アラスカ 垂直と水平の旅 登山家 栗秋正寿氏
7月20日17時より博多都ホテルにて博多法人会
青年部会夏季研修会が行われました。
この日の講師は登山家 栗秋正寿氏。
演題は「アラスカ 垂直と水平の旅 冬季アラスカ垂直の旅」
アラスカ垂直の旅
中央アラスカの3大高峰を登頂することを目的として
マッキンリー6194m
フォレイカ―5304m
ハンター4442m
2010年にはハンターへ5度目の挑戦でも3300mまでで断念。
栗秋さんのような、高所登山を経験している方は華奢な方多い。
168体重60kgで普通の体型。私と一緒に映っている写真からも
華奢な事が伺えると思います。
アラスカ3大高峰ハンターでもキャンプ地はたくさんあり、その
キャンプ地を何回も往復して荷揚げをし、登っていきます。
キャンプ地には、雪の雪洞を作って待機しながら山を登ります。
登山をするきっかけは、「ラブストーリーを君に」という、映画の
登山景色に感動して山岳部へ入部。トレーニングはジョギングを
行っているそうです。また、体重と同じ重さ51kgを背負い、近郊の
山を登って体力をつけていきました。
1995年の7月に、初めてマッキンレーに行くことができました。
そのきっかけは、右人差し指をバイクの整備をしている時に
切ってしまい、早く海外の山に登りたいと決意。
1996年からは単独でアラスカへ行くことになりました。
1997年の2月にマッキンリーへ挑戦。あと1000mにて断念。
福岡では、マイナス25度の55度の冷蔵庫で寒さを体感させて
頂きました。
1998年3月8日には冬のマッキンリーに登頂を達成。
1999年4月と2001年3月にアラスカ フォレイカーに単独
登頂しますが、冬季の記録を逃してしまいます。
2001年1月はフォレイカー、2003年2月、2004年2月は
2月ハンターへ、2006年2月はマッキンリーへ挑戦しますが
いずれも悪天候のため断念。
2007年1月、通算4度目の冬のフォレイカーに挑戦し、3月
10日に登頂(冬季単独は世界初)に成功されました。
冬の山は、台風秒速100mは時速360km。マイナス70度。
雪洞は絶対に必要で、3~4時間かかって作ります。
なるべく入口は小さく。広さは2畳ほど。雪洞で、連続12日間
閉じ込められた事もあります。
食料は全て乾いたもの。それを水やお湯で戻して食べます。
山では4000~5000カロリーを摂取します。水は、雪や氷を
溶かし、1時間ほどかかって作ります。それに苦労します。
蛇口をひねって出でくる水には、心から感謝したいと思います。
栗秋さんが一番熟睡できるのは、冬のアラスカ。それも掘った
雪洞の中だと言います。自宅ではない。身の危険を感じている
雪山は集中して眠ることができるのだそうです。
2007年1月のフォレスカー登頂の時の話です。
栗秋さんの仕事は待つこと。ひたすら待つ。
ひとつでも問題があれば登頂はしません。
最終キャンプを出て9時間15分後。冬季登頂に成功しました。
頂上は秒速10~15m。10分滞在し、夕方5時3分に下山。
頂上を降りて4時間後、キャンプ地へ戻ることを断念。
緊急措置をし、小さな雪洞を掘り、そこに待機することに
しました。
雪洞の入り口をシャットアウトし、マイナス29度ではありますが
そこで仮眠をとりました。翌日、風が治まり最終キャンプに到達。
それからも、ブリザード等に遭いながら、トータル27日かけて
下山をしました。
冬季アラスカ水平の旅
アラスカをリアカーを引いて1400kmを歩きました。
その途中、4つの学校を回り、冬のアラスカ3大高峰登頂の
体験を発表させてもらいました。
1400kmの旅の鉄則は、時速5キロ以上のスピードを
出さない。沿道の声援には応える。釣りができるときは
やる。
しかし、虫歯で熱がでて、ある程度戻って治療をしました。
その時の先生は、無料で治療してくれました。
道中では熊もいます。その対策は
①鈴をつける
②ライフルを装備する
そして、北極海へ到達しました。達成した時には寂しい
気持ちになりました。また、助けて頂いた皆さんへの
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
福岡に、こんなに素晴らしい登山家がいらっしゃることを知り、
大変嬉しく思いました。栗秋さんの実体験の話は、大変勉強に
なりました。ありがとうございました!
