を
して帰る。最近は、その業界の方達は来なくなった。

最近は、講演を受けることがある。私達のテリトリーは、西日本一の歓楽街「中洲」。
半径500mの狭いエリアで、客層をスナック・クラブ・キャバクラと居酒屋に絞って
いると言うと、講演後の質疑応答で聞かれる。「暴力団対策はどうしていますか?」と。
上記の様な内容で回答をする。不思議そうな顔をされるが、この通りなのだ。
この暴力団対策を知らなければ、脅され騙され早く会社潰れていたかも知れない。
今思えば、サラリーマン時代の経験が起業してからの私には大きく役立った。

大学時代・就職・リストラ その5

~リストラ~

平成7年の6月に肩を叩かれてこう言われました。
「君に辞めてもらわなきゃいけなくなった。」と。

主任になって、係長になって、課長になって12年間、1番出世を
目指し頑張っていましたが、ついに「辞めてくれ。」と言われました。

父親に電話をして「首になるので、家族4人(妻と子供2人)で
実家に帰るかもしれない。」と相談しました。父は、細々では
ありますが、電気工事の会社を3~4人で経営をしていました。
しかし、父親からは「帰ってきても困る。」と言われてしまいました。
ちょうど弟が1年前に帰っていて「弟にちゃんと仕事を教えてないから、
お前はもう少し福岡で頑張ってくれ。」と言われました。

会社からは首と言われて、父親からはもう少し福岡で頑張れと言われ、
どうしていいかわかりませんでした。


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私に首を宣告した上司が、「長崎の不動産デベロッパーで、マンション
販売の会社がある。そこだったら給料は同じ金額払ってくれると言っている。
もしかすると、ボーナスは今よりもいいかもしれない。お前は家族もあるし、
そこに移り頑張りなさい。ちゃんと根回ししているから。」と言って
下さいました。行き先まで見つけてくれて、良い上司でした。

しかし、2200万円を1400万円で売れという、とんでもない事をさせられた
思い出がトラウマになっており、もうサラリーマンはしたくないなと
思っていました。

12月まで会社に席はありましたが、11月初めぐらいまで働き、退社しました。
6月に首宣告を言い渡され、悩みに悩みました。
そして「私が社長だったら、人を騙すことはしなくていいのだ。」と考えました。

それからワンルームマンションを借りて、準備を始めました。コピー機とFAXは
友人に借り、印刷機は購入。電話は新規で契約。机と椅子を入れたら、お客様
1人がやっと入れる狭いマンションの1室。18平方メートルぐらいだったと思います。

不動産業を始めるためには、不動産業者免許が必要。その資格を所有していた
人との出会いがあり、その人に肩書き上、代表者となってもらい、私は
営業部長として不動産業を始めました。


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独立しようと決めたのですが、当時お金もなく、始動できたのが今でも不思議です。
いろいろな準備をして12月を迎えました。2200万円を1400万円で売る事をさせられ
なかったら、上司に紹介してもらった会社に移っていたと思います。

最近は、さまざまな知り合いにこの話をしますが、「それでよかったんじゃないの?」と
感想を頂きます。今となってみれば、その時思い立ってよかったと感じています!



お客様が来る魔法の法則 その2

ストロークの説明1
新米店員さんに「下を向いてと上を向いてとでは、どちらが
お客様になった時に好感が持てるかな?」と聞いてみて下さい。
新米さんは、上を向いてと言うはずです。
お客様がどう感じるかより、恥ずかしいとか、解らないから
取り合えす下を向いていただけなのです。
これをストローク理論で説明すると上を向いてと、下を向いては、
上を向く方が態度によよる陽性のストロークですよ。と教える。
ここまで説明すると新米さんは、「理解できました」と答える。


ストロークの説明2
上を向いたら、次はお客様の方を向いているのと向かないのでは
どう違うかを教える。
これも同じです。お客様の方を向かずに「いらっしゃいませ!」と
言うのか、お客様の方を見て言うのかは全く違うことを教える。
ストロークで説明すると、これもお客様の方を向くのと、向かないの
では、お客様の方を向く方が、態度による陽性のストロークで
あることを教える。


ストロークの説明3
「いらっしゃいませ」の声はどうでしょう。
これも同じです。ストロークで説明するとこれも、大きな声と、小さな
声では、大きな声方が、今度は言葉による陽性のストロークで
あることを教える。


ストロークの説明4
顔はどうでしょう。これもまた、同じです。ストロークで説明すると、
顔の表情は、笑顔と表情が無いよりは、笑顔の方が、態度による
陽性のストロークであることがわかる。


ストロークの説明5
お客様の名前はどうでしょう。覚えていたら、「田中さん
いらっしゃいませ!」と言うのはどうでしょう。お客様側からすると、
「田中さんいらっしゃいませ!」と「いらっしゃいませ」とでは、
勿論「田中さんいらっしゃいませ!」の方が良いに決まっています。

これは、言葉によるパーソナルで陽性のストロークです。

上記のように、
ストロークの説明1 上を向くことが、態度による陽性のストローク
ストロークの説明2 お客様の方を向くことが、態度による陽性のストローク
ストロークの説明3 大きな声が、言葉による陽性のストローク
ストロークの説明4 笑顔が、態度による陽性のストローク
ストロークの説明5 言葉が、パーソナルのストロークと陽性のストローク
に変わる訳です。

下を向いて小さな声で「いらっしゃいませ」と言っているのに比べると、
1.顔を上げて、2.お客様の方を向き、3.大きな声を出し、4.笑顔で、
5.お客様の名前を付けて「いらっしゃいませ!」5つも良いものが加わる。


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お客様に伝わる感じは、なんと5倍違うのです。

新米店員さんがどちらを選ぶかは、一目瞭然。ストローク理論で
分析し、説明して行くと、若い人や慣れてない人でも、理解して
頂くスピードが速くなります。

昔のように「体で覚えなさい!」と言っていては、働き手も
見つけにくいこの時代、ぜひストローク理論を使ってみてください。

店員さん全員がお客様へ5倍のストロークをすれば、おのずと店は
繁盛するはずです!


