「死力達成の極意」NPO法人全世界空手道連盟 新極真会 代表理事 緑 健児氏
7月22日17時より、博多都ホテル2階宴会場にて、博多
法人会青年部会第21回夏季研修会が開かれました。
講師は、NPO法人全世界空手道連盟 新極真会 代表
理事 緑 健児氏。演題は「死力達成の極意」でした。
緑 健児さんは、奄美大島出身です。クラスで一番体が
小さく、なんとか強くなりたいといつも思っていました。
小学校5年生のとき、空手バカ一代というマンガを見て、
極真空手を習いたいと思い立ました。しかし、奄美には
極真の教室はありませんでした。
中学時代に東京に行きたいと思い立って勉強をし、
東京の進学校へ行きました。高校に入り、極真空手の
道場に入門しました。
そこで恩師に出会いました。毎日練習。365日休みなし。
怪我は日常茶飯事。しかし、そのケガも勲章と思える
ぐらい練習をすることが楽しかったのです。
ある日、組み手中に足に鈍い音がして骨が折れてしまい
ました。そして、足を使わない組み手を練習。しかし、
上半身の肋骨も骨折。そのけがを隠して大会に参加
しました。
2回戦で足がダメになり、3回戦で脇腹も痛くなりました。
心細くなり、田舎に帰ろうかな~と思いました。しかし、
これで負けたら恥。アルバイトも辞めて、弟子入りし、
空手に熱中して練習をしました。
そして、日本一のチャンピオンになりました。
この後、世界大会へ参加。ある試合で、気持ちが弱く
なって負けてしまいました。どうしようもなくなり、田舎の
奄美に帰り、ダンプの運転手に転職しました。しかし、
ダンプを運転ている間も、空手のことばかり考えて
いました。
ある日、大山総裁からスイスの大会に演武で参加
しないかと誘われ、参加を了承しました。
アンディ・フグと対戦しましたが、敗退。また、奄美に
帰りました。どんな人よりも、長い時間練習して、もう
一度やって見ようと思い、1日8時間練習しました。
また決勝戦で試合を投げてしまいました。準優勝で
納得をしてしまい、そして、奄美に帰りました。
大山総裁が奄美にお越しになりました。総裁は、「握力を
付けなさい。」と言ってくれました。そして、「もしかすると
緑君は、世界一になれるかもしれないね。小さい人が
世界一になったら、その様な人に勇気を与えられる
だろうね。」と言ってくれました。
この言葉で、また練習を始めました。
この言葉で、「死力達成の極意」だと考え、今まで以上に
練習に挑みました。
準々決勝、身長が180cm以上、体重は80kg以上の大男と
対戦した時のこと、ここまででいいんじゃないかと、ここで
頑張れと言う自分がいて、この試合は後者が強くなり勝利
しました。諦めてはいけないと思えたのです。
その気持ちが表に出て、準決勝、決勝も勝ちました。そして、
やればできる。思えばやれる。という事を、身を持って体験
しました。
この時に、大山総裁の偉大さを感じました。
そして2年後、総裁は亡くなられました。それからは、極真が
10ぐらいの団体に別れ、新極真会という会を立ち上げ、今の
極真の代表的な団体になっています。
新極真では、世界大会でも日本人がチャンピョンになって
います。「頭は低く、目は高く、志を大きく、口は慎んで、
心は優しく、他を僻す」という言葉を原点として育てています。
「人脈は、金脈なり」と総裁が言われていました。
絶対に限界を作らない。
行動で示す。
いつも華がなければならない。
どんなにきつくても