HOME > 博多よかばい放浪記 > STEP UP 20 > 商売は夫婦に勝るものはない 壱番屋創業者顧問 宗次 徳二氏 壱番屋会長 宗次 直美氏
商売は夫婦に勝るものはない 壱番屋創業者顧問 宗次 徳二氏 壱番屋会長 宗次 直美氏
5月21日朝7時より、フォーバル福岡支店会議室にて、
ステップアップ20が行われました。
この日は、4月5日にテレビ放映されたカンブリア宮殿の
「商売は夫婦に勝るものはない」
壱番屋創業者特別顧問 宗次 徳二氏
壱番屋会長 宗次 直美氏でした。
テーマは「”商売”は夫婦に勝るものはない」
創業者の宗次徳二氏は、28年間毎日カレー。
1日3食以上食べていた。奥さんの直美さんは、
会社でママと言われ慕われている。彼女は家族に
対して、特別の思いがある。直美が10歳のとき、
目の前で父親が吐血し、亡くなってしまった。
そして、親戚の家に預けられる事になった。
また、徳二さんの家はどうかと言うと、父親は毎日
競馬。働かない父とパートで頑張る母、しかし徳二を
残して母親は家出。父は家に帰ってこない。大変な
日々を送っていた。またある時、戸籍謄本を見ると
本当の親と思っていたが違っていた。そうして成人を
迎える。そんな中、直美と知り合い、一緒に喫茶店
バッカスを始める。また、カレー屋を考え「CoCo壱番屋」
1号店をオープン。自分たちの幸せは一番最後。
53年、名古屋市郊外の西枇杷島町にある第1号店。
オープン日から2日間は、景品目当てで予想以上の
お客様が来て、てんやわんや!しかし、3日後からは
閑古鳥。その理由は、カレーの温度が低いからだった。
そして2人は、毎日店の廻りを掃除をした。その姿勢を
見て、少しずつお客が増え、繁盛店になっていった。
2人は、その店へ久しぶりに店に行った。店内を見た
直美さんは、怒り爆発。エリア担当者を見つけ、怒る。
そして、洗剤を持ち、自ら掃除を始める。昔から、
掃除を率先する姿勢は変わらない。
商売は難しい。お客様が来ない。立地が悪かった。
それが「どうにかしなければ」という行動をさせた。
毎日1000通のアンケートを読んで仕事をしている。
朝4時代に出勤。「クレームは宝」だと言う。値下げは
しない。値下げにより、取引先への交渉や社員の
リストラと、何も良いことはない。絶対にやらない。
CoCo壱番屋は、努力し技術を学び、仕事を
覚えなければ店は出せない。ロイヤリティは無い。
CoCo壱番屋をする為には、夫婦で専業でなければ
ダメ。
6年間修業し国分氏は自分の店を持つことができた。
そして、妻も手伝うことになった。子供は実家に預け、
オープンを目指す。夫婦で準備を進める。国分氏は、
近くの国道を入念に掃除する。開店後間もなく、
お客様がきた。記念すべき1皿目にカレーが注がれる。
お客様が続々と現れる。そして、秘策を国分は考えて
いた。じんじゃコロッケ。それは、昔懐かしい味。
人気は上々だ。午後11時30分になり、最後の客が
帰って行った。
CoCo壱番屋は、フランチャイズではない。商品を
仕入れてもらうことのみ。二重にマージンは取らない。
共存共栄でやらなければダメ。
あるお店の店長の話。ある日、外出先を告げずにお店を
出てしまった。そこへ直美さんから電話が掛かってきた。
外出先を聞いていなかった店員は、「どこかへ行きました。」
と、伝えた。その事実を聞いて、直美さんはその店長の
携帯へ電話して「あんた、看板返しなさいよ!」と吠えた。
それを聞いた店長は、これはヤバイと店に帰ってきた。
あの時怒られたことを教訓にし、今ではCoCo壱番屋を
3店舗出し、年商3億を超えていると言う。
直美さんに聞くと「あんた、看板返しなさいよ!」と、
今まで100人以上の店長へ言ってきたと言う。
それぐらい真剣にやっているということだ。
このDVDを見て、「夫婦お互いの信頼と敬意が一番だな!」
と、心から感じました!