お客様が来る魔法の法則 その1

「飲食店の人気がどうして違うのか?」
そう考えたことがありますか?
「料理に違いがあるのでは?」とお考えの方が
ほとんどではないでしょうか。
しかし、お店にお伺いすると、料理も確かに
美味しいのでしょうが、店員さんの対応に
違いがあることをお気づきでしょうか?


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繁盛店での「いらっしゃいませ!」の一言にも、
意味があることを店員さん全員が知っている
からなのです。それを知らず知らずのうちに承認し、
その店を支持しているのです。

では、どんな違いがあるのでしょう?

声のかけ方や、方法に違いがあるのです。
簡単に言うと、お客様が好感を持って
頂けるような方法です。

常連の店員は、自然に出来ていることなのですが、
新米店員へは「ちゃんと」「真面目に!」とか言って
いるのですが、常連社員が自然にやれていることも、
分析をし、新米店員にもわかりやすく、伝える方法が
あります。それがストローク理論です。

難しい言葉ですが、ストローク理論はとっても大切なので、
ぜひ覚えて下さい。

では、そのストローク理論について説明して行きましよう。

ストローク理論は、5つの種類と3つの方法からできています。

まず初めに、5つの種類について説明します。
それは下記の5つです。

1.言葉によるストローク
「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございました」は
言葉のストローク。

2.態度によるストローク
ほほ笑んだり、お客様の方を向く行為、会釈などは、
態度のストローク。

3.文書によるストローク
手紙、はがき、FAX、メールなど、文書ものはすべて、
文書ストローク。

4.タッチストローク
握手や抱擁、肩を叩いたり、触って行うものは、
タッチストローク。

5.贈り物ストローク
プレゼント、ギフト、商品券等は贈り物ストローク。


どれも当たり前な5種類ですが、ストロークの方法
(なげかけ方)はこの5つしかありません。

業務の分析や、新人教育の時にストローク理論の
5アイテムにして説明すると、解りやすく説明もし易いのです。
必要なツールです。ぜひ、この5つを覚えておいて下さい。

また、方法は

A.陽性のストローク
褒めること、激励すること。

B.陰性のストローク
怒ること、いやなことをすることや言うこと。

ストロークをして喜んでもらえるのは陽性の方です。

A.条件付きストローク
何か報いを求めること。

B.無条件のストローク
報いがないこと。
*ストロークをして喜んでもらえるのは無条件の方です。

A.パーソナルストローク
その人のために行うこと。

B.一般的ストローク
皆さんに行うこと。
*ストロークをして喜んでもらえるのはパーソナルの方です。

以上のようなことなのですが、ストローク理論はこれだけの
アイテムしか必要ありません。しかし、何が言いたいのか
わからないでしょう。


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ここで、例を出します。
居酒屋で、新米の定員さんが居るとします。

入ってすぐに、配膳や飲み物の出し方などは、先輩社員が
細部に渡り教えるでしょう。

しかし、お客様対応については、「頑張って下さい。」とか
「きちんとお客様を応対してください」とか「やる気を出して
応対してください」とかは言ってくれますが、一般的には、
お客様対応については細部に渡り教えないもの。

ストローク理論はそんなときに役立つツールです。

新米の店員さんが、恥ずかしさや慣れないことから、
皿を洗いながら下を向いて聞こえるかどうかわからない
小さな声で「いらっしゃいませ」と言ったとします。

店長は「きちんとお客様を応対してください」とか
「やる気を出して応対してください」などと言って
指導するはずです。しかし、当の本人は何をきちんとで、
何にやる気を出してか、わからないものです。

新人さんの行動を分析し、説明しやすくするのが、上記の
ストローク理論なのです。


大学時代・就職・リストラ その4

~会社崩壊~

しかし、次の年の平成3年の1月に、凄い会社が、ゴーンと
音をたてて崩れました。

日経新聞の表紙に、千代の富士が貴乃花に負け
『若貴時代が始まった』と載っていた表紙の、相撲の写真が
載っているところの横に、会社が『○○銀行から270億円の
支援を受ける』と載っていました。
「あれ、うちの会社どうしたんだろうか?」と思いました。
次の週も、今度は別の銀行から「150億円支援」と載っている。
また1週間後、別の銀行から「何百億支援」と載っている。
ずーっと毎週新聞に載るのです。毎週、毎週です。
いくらなんでも、会社がおかしいのではないかと思い、上司に
相談すると「銀行側が支援するのだから会社は大丈夫」と
上司は言うんですが、社員はみんな不安でした。


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平成3年から入ってきたばっかりの新入社員の人たちは、
みんな不安で、どんどん辞表を出していました。
私はそのとき課長で、部下を15人ぐらい連れて北九州で
マンションを売っていました。私のところが1番社員が
多かったです。新入社員もたくさんいました。
みんなおかしいと思い出し「辞めたいんですけど」と、
入れ替わり立ち替わり言ってきました。居酒屋に連れて行き
「辞めるな」と話しましたが、どんどん社員が辞めていきました。
バブル崩壊と共に、会社がおかしい。
真っ逆さまにズドーンと落ちていくように新聞に載るし、
私もおかしいなぁと思っていました。

その頃私は、北九州営業所所長をしており、八幡西区の
新築マンションを売っていました。
ある日、会社が「マンションは銀行に引き上げてもらう
ことにした」と言ってきました。

ちょうど完成して2年。しかし、3分の1ぐらいしか
売れてなかったのです。借入代金が払えないわけです。
銀行に「払ってくれ」と言われて「モノを持っていって
くれ!」と、銀行へ所有権を渡したのです。


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次の日から、銀行が所有者になりました。
しかし、銀行は販売業務ができないので、会社へ「販売代理を
してくれ」と言ってきました。
私は3LDKのマンションを2200万円で販売していました。
すでに4~5件は売っていたと思います。
販売代理店を受けると、その日から、同じマンションの
同じ広さの部屋を「1400万円で売れ」と言われました。
差額が800万円。同じマンションを、同じ人間に800万円下げて
売れと言われたのです。以前、2200万円で私から買った
お客さんは、私を殺したいぐらいの気持ちだったと思います。
それを本当に目の前でやらされました。

