「変化に対応する不動産経営」株式会社やすらぎ 取締役会長 須田忠雄氏
6月15日13時30分より、基調講演 講師 株式会社やすらぎ
取締役会長 須田 忠雄 氏の講演がありました。
演題は「変化に対応する不動産経営」でした。
「立つな!座るな!人間どうすればいいのだ!」
高校を卒業して、反物屋さんで働いた。
何か仕事ないかな…と始めたのが、おでん屋。
次に、山林の売買。その山をなんとか売らなければ
ならない。月に1つ売ればいい。度胸があれば
何とかなる、と頑張った。28歳の時、ゴルフ場の
売買をやった。1反25万円から値を引き上げる。
35万円40万円と値が上がり、自己資金がショート。
自宅に差し押さえの赤紙が貼られる。ある大手に
一反150万円で買ってもらった。首の皮一枚で
売却できた。当時は良かった。今は簡単には
いかないが、ここでゴルフ場をやると言えば売れた。
手中に2億円の金が転がりこんできた。
飲みに行けばモテる。銀行は鰻丼を取ってくれる。
チヤホヤされる。お金があれば気分がいい。自分が
一生懸命頑張ったから、金があると思った。しかし、
2億円を2年で使い果たした。お金が無くなって、
初めて気付いた。「お金は汗を流して得なければ
ダメだ!」と。そして、日本一の石屋をしたいと考えた。
銀行に掛け合い、なんとか融資を受け、始業した。
会社は順調。ウナギ登りになった。しかし、歯科医師の
仕事にも手を出し失敗。2億の借金が残る。その借金を
返済する為に、新築マンション建設を手掛ける。
このマンションの支払は月500万円。これも大失敗。
バブル期の良い時代は、何もしない社長が儲かった。
行政の総量規制が行われ、1998年競売の法改正が
あった。お金が無いので営業部隊を雇い、借入の仕事を
回らせてお金を集めた。そして、主婦のパートさんを雇った。
その人たちは、不動産・競売を知らない。明日入る
パートさんで出来る仕事をさせた。「安いでしょう!
大丈夫!」と言って売れるようした。そのパートさんでも
扱える様、マニュアルを作った。それで、業績は650億。
48億の利益を出す。全国展開を始めた。いつの間にか、
在庫がかなり残ってくる。売れない物件が出て来た。
その在庫販売をしなければならなくなった。そして在庫
一掃に取りかかった。高いものを掴んでいないので、
販売するのは難しい。売れる値段はなんなんだ?と考えた。
そして、サービサーをやった。債権回収をする仕事だ。
収益物件を全国で買い漁った。150億円分ほど。
不動産が下がるとは、誰も思わなかった。ところが売れない。
いくらでもいから在庫処分しよう、と言って売ってしましった。
全国8ブロックにわけ売却をさせていった。買い取り業者に
いかにすぐに売るかだ!上棟の時点で売ることが大切。
どんなことがあっても、すぐに売る。これが一番!
会社の業績が悪くなり、広告費見直し、社員は950人を
500人へ。月に10億の経費がかかっていたものを、半分の
5億に減らした。辞めさせた社員は一人も居ない。3年間
かけて、いろんなリストラをした。現在は1億5千万円程に
減った。サービサーも債権ごと売った。株式上場もやめた。
現在では、純資産は370億円の会社になった。123もの
店が全国にある。会社は、税制や融資を受けることが
できなかったこと、または不動産が下がることで倒産する。
須田氏は、勉強会によく参加する。そして、講演を聞く。
しかし、その講演者がことごとく倒産している。不動産は
必ず下がる。その事を痛感した。法改正には十分に気を
付けて下さいと語った。
今は会社を辞め、自由の身になった。
須田氏の講演には想いが入っていて、不動産業界を
長い間生きてきて、たくさんのことを学ばれたと感じました。
演題「変化に対応する不動産経営」の通り、須田氏に
教えて頂いた「不動産は必ず下がる」「法改正には十分に
気を付けて下さい」と言うことを肝に命じて、これからも
不動産業をやっていきたいと思います。
須田氏の経歴は下記の通りです。
昭和21年2月日生れ(群馬県)
昭和39年3月 桐生市商業高校 卒
同年4月 福井商事株式会社 入社
昭和41年4月 須田商店開業(屋台のおでん屋)
昭和年2月 須田不動産開業(土地買取転売・ゴルフ場用地地上げ)
昭和53年9月 株式会社やすらぎ設立 代表取締役社長(墓石販売)
平成元年 同社 建売住宅に進出(年間200戸供給)
同14年 同社 中古再生住宅
同16年2月 同社 名古屋証券取引所セントレックスに上場
同20年 同社 会長
同22年 同社 顧問
著書
100万円でできる戸建リフォーム 2001年6月
年金は自分でつくれ 2003年5月
日本一不動産を買う男 2004年2月
続・日本一不動産を買う男 2004年7月
日本一不動産を買い続ける男 2006年7月
須田氏を取り上げた本
鶴蒔靖夫 著 「田舎」社長の成功経営術