ステップアップ20が行われました。
この日は、4月5日にテレビ放映されたカンブリア宮殿の
「商売は夫婦に勝るものはない」
壱番屋創業者特別顧問 宗次 徳二氏
壱番屋会長 宗次 直美氏でした。
テーマは「”商売”は夫婦に勝るものはない」
創業者の宗次徳二氏は、28年間毎日カレー。
1日3食以上食べていた。奥さんの直美さんは、
会社でママと言われ慕われている。彼女は家族に
対して、特別の思いがある。直美が10歳のとき、
目の前で父親が吐血し、亡くなってしまった。
そして、親戚の家に預けられる事になった。
また、徳二さんの家はどうかと言うと、父親は毎日
競馬。働かない父とパートで頑張る母、しかし徳二を
残して母親は家出。父は家に帰ってこない。大変な
日々を送っていた。またある時、戸籍謄本を見ると
本当の親と思っていたが違っていた。そうして成人を
迎える。そんな中、直美と知り合い、一緒に喫茶店
バッカスを始める。また、カレー屋を考え「CoCo壱番屋」
1号店をオープン。自分たちの幸せは一番最後。
53年、名古屋市郊外の西枇杷島町にある第1号店。
オープン日から2日間は、景品目当てで予想以上の
お客様が来て、てんやわんや!しかし、3日後からは
閑古鳥。その理由は、カレーの温度が低いからだった。
そして2人は、毎日店の廻りを掃除をした。その姿勢を
見て、少しずつお客が増え、繁盛店になっていった。
2人は、その店へ久しぶりに店に行った。店内を見た
直美さんは、怒り爆発。エリア担当者を見つけ、怒る。
そして、洗剤を持ち、自ら掃除を始める。昔から、
掃除を率先する姿勢は変わらない。
商売は難しい。お客様が来ない。立地が悪かった。
それが「どうにかしなければ」という行動をさせた。
毎日1000通のアンケートを読んで仕事をしている。
朝4時代に出勤。「クレームは宝」だと言う。値下げは
しない。値下げにより、取引先への交渉や社員の
リストラと、何も良いことはない。絶対にやらない。
CoCo壱番屋は、努力し技術を学び、仕事を
覚えなければ店は出せない。ロイヤリティは無い。
CoCo壱番屋をする為には、夫婦で専業でなければ
ダメ。
6年間修業し国分氏は自分の店を持つことができた。
そして、妻も手伝うことになった。子供は実家に預け、
オープンを目指す。夫婦で準備を進める。国分氏は、
近くの国道を入念に掃除する。開店後間もなく、
お客様がきた。記念すべき1皿目にカレーが注がれる。
お客様が続々と現れる。そして、秘策を国分は考えて
いた。じんじゃコロッケ。それは、昔懐かしい味。
人気は上々だ。午後11時30分になり、最後の客が
帰って行った。
CoCo壱番屋は、フランチャイズではない。商品を
仕入れてもらうことのみ。二重にマージンは取らない。
共存共栄でやらなければダメ。
あるお店の店長の話。ある日、外出先を告げずにお店を
出てしまった。そこへ直美さんから電話が掛かってきた。
外出先を聞いていなかった店員は、「どこかへ行きました。」
と、伝えた。その事実を聞いて、直美さんはその店長の
携帯へ電話して「あんた、看板返しなさいよ!」と吠えた。
それを聞いた店長は、これはヤバイと店に帰ってきた。
あの時怒られたことを教訓にし、今ではCoCo壱番屋を
3店舗出し、年商3億を超えていると言う。
直美さんに聞くと「あんた、看板返しなさいよ!」と、
今まで100人以上の店長へ言ってきたと言う。
それぐらい真剣にやっているということだ。
このDVDを見て、「夫婦お互いの信頼と敬意が一番だな!」
と、心から感じました!
トラックバック(0)
トラックバックURL:
コメントする