それを売れと言われたら、売らなきゃいけないのがサラリーマン。
会社から必ずそれをやれと言われたら、絶対売らなきゃいけない訳です。

私としては、人を騙すようなことはしていないと、親からも
言われていましたが、これだけはお客さんを騙して売ったと
いう気持ちになりました。

こんな状況では、どんどん社員が辞めていく訳です。
60人ぐらい社員のいた九州支店でしたが、社員はどんどん
減っていきました。ある時からは、会社から「この人達を
辞めさせよう」と、リストが上がってきて「君悪いけど
辞めてくれ、もう給料が払えない」と、5人辞めさせたり、
10人辞めさせたりしていました。

15人枠ぐらいまでは、私も残っていたのですが、5人枠の時に
私の名前が入っていませんでした。寂しい事です。


大学時代・就職・リストラ その3

~就職 会社とバブル その2~

ちょうどバブル期は、私は鹿児島支店にいました。
鹿児島の中洲(歓楽街)は天文館です。
天文館のメイン通りを歩いていたら、向こうから
建築屋会社や不動産屋さんが寄ってきて
「ああ、古川さん、ちょっと僕と一緒に…」と誘われて
行くと、ボトル1本(店で一番高いブランデー)キープして
くれて、フルーツの盛り合わせがいっぱい出てきます。
「ああ、10万円ぐらいかかっているのでは?」と思いながら
建築屋会社や不動産屋さんから「どうぞ」と言われていました。
バブル期はそんな毎日でした。

水曜日には、建築会社のお偉いさんがベンツで迎えに来てくれて、
そのベンツに乗ってゴルフクラブ場へ直行。
ゴルフが終わったらお風呂入って、ベンツで天文館へ直行。
会席のおいしい料理を食べて、自分の給料じゃ行けないような、
高級クラブに行って接待されて、高いブランデーを飲んで…。
私は若干27、8歳でした。
それが正にバブル。20代では経験できない事を経験しました。
会社はもううなぎのぼりです。


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僕が入社したときは、売上が600億円ぐらいでしたが、
その頃は5000億円になっていました。超優良企業で、
大きな会社になっていました。5年で600億円から5000億円まで
急成長。10倍近く伸びたすごい会社でした。

本社が大阪でしたので、大阪の一番の祭り
「天神祭(てんじんまつり)」では、社員全員会社を休んで
「大阪に集合!」と言われ、泊まるところもちゃんと
取ってもらい、鹿児島支店全員で大阪へ行きました。
天神祭を見学に行ったら、その辺を歩いている人たちの
Tシャツの背中には、うちの会社名のロゴが入っていました。
大阪のいたる所に、会社のロゴが書いてありました。
「うわぁ、でっけぇ会社だなぁ!」と思いました。
「3流大学出だけれど、こんな会社に勤められてよかったなぁ。」
と、心から思いました。
「エキスポランド」という万博記念の遊園地を、社員のために
一日貸し切り。2000人の社員全員で遊園地の乗りもの乗り放題。
朝ご飯はなかったけど、昼ご飯も晩ご飯も食べ放題!
お酒は飲み放題で、料理も料理人を呼んで作ってもらい、
どれだけ食べても飲んでもOK。夕方6時半からコンサートが
始まるのです。
本社の社員さんが「このアーティストを呼びたい!」と予約し、
超有名なアーティストさんが、社員のためにコンサート。
みんなで踊って騒いでいました。コンサートが終わったら、
社員のために花火をバンバンあげて…。
福岡ドームでホークスが勝った時の、10倍ぐらいの花火を
あげていたと思います。
「うわぁ!僕、すごくいい会社に勤めたなぁ!」と、本当に
思いました。それは、平成2年のことでした。

そこまではよかった。そこまでは本当によかった。
課長まで上り詰め、給料もどんどん上がっているし。
ボーナスは200万円はもらっていました。
最高な会社でした。


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「この会社で部長になって、取締役に上がるまで頑張るぞ!
骨をうずめよう。自分は運がいい!」と思っていました。


大学時代・就職・リストラ その2

~就職 会社とバブル その1~

入った会社は、入社時は社員600人、年商600億。大手といっても
全国でトップ10に入るかどうかでした。
しかし、うなぎのぼりに成長し、あっと言う間に、全国2位の
マンション会社にまで成長。


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自分は3流大学出だし、なんのとりえもないし、どうしようも
ないけれど、とりあえず頑張ろうと思い、九州支店では
営業マンが30人いましたが、この中で1番を取ろうと
孤軍奮闘しました。2年目で九州支店営業の中で1位。
全国の営業マンが1000人ぐらいいましたが、3年目で1番を
取りました。3年目でトップ。この頃は「僕もやれるなぁ」と
本当に思いました。「3流大学出身でもやれる、別に学歴なんか
いらないんだ」と。「必死に飛び込み営業し、電話営業をやれば、
誰でも売り上げが上がるんだなぁ!」と思いました。


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マンション販売の利益は、年間で6億円程上げられるように
なっていました。毎年12月のクリスマス、デートしたりする暇は
ありません。12月は決算月。売り上げの最終絞め月。12月、特に
24日ぐらいは追い込みをしている時期です。遊んでいる暇は
ありません。なにしろお客さんに電話をしまくって、あと○件ぐらい
ると勝つ。他支店のライバルに「お前なんぼ売ったんや?」と電話を
して探りを入れる。12月28日仕事治めの日。最後の最後まで、数字を
追いかけていました。

私の役職もうなぎのぼり。3年目で主任、5年目で係長、7年目で課長。
社内でも一番出世していました。
会社も創業して15年ぐらいの頃、うなぎのぼりに伸びていました。
そして、バブル期も来ました。バブル期を知らない人にはすみませんが、
不動産は絶好調だったのです。平成2年か3年ぐらい。不動産屋を
しない人は馬鹿じゃないかと思うぐらいでした。