青年部会夏季研修会が行われました。
この日の講師は登山家 栗秋正寿氏。
演題は「アラスカ 垂直と水平の旅 冬季アラスカ垂直の旅」
アラスカ垂直の旅
中央アラスカの3大高峰を登頂することを目的として
マッキンリー6194m
フォレイカ―5304m
ハンター4442m
2010年にはハンターへ5度目の挑戦でも3300mまでで断念。
栗秋さんのような、高所登山を経験している方は華奢な方多い。
168体重60kgで普通の体型。私と一緒に映っている写真からも
華奢な事が伺えると思います。
アラスカ3大高峰ハンターでもキャンプ地はたくさんあり、その
キャンプ地を何回も往復して荷揚げをし、登っていきます。
キャンプ地には、雪の雪洞を作って待機しながら山を登ります。
登山をするきっかけは、「ラブストーリーを君に」という、映画の
登山景色に感動して山岳部へ入部。トレーニングはジョギングを
行っているそうです。また、体重と同じ重さ51kgを背負い、近郊の
山を登って体力をつけていきました。
1995年の7月に、初めてマッキンレーに行くことができました。
そのきっかけは、右人差し指をバイクの整備をしている時に
切ってしまい、早く海外の山に登りたいと決意。
1996年からは単独でアラスカへ行くことになりました。
1997年の2月にマッキンリーへ挑戦。あと1000mにて断念。
福岡では、マイナス25度の55度の冷蔵庫で寒さを体感させて
頂きました。
1998年3月8日には冬のマッキンリーに登頂を達成。
1999年4月と2001年3月にアラスカ フォレイカーに単独
登頂しますが、冬季の記録を逃してしまいます。
2001年1月はフォレイカー、2003年2月、2004年2月は
2月ハンターへ、2006年2月はマッキンリーへ挑戦しますが
いずれも悪天候のため断念。
2007年1月、通算4度目の冬のフォレイカーに挑戦し、3月
10日に登頂(冬季単独は世界初)に成功されました。
冬の山は、台風秒速100mは時速360km。マイナス70度。
雪洞は絶対に必要で、3~4時間かかって作ります。
なるべく入口は小さく。広さは2畳ほど。雪洞で、連続12日間
閉じ込められた事もあります。
食料は全て乾いたもの。それを水やお湯で戻して食べます。
山では4000~5000カロリーを摂取します。水は、雪や氷を
溶かし、1時間ほどかかって作ります。それに苦労します。
蛇口をひねって出でくる水には、心から感謝したいと思います。
栗秋さんが一番熟睡できるのは、冬のアラスカ。それも掘った
雪洞の中だと言います。自宅ではない。身の危険を感じている
雪山は集中して眠ることができるのだそうです。
2007年1月のフォレスカー登頂の時の話です。
栗秋さんの仕事は待つこと。ひたすら待つ。
ひとつでも問題があれば登頂はしません。
最終キャンプを出て9時間15分後。冬季登頂に成功しました。
頂上は秒速10~15m。10分滞在し、夕方5時3分に下山。
頂上を降りて4時間後、キャンプ地へ戻ることを断念。
緊急措置をし、小さな雪洞を掘り、そこに待機することに
しました。
雪洞の入り口をシャットアウトし、マイナス29度ではありますが
そこで仮眠をとりました。翌日、風が治まり最終キャンプに到達。
それからも、ブリザード等に遭いながら、トータル27日かけて
下山をしました。
冬季アラスカ水平の旅
アラスカをリアカーを引いて1400kmを歩きました。
その途中、4つの学校を回り、冬のアラスカ3大高峰登頂の
体験を発表させてもらいました。
1400kmの旅の鉄則は、時速5キロ以上のスピードを
出さない。沿道の声援には応える。釣りができるときは
やる。
しかし、虫歯で熱がでて、ある程度戻って治療をしました。
その時の先生は、無料で治療してくれました。
道中では熊もいます。その対策は
①鈴をつける
②ライフルを装備する
そして、北極海へ到達しました。達成した時には寂しい
気持ちになりました。また、助けて頂いた皆さんへの
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
福岡に、こんなに素晴らしい登山家がいらっしゃることを知り、
大変嬉しく思いました。栗秋さんの実体験の話は、大変勉強に
なりました。ありがとうございました!
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