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近隣行事・交流録


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櫛田どんたく南坊流お茶会

5月4日は、櫛田神社でどんたくの期間(5月3日・4日)に
行なわれている『櫛田どんたく南坊流お茶会』に参加しました。


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このお茶会は、南坊流をたくさんの方々に知って頂こうと、
3年前から、櫛田神社と私達福岡くしだライオンズクラブと
南坊流で行っています。

この日はあいにくの雨・・・。
しかし、雨にも関わらず、たくさんの方にお越し頂きました。

並河さんのお子さん2人が、お運びの手伝いをしてくれました。
とっても助かりました!


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私の家族も、この日にお茶を飲みに来てくれました。


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10時から15時まで開催していました。

来年も同じ場所で開催しておりますので、どんたくの時に
思い出しましたら、是非お越しください!


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コメント(2)

僕もお茶には興味あります。次回は是非参加します。

祇園祭や南坊流の検索をいしていて、このページにたどり着きました。

南坊流の伝統をぜひ守ってください。



私は、裏千家を少々学んでおります。

好きで集めた古筆の中に、より姫筆の南方録の写し(断簡)があります。

もしよろしければ、ご縁のあるお茶会に使っていただきたく、来年のお茶会に貸し出しをさせていただきます。(現在は額に入っております)

もしご関心があればご返信ください。

本文は削除していただいても結構です。



◎求めた時の説明によりますと。。。

立花実山の書を写したの「笠原道桂」である。笠原道桂は、黒田藩士、旧姓立花勝久、実山の甥である。江戸藩邸勤めが長く、何れ実山から書写を許される予定であったが、実山が暗殺されたため書写できず。実山の死10年後の享保3年(1718)2月28日に上記の内3名の合議により特別に南方録の書写を許され る。

笠原道桂はその後江戸に南方録を持参し、江戸の旗本安藤定房に享保9年(1724)春、書写をさせる事になる。

その後「南方録」は、松平治郷の元にたどりつく。松平治郷《宝暦元年2月14日(1751年3月11日)~文政元年4月24日(1818年5月28日)》は、松江藩の第7代藩主であり、江戸時代の代表的茶人の一人で、号は不昧(ふまい)という。

松平治郷の正室は、伊達宗村(仙台藩の第6代藩主)の娘である関係で、古筆は仙台藩にもたらされたものである。

「伊達治家記録」及び「仙台藩・歴代藩主年譜」の記載は次の通りです。

仙台・六代藩主・伊達宗村の娘(母は側室の林氏)

松江藩主・松平治郷(はるさと)の正室

方子(よりこ)・「方姫(よりひめ)」と称す。

文政12年(1829)10月没 江戸天徳寺

兄・重村は七代・仙台藩主(伊達重村)

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