朝6時ぐらいに出勤すると、会社の電話器全てが鳴っています。
なぜ鳴っているかというと、日経新聞全5段にマンションの広告を
入れているからなのです。新聞広告の紙面に電話番号(フリーダイヤル)が
書いてあります。全国のお客様が、電話をしてきている訳です。
電話を取ると「まだある?」とお客様が仰います。私が「まだ
ありますよ!」とやり取りをして、「10万円振り込んで下さい。」と
言うと、「ああ、よかったぁ」と言って、お客様は朝一番で10万円を
振り込んでくる。今考えると、全く予想のつかない光景でした。
ワンルームマンションが飛ぶように売れていました。


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会社が土地を購入し、マンションは建っていないのですが、図面を
作成し、価格を決め宣伝しただけ。パンフレットも似たようなものを
作ってもらい、マンションの外観図イメージで、販売していました。
その間取り図を日経新聞の全国版に全5段で広告をしただけです。
すると、朝6時に出勤したら、ジャンジャン電話が鳴っているのです。
朝、電話を取るだけ。100戸ぐらいのマンション全部が、その日で
終わっちゃうのです。だから早く出てバンバン電話をとった人間が
売り上げ1番なのです。営業作業は全くありません。早く会社に出て
電話をたくさん取るだけ。バブル期ってすごいですね。そういうことを
毎日やっていました。


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土地の売りが来たら、本社に電話して「売地が来ているのですが?」と
言うと、金額も聞かずに「買え」と言われました。
「いいんかいな?」(いいのかな?)と思いながら、不動産屋へ
すぐ電話して「買います」と言いました。
不動産屋は私たちに、群がるわけです。
 


大学時代・就職・リストラ その1

~大学時代から就職まで~

活動的ではありましたが、決して勉強ができる訳では
ありませんでした。東大や早稲田、慶応に行った同級生も
いましたが、私の高校時代は、勉強はせずクラブ活動と
文化祭などに頑張っていました。
3年生になり、同級生たちのほとんどが進学するため、
私も進学と決めていましたが、成績があまり良く
ありませんでした…。両親は、そこそこの大学へ
進学してほしいと願っており、自分自身困っていました。

一応、地域の国立大学を受験しますが、残念ながら
不合格。3月になっても行先が決まらずにいました。
父親は浪人を認めないと言っており、行先が
決まらなければ就職しなければいけませんでした。
「どうしようかなぁ?」と思っていたら、母親が
3月23日に2次試験がある大学を見つけており、
「ここだったらまだ受けられるよ!」と受験を
進めてきました。一応、受験。合格したので、
進学することになりました。
大学へ進学させてくれたものの、実家はけっして
裕福ではありませんでした。学費は出してくれましたが、
2年生の時から仕送りは無くなりました。そういう事情も
あって、大学に入ってからは、日々バイトをしていました。
学生の間、20以上のバイトを経験。この時の経験が、
卒業し社会人になってからも、役立っていると思っています。
バイトは大変でしたが、真面目に学校へ行き、4年で
卒業させて頂きました。


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当時、マンションブームでした。私は工学部建築科を卒業。
当時マンションに興味があり、建設会社に就職しようと
しましたが、大学は3流、就職活動で、東京、大阪の
大手建設を回りましたが、訪問した会社は全て断られました。
行く所がなく、たまたま大学の先輩が私の家に電話をしてくれて
「うちに来ないか?」と誘われて、大手マンションデベロッパーに
就職しました。デベロッパーと言っても、私が配属されたのは、
福岡支店の営業。建築科卒業の知識は、ほとんど必要ありませんでした。


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中洲の事情と福一不動産 その3

中洲についてもう少し説明します。
中洲内のお店の数は、全部で2700件。
平成9年は、そのうちの1400件が稼働していました。
全体の51.8%です。11年前は半分しか入ってなかったのです。
平成18年の終わり頃は、2700件のうち2000件。
全体の74%が稼働。ここ10年で25%増。4分の1増えました。
中洲というところは、いつも景気が悪いと言われています。
10年で25%増。すごい数字だと思いませんか?
10年で600件増えたことになります。1年で計算すると60件増。
閉店もあります。年に閉店する店が180件、開店する店が240件。
月5件ずつ増えていっています。


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一般的に、景気はよくないと言われた中洲ですが、実は、
良かったのです。
その波にわが社も乗せていただいた、ということです。
年間60件増ですが、開店の240件の仲介手数料が私どもの
売上になります。そういう地域なのですが、起業した時は
何も知りませんでした。地域性も分からずにいた私ですが、
地域を1件1件飛込みで回り、現状分析をして行ったのです。


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この地域の不動産市場をもう1つ話させてもらいますと、
地域は旧博多部、うちの事務所がある上川端は、生粋の
博多商人街だったのです。
博多というところは、福岡の古い町屋が残っており、
商売の町なのです。その商売の街のど真ん中に、弊社の
事務所があります。博多発祥で有名なお菓子屋さんや、
全国区にまで大きくなった会社も、たくさん出ている所です。
福岡発祥の会社というのは、ほとんどが弊社の近くにある、
川端商店街から天神(福岡一番の繁華街)に出て行き、
全国に進出しています。昔からある商売をしている人たちが
作ってきた街のど真ん中に弊社の事務所があります。

この地域に範囲を限定して不動産を始めたのですが、
なかなか不動産会社が進出しても、利益が上がらない
地域でした。なぜかと言うと、店舗に来るお客様は
ほとんど商売人。「仲介手数料負けろ!」とか、
「あんたんとこ(あなたのところ)のこれ(物件)は
つまらんめぇもん(駄目だね!)」と博多弁で言われ、
難しい地域。「賃貸は特に売り上げにならないという地域だ!」と
言われていました。今でも、競合の不動産会社は進出して来ません。
充分にマーケティングしてみると、お客さんが少ないところで、
賃貸不動産会社は採算が合わないと思われています。

例えば、この旧博多部の住人は昔からこの地域に住んでいるので、
「自分のところの家も持っています!」と言うお金持ちの多いところ。
では、どんなお客様がこの地域で不動産会社を利用されるかと言うと、
水商売の方。支払いが悪く、ルーズ。昼は寝ていて、夜活動する。
もしかすると、「バックに暴力団がいるのではないか?」と
思われる人たち。