取締役会長 須田 忠雄 氏の講演がありました。
演題は「変化に対応する不動産経営」でした。
「立つな!座るな!人間どうすればいいのだ!」
高校を卒業して、反物屋さんで働いた。
何か仕事ないかな…と始めたのが、おでん屋。
次に、山林の売買。その山をなんとか売らなければ
ならない。月に1つ売ればいい。度胸があれば
何とかなる、と頑張った。28歳の時、ゴルフ場の
売買をやった。1反25万円から値を引き上げる。
35万円40万円と値が上がり、自己資金がショート。
自宅に差し押さえの赤紙が貼られる。ある大手に
一反150万円で買ってもらった。首の皮一枚で
売却できた。当時は良かった。今は簡単には
いかないが、ここでゴルフ場をやると言えば売れた。
手中に2億円の金が転がりこんできた。
飲みに行けばモテる。銀行は鰻丼を取ってくれる。
チヤホヤされる。お金があれば気分がいい。自分が
一生懸命頑張ったから、金があると思った。しかし、
2億円を2年で使い果たした。お金が無くなって、
初めて気付いた。「お金は汗を流して得なければ
ダメだ!」と。そして、日本一の石屋をしたいと考えた。
銀行に掛け合い、なんとか融資を受け、始業した。
会社は順調。ウナギ登りになった。しかし、歯科医師の
仕事にも手を出し失敗。2億の借金が残る。その借金を
返済する為に、新築マンション建設を手掛ける。
このマンションの支払は月500万円。これも大失敗。
バブル期の良い時代は、何もしない社長が儲かった。
行政の総量規制が行われ、1998年競売の法改正が
あった。お金が無いので営業部隊を雇い、借入の仕事を
回らせてお金を集めた。そして、主婦のパートさんを雇った。
その人たちは、不動産・競売を知らない。明日入る
パートさんで出来る仕事をさせた。「安いでしょう!
大丈夫!」と言って売れるようした。そのパートさんでも
扱える様、マニュアルを作った。それで、業績は650億。
48億の利益を出す。全国展開を始めた。いつの間にか、
在庫がかなり残ってくる。売れない物件が出て来た。
その在庫販売をしなければならなくなった。そして在庫
一掃に取りかかった。高いものを掴んでいないので、
販売するのは難しい。売れる値段はなんなんだ?と考えた。
そして、サービサーをやった。債権回収をする仕事だ。
収益物件を全国で買い漁った。150億円分ほど。
不動産が下がるとは、誰も思わなかった。ところが売れない。
いくらでもいから在庫処分しよう、と言って売ってしましった。
全国8ブロックにわけ売却をさせていった。買い取り業者に
いかにすぐに売るかだ!上棟の時点で売ることが大切。
どんなことがあっても、すぐに売る。これが一番!
会社の業績が悪くなり、広告費見直し、社員は950人を
500人へ。月に10億の経費がかかっていたものを、半分の
5億に減らした。辞めさせた社員は一人も居ない。3年間
かけて、いろんなリストラをした。現在は1億5千万円程に
減った。サービサーも債権ごと売った。株式上場もやめた。
現在では、純資産は370億円の会社になった。123もの
店が全国にある。会社は、税制や融資を受けることが
できなかったこと、または不動産が下がることで倒産する。
須田氏は、勉強会によく参加する。そして、講演を聞く。
しかし、その講演者がことごとく倒産している。不動産は
必ず下がる。その事を痛感した。法改正には十分に気を
付けて下さいと語った。
今は会社を辞め、自由の身になった。
須田氏の講演には想いが入っていて、不動産業界を
長い間生きてきて、たくさんのことを学ばれたと感じました。
演題「変化に対応する不動産経営」の通り、須田氏に
教えて頂いた「不動産は必ず下がる」「法改正には十分に
気を付けて下さい」と言うことを肝に命じて、これからも
不動産業をやっていきたいと思います。
須田氏の経歴は下記の通りです。
昭和21年2月日生れ(群馬県)
昭和39年3月 桐生市商業高校 卒
同年4月 福井商事株式会社 入社
昭和41年4月 須田商店開業(屋台のおでん屋)
昭和年2月 須田不動産開業(土地買取転売・ゴルフ場用地地上げ)
昭和53年9月 株式会社やすらぎ設立 代表取締役社長(墓石販売)
平成元年 同社 建売住宅に進出(年間200戸供給)
同14年 同社 中古再生住宅
同16年2月 同社 名古屋証券取引所セントレックスに上場
同20年 同社 会長
同22年 同社 顧問
著書
100万円でできる戸建リフォーム 2001年6月
年金は自分でつくれ 2003年5月
日本一不動産を買う男 2004年2月
続・日本一不動産を買う男 2004年7月
日本一不動産を買い続ける男 2006年7月
須田氏を取り上げた本
鶴蒔靖夫 著 「田舎」社長の成功経営術
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