水商売に対しては、一般的に偏見があると思いますが、地域を
限定したところ、客層はそのような方々へ限定されました。
最初は地域の限定をしただけだったのですが、この地域に
チラシを配りお客様を募ったところ、事務所の階段を上がって
お越し頂くのは、香水をつけた美人か、少し怖い格好をしたお店の
オーナーと商店主でした。また、お客様がお越しになる時間帯も
決まっていて、15時以降。


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地域を限定して、客層が限定できました。また、そのお客さまが
必要とするものを主力商品として、必至に頑張りました。

ここ10年で、どのようにして地域密着し、地域の方々に信用を得て、
会社を大きくして行ったのかを、このブログにてお教え致します。


中洲の事情と福一不動産 その2

会社の規模は、社員数10名、パート・アルバイト5名、
資本金1000万円の会社です。
どこにでもある規模の不動産会社。


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私ども不動産会社の仲介業は、仕入れがありません。
仲介は、家主様が所有していらっしゃる不動産に私どもが
入居者を入れる。売上すべてが粗利。この時代に起業し
生き残っています。ここ10年でこれぐらいの会社にできたのは
なぜかというところをぜひお話しさせていただきます。
大きくなった会社の方々にとっては、ローテクな
小さい会社の話ですが、こういうローテクをしながら
会社を変えていくというところについて、お話を
させていただきたいと思います。


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中洲というところはどんなところかご存じですか?
ご存じの通り、西日本最大の歓楽街です。
全国どこに行っても、「中洲ってご存じですか?」と
言ったら、「札幌での歓楽街はすすき野、博多だったら
中洲」と答えてくれます。
しかし、中洲は、本当に特別なところなのです。
東京に銀座というところがありますが、銀座は中洲と
少し違います。
銀座は、会社が入っている雑居ビルがあり、その隣に
ソシアルビル(飲み屋ビル)がというかたちです。
銀座は、スナック、クラブ、キャバクラ、それから居酒屋と
いうものもあるけれど、事務所もあるのです。
しかし、中洲というところはスナック、クラブ、キャバクラと
居酒屋の店舗しかありません。
川で区切られている島(中洲)には、ソシアルビル
(飲み屋ビル)しかありません。ですから、中洲は
全国的にも特別なところなのです。全国的に見ても、
すすき野や銀座と同じような場所と思われがちですが違います。


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たまたま、弊社はこの地域を中心に仕事を始めたのですが、
西日本一の歓楽街中洲が、川で分断されて、きれいに
区切られているというところなのです。


中洲の事情と福一不動産 その1

最近、ランチェスター経営さんの紹介等で、全国各地にて
講演をさせて頂いています。
しかし、福一不動産という会社をご存じの方はほとんど居ません。
それでいいのです。知っているはずもないのです。
全国的に考えれば、企業規模としては番外弱者。
職域を決め、その地域でメジャーであればOK。
地域の限定は、商売をやる上で必須。
特に私のような起業家にとっては、生き残りをかける上で
必須項目なのです。


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福一不動産という会社は、皆さんが思っている不動産屋とは違います。
どう違うかと言うと、不動産会社は、土地を仲介したりする売買業や、
マンションのような大きな建物を建てて販売するというような仕事を
やっているのが普通。町の不動産屋であれば、売買、賃貸の全般を
やるのが一般的です。
また不動産の商品は、賃貸、売買、建て貸し、不動産管理等、不動産と
言っても商品数は100ぐらいあります。
弊社は、その不動産商品うち、100ある内の1を主力商品として扱っています。
その商品がどのようなものかと言いますと、スナック、クラブ、キャバクラ
それから居酒屋、ラーメン屋さん、焼き鳥屋さんといった飲食店の賃貸の
店舗を取り扱っています。
中洲という歓楽街を相手にしている仕事なのです。不動産売買はあまり
していません。店舗を借りたいという方がお越しになり
「お店を探しているのですけど?」と言われ、ご案内しています。


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収入は、仲介手数料(家賃の1ヶ月分)を入居された方から頂き、
大家さんから広告料(家主からの手数料。家賃の1ヶ月分)も頂いて、
その合計が売り上げです。
不動産屋というと、賃貸、売買、不動産一般、なんでもしますよという
イメージだと思いますが、それとは違う不動産業をさせていただいています。

弊社の場合、飲食店店舗賃貸売り上げが65%。
家賃回収や、クレーム処理、退去時の清算やリフォーム等を
行う不動産管理の仕事が30%。あと売買の仕事が5%と言った感じです。


「中洲を日本一の歓楽街にします」(古川隆奮闘記5)

もう1人との出会いがありました。

「やずや」の創設者、矢頭 宣(やず のぶお)社長との出会いです。
この方も中小企業家同友会で知り合いました。
たまたま、竹田先生も同じ同友会の支部でした。

最初はあまり話もできなかったんですが、
「やずや」さん主催の「21世紀生き残りセミナー」が、
平成9年の11月・12月にありました。


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「やずや」さんはすごく伸びている会社で、矢頭(やず)宣男(のぶお)社長は
その会社の創業者だし、最初は、矢頭社長が言っていることが、
「どうも本当のような気がする?」ぐらいの思いで、とりあえず参加しました。

そこで、矢頭社長が言われました。
「社長をしている人たちは、社長をするんだ。
会社を経営するんだったら、年収1000万円はとらんと辞めたがいいよ!」と。


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そのころ、僕は年商が750万円。
でも年収1000万円とらなきゃいかんと言われて。
本当のところ、当時は奥さんの貯金で暮らしていました。
あんまり給料も入れてなかったんです。

年商どころじゃなくて、年収なし。ギリギリの生活でした。
1000万円の年収がとれないなら、サラリーマンに戻れと言われて、
「どうしようかなぁ~」とほんとに思いました。
セミナー参加者はそれを聞いて、最初50人ぐらいいたのに、
次の回には15人ぐらいになりました。

なにしろその話を聞いて、会社の決算書を持って来いと言われて、
売り上げがどのぐらい、とか数字を書かされました。
セミナーで「年商いくらぐらいですか?」と聞かれるんです。
みんな1億いくらとか、少なくても何千万円とかです。
ここで750万円と言うのが、すごく恥ずかしく感じました。
そのとき多分僕が1番少なかったです。

矢頭社長が言われるんです。
「不動産屋って契約するまでは『これ、絶対いい物件ですから』とか言って、
ぺこぺこ頭下げて『間違いないですよ』って言うけど、
契約してしまったら、『あ、そう。もうあんた、買わなしょうがなかろうもん』
みたいに態度が変わる」と。
「不動産屋って世間からは信用無い業種なんだ」と言われて、
「ああ、そう言われたらそうなのかもしれないなぁ」と思い、
なんだか自信がなくなってきました。
矢頭社長にいろいろと怒られて。
「どうしていこうかなぁ」と何回も思いました。

その勉強会で、「経営計画書」を作ったのですが・・・
「経営計画書」ってご存じですか? 会社の指針書です。
今年どれぐらい売り上げをあげるかというのを書いた紙のことです。
今年どうする、例えば「10年後はこういうふうに会社はなりたい」とか。
例えば、朝、朝礼でみんなで唱和する会社の経営理念とか、
そういうものが書いてあるものです。
1枚でもいいので、なにしろ計画を立てて、文章に残してあるもの。
矢頭社長から「あんまり深く考えなくてもいいから、それを作りなさい」
と言われました。

4ページものの経営計画書を作成ました。
今は、いつも手帳の中に入れています。


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その経営計画書もここ10年で、60ページのものになりました。

当時は4ページ。4ページで作りなさいと言われて作りました。
そのときに、書いてみると、どれだけ僕が考えてないか、気づきました。
「将来のことをどうしたい」
「どういうふうに仕事をやって会社をやっていく」のか
「どんな会社にしたい」とか「自分はどういう信念でやっていくか」
というのがわからないので書けない。

書けないんじゃまずいなと思って、4ページ必死に書きました。
その4ページ作成した、最初の「経営理念」「経営指針」とかは、
今も経営計画書に入っています。文章内容も、ほとんど一緒です。

それぐらい、そのときに発起して書いたことが、
今でもやっていかなきゃいけないものになっています。
だから絶対書かなきゃいけないですね。
ここは、皆さんへ、強く言えるところです。

矢頭社長は、「目標設定をしなさい。」「目標設定をしないといけない。」
と何度も、何度も言っていました。


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会社の経営計画書があります。その表紙に絵があります。
これはビジュアリゼーションというものです。
「中洲を日本一の歓楽街にします」というのが、うちの会社の1番の目標です。


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商品 地域 客層の限定(古川隆奮闘記4)

ある出会いがありました。


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鹿児島から福岡に進出してきた社長がすごく親しくしてくれて、
その人に入りなさいと言われ、平成8年の7月ぐらいから、
中小企業家同友会に入りました。
入ったらすぐに、100人位の方たちの前で
「司会せれ!」と言われました。

司会などしたことないし、人前で話したこともない。
そのときの講師が、ランチェスター経営の竹田陽一先生でした。
竹田先生が壇上で、僕が司会で、2人でやりとりしました。
そのとき初めて人前でマイクを持って話しました。
すごく気持ちよくて、うれしかったのを憶えています。


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竹田陽一先生と知り合う機会ができました。
昔、『ランチェスター弱者必勝の戦略』という本があって、
その文庫本を買って読んでいました。
「この理論は正しいな、僕はよくわかる」と、
その本にすごく感動していました。

あの本を書いた素晴らしい先生がそこにいて、
しかも壇上で僕と司会でやりとりして、楽しいなぁと思って、
熱狂的なファンになりました。

でも、経営コンサルタントという人たちは、
企業からいくらかコンサルタント料を毎月もらうというのが収入です。
僕はそのころ年商750万円です。年収じゃないです、年商。

竹田先生に会いに事務所へ行きました。
「ああ、古川くん」と言われ。
「月5万円うちに払わないかね」と言われました。
月5万円。年間で60万円?当時の私には、そんなの払えるわけない。
それを「5年ぐらいで払いなさい」って言われました。

いや、もう絶対払えない。「いや、僕払えないですよ」と言ったら、
「3万円でどうですか?」と言われました。
「いや、3万もとんでもない。明日つぶれるかもしれんし、
そんな5万も3万も毎月払うんだったら・・・」と言ったんですよ。
そしたら竹田先生、僕の顔を見てブスッと怒って、
どこかに行っちゃったんです。

残ったランチェスター経営の社員さんが
「古川くん、毎月いくらだったら払える?」と言われました。
私は、ずっと悩みました。払えないと言ったら、
もう竹田先生は僕と話してくれないのではないか?
ブスッと怒って行ってしまいましたから。
どうしようかと思って、ずーっと考えて・・・・・・・・・。
「5000円だったら払える」と言ったら、「よか。5000円でいい」と。
「1番安いもので20万円でカセットテープ20本のものがある。
それを、48回払いで買いなさい。」と言われました。

20万円も高いお金を払って買ったので、20本のテープを車の横(助手席?)に置いて、
和白の移動の間に聴きました。
聴いたら差し替えてまた次のテープを聴いて。


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なにしろ20万円ですから、もうしょうがない、これを聴くしかない。
僕が尊敬している人の内容のテープなので、もうガンガン聴きました。
半年間、ほんとに何回も聞きました。
通常、経営するときに必要なものは、「人・物・金」じゃないですか。
人は人材、それと物は売るもの、それとお金が必要、というけど、
テープはそう言わないんです。そのテープは、僕みたいに貧乏なやつでも大丈夫だと言うんです。

何が必要かというと、「『商品・地域・客層』が必要だ」と言うんです。
それを聞いた時に目からうろこが落ちました。
僕らは不動産屋だから、特にその地域というものが大切なんです。
地域を自分たちで決めて、この地域でやろう、と
頑張ってる不動産屋って多いんです。
「商品・地域・客層」が大切だと言われて、
地域をしぼらなきゃいけないと、本当に思いました。

当時、長距離で30分以上1時間ぐらいかけて移動していたのですが、
その移動している時にテープが言うんです、
「移動時間は無駄だ」と。(笑)。


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その間は車の運転をしているだけ。仕事してないんです。
遠いところに1時間も2時間もかけて行って、
商談は15分で終わって帰ってきて、3時間も4時間も時間を費やして、
無駄だとほんとに思う。

私はそうやって、地域を半径500mに絞りました。


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起業へ(古川隆奮闘記3)

肩を叩かれた6月。
私は、会社を辞める事と、自分で会社を始める決意した。

しかし、私は、宮崎県出身。
住まいは福岡だったが、北九州で仕事をしていた私は
福岡に頼る人も無く、お金も無い状態。
「どうしよう?」と考え何人かの友人へ相談した。

友人より、以前マンションを買って頂いたお客さんで、
福一不動産前社長の塙(ハナワ)繁社長が不動産会社の免許をとり、
不動産業をやっていたが、今は休眠状態にあることを聞く。
早速、塙さんへ相談しようと思った。
中洲に4店舗のお店を経営していた塙社長へ、
不動産部の責任者として働かせて頂く、お願いにいきました。

私とは何の関係もなく、親戚でもなんでもない。
マンション会社の社員とお客さんの関係。
誰が考えても一般的には、お願いに行っても無駄。
不動産の仲介業は、扱う商品も金額が高いし、
失敗を考えると危険負担は大きく、受けてくれるはずもない。
しかし、頼む先もなく一か八かお願いに行きました。
「藁をもつかむ思い!」とはこの時のことでしょう。


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お金がないこと、首になったこと、人を騙す仕事はしたくない事、
起業したいこと、いろいろお話ししたとは思います。
今はもう、どうお願いしたかは覚えていません。
塙社長は、何故か受けいれて下さいました。

それには条件が、ありました。
今、塙社長が事務所を構えているところの近く、
または同じマンションで事務所を構えること。
印鑑は、押してもらうこと(契約内容は、告知すること)。
私に印鑑は、渡さない。
塙社長へお礼を、毎月支払うこと。
条件があるとは言え、本当にありがたい事です。
今思えば、受けて頂いたことは、奇跡に近いことでした。
心から感謝しています。

善は急げで、肩を叩かれたその月に、同じマンションの3階の
1ROOM(家賃45000円)を借りる事にし、不動産事務所をスタートしました。
小さな看板を作り、マンションの1階へ置き、会社があることを明示。
電話を1本引いて、FAXと兼用。コピー機は借り物。
コピー用紙は前の会社から、当分使える分を頂戴しました。

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1ROOMマンションなので、机とテーブルを入れると、もういっぱい。
事務所は構えたが、訪ねて来てくれるお客さんもなく、
電話はもちろんのこと鳴らない。


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一人の事務所でやる仕事内容は
1. 火曜日までに、中古マンションオープンルームのチラシ原稿を作成

2. 水曜日は輪転機で1万枚ほど作成

3. 木曜日には、取りに来てもらう

4.土曜日と日曜日には作成したチラシが新聞折込される。

土日私は11時~17時まで、中古マンションオープンルームの現場営業マン。
お客さんが来なくて、そのオープンルームが決まらないと、
私のやっている仕事は即赤字で継続は難しくなる。
しかし、不思議と来店者は1日に1~2件はありました。
17時30分には、オープンルームをかたづけ、
ご来店頂いたお客様のお宅へ訪問しクロージング。
帰宅は23時ごろ。

毎週、この工程を繰り返し、繰り返し行っていました。
1回のオープンハウスで決めることが私に課せられた絶対条件。
1回のオープンルームで経費が15万円。入る仲介手数料は50万円程度。
差し引き35万円。

1件決まっても、事務所の経費と塙さんへのお礼を払うと、私の取り分は、少ないもの。
1回で、決めず、また15万円の経費を使うと、何をやっているかわからない。
そのときの私は、「腹を空かせ狩をする猛獣」の様だったのかも?


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そんな毎日を、2年間は続けました。


私の生い立ちと就職、リストラから起業まで(古川隆奮闘記2)

私は、昭和37年9月生まれ。宮崎県延岡市出身。

昭和60年3月大分工業大学(現 日本文理大学)建築科卒業。
就職活動はしましたが、この年が就職難で、
大学の専攻は建築科なのですが、3流大学出では、
志望する建設会社や設計事務所へは決まらず、
仕方なく建築の仕事ではなく、営業へ志望を変えました。
それでも就職先は決まらなかった。

大学の先輩が、前の会社で経理課長をしており、
その方にお願いし、何とか採用してもらって、
大手マンションデベロッパーの営業マンとして入社。


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入社当時(昭和60年)年商600億、社員300名足らずだった会社が、
5年で年商5000億円社員数2000人の会社へ成長。
そして、バブルを経験する。

100部屋のワンルームの分譲マンションが、日経新聞全国版に広告を出すと、
その日の朝礼で、完売報告。青田売りで、即完売の毎日でした。
どんな物件でも、場所も見ず、新聞の広告での反響。
それも新聞紙面1ページではなく、1/3ページへ1回載せるだけ、即完売。


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私は朝6時には出社し、鳴りまくる電話を取り、お客様から申し込みをとり、
自分の売り上げにしていました。
給与は歩合制だったので覚えていませんが、
27歳(平成2年)の私が頂いたボーナスは、冬(12月)だけで200万円。
「不動産会社で働かない人はバカじゃないのかな?」と思うぐらい、
マンションが飛ぶように売れた。

会社は、大阪夏の祭り「天神まつり」のメインスポンサー。
大阪万博記念の時にできた遊園地、エキスポランドを2000人の社員で1日貸切。
乗り物は乗り放題。食事は、食べ放題、飲み放題。
夜は有名タレントを呼び、コンサート。社員全員コンサート会場で踊り騒いだ。
コンサートが終わると、たくさんの花火を打ち上げた。


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「なんて、私は素晴らしい会社に入ったんだ!」「私は運がいい!」
あの就職活動での、苦悩もなんのその。
一流企業の仲間入りをした会社の社員であり、課長になっていた私は、
この会社に一生ついていくことを心に決めた。

しかし、平成3年。
行政が土地の値上がりを阻止するために総量規制を始めた。
不動産バブルが崩壊し始めた。
あれだけ鰻登りで成長した会社だったが、かげりが見えてきた。

鮮明に覚えていますが、平成3年の初場所初日。
千代の富士が貴乃花に負けて、引退を宣言した記事が
日経新聞1面載ったその隣に、私が働いていた会社の記事が、
千代の富士の記事と同じぐらいの大きさで、270億○○銀行から支援と載った。

私は、ビックリ。
「会社は、急成長してきたのに支援?」「何か、おかしい!」
上司に記事の内容を聞くと、「安定している会社だから、支援を受ける事が
できるんだ。うちは大丈夫。銀行だって、危ない会社にお金はださないよ!」
と言い切った。

しかし、次の週も、その次の週も、毎週、入れ替り立ち替り、
違う銀行から金融支援の記事が掲載された。
いくら何でも、これだけ記事が載れば、社員は不安になる。
若い社員から、辞表がどんどん出てきて、辞めていった。

私は、その時、入社11年目。
課長にまでして頂いた会社には、感謝の気持ちもある。
また、未練もあり、辞めようなどとは、まったく考えていなかった。
その年から、ボーナスは無し。給与のみ。

とうとう、会社が本当におかしいと実感するときが来た。
私が担当していた北九州営業所の分譲マンションが竣工後2年を経過し、
建物代金の支払い期日が来た。
マンションは半分程しか売れておらず、代金が回収されていない。
会社は建物代金を支払うことが出来ず、物納することを決定した。
物納を受けた融資先は、私の会社と変わりマンションの売主となりました。

しかし、その売主から会社は、その売れ残りのマンション販売代理を受けた。
そこまでは良かったのですが、
昨日まで2200万円で販売していた3LDKのマンションを
ダンピングして1400万円で、会社が販売代理を受けてきました。


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なんと、800万円もの差があったのです。
私は、この現実を最初考えられませんでした。

野菜や果物なら36%の価格ダウンも考えられますが、何千万円もする高い買い物。
一生に一度の買い物をしていただいているのに、
突然「今日から800万円落として売ってくれ!」と言われても、
簡単に「では頑張って売ります!」とは言えません。

しかし、サラリーマン。
給料をもらうため、家族のためには、売るしかないのです。
「昨日までの私の信用は?」と思いながら、
今までと同じように、販売活動をしました。
心の中では、2200万円で買って頂いたお客様から、
「刺されるのではないか?」と心で思いながらやりました。

北九州所長をやっていた私は、その物件の責任者であり、
社員にはそう言う状況下でも、頑張って売るように指導しました。
信用を捨て、尚且つ恨まれる仕事をしている自分が情けなく思える日々でした。
このとき程、不動産会社に勤めていて嫌だったことは、ありませんでした。
不動産会社の社員としてバブルの良い時を経験し、少し良い生活を経験した私でしたが、
バブル崩壊とともに、苦い、そして心の痛む経験を強いられました。

しかし、苦い経験はそれだけではなかったのです。
どんどん会社がおかしくなり、とうとうリストラが始まりました。
リストラする人数が本社より通達され、リストラの選出を幹部で決めて
本人に宣告されるのです。
確かには覚えてはいませんが、1回に4~5人へ通達していました。
言われる前に、辞めていく社員も増え、
会社にはなんとも言えない、嫌な雰囲気が漂っていました。

そして、平成7年6月、とうとう私の番が来ました。
12月末で辞めてほしいとの事でした。
いつかは、言われると思っていましたが、
会社が好きで、会社のために、頑張ってきたつもりでしたが、
会社から辞めてほしいと言われたとき、
大きな杭が心に刺さって取れないと言うほどの、ショックでした。


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しかし、取締役の配慮で、長崎のマンション会社へ、
給料も変わらない条件で、再就職の話をして頂き、そちらで働く様に勧められました。
私は早速、そのマンション会社へ視察に行きました。
悪くない話で、ほとんど同じ仕事。
やれるとは思ったのですが、北九州で800万円ものダンピング、
信用を捨て、尚且つ恨まれる仕事をしている自分を惨めに感じたことを思い出し、
同じ事をやらされる可能性はあると考え、お断りすることにしました。

私のとっては、これも大きな決断でした。
田舎延岡へ帰ることも考え、父親へ相談しました。
小さな電気工事屋をしている父は、今不動産をやっており、
まったくと言っていいほど知識の無い私に満足できる給料は払えない事と、
弟が半年前に仕事を辞めて、帰ってきており、福岡で頑張る様に、進められました。

不動産会社へ就職するつもりは無い。田舎へは帰れない。
私は、自分で不動産会社を始めるしか方法がありませんでした。


福一不動産業務内容について(古川隆奮闘記1)

私が社長をしている福一不動産は、
皆さんが思っている不動産屋とは少し違います。

不動産屋というと、土地のブローカーや、
住宅賃貸を斡旋紹介するエイブルのような会社。


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地域の物件を預かり、事務所のガラスに物件情報を貼っている、
町の不動産屋さん。


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そんな不動産屋さんをイメージしてしまいますが、
私どもの会社の扱う不動産は少し違います。
福一不動産は、店舗(お店)の賃貸を紹介する会社なのです。
しかも、その店舗という賃貸の商品の中でも、
スナック、ラウンジ、居酒屋、飲食店等のみを扱う不動産屋です。
また、店舗でも、地域を限定し、中洲と歓楽街を中心に仕事をしています。


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中洲は、川と川で区切られた、狭い地域です。
その地域だけの店舗賃貸を紹介する不動産屋なのです。
ですから、不動産の商品が100ある中の、
1つだけを扱う不動産屋と言って良いでしょう。

その仕事ともう一つの業務が、この歓楽街の賃貸物件を大家さんから預かり、
家賃回収、入居者からのクレーム対応、ビルのメンテナンスチェックなどを行う
賃貸管理業です。


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中洲は、ススキノ、銀座、梅田など、森ビルとかの事務所ビルと隣接して、
ソシアルビル(スナック、クラブ、ラウンジと飲食店だけが入っているビル)
がある地域とはまったく違い、川と川で分断され、ソシアルビルしか建っていない、
全国まれに見る、特別な地域なのです。

その特別な地域で、店舗シェアー70%以上を誇る会社ですが、
業務はローテクで地味な仕事をやっています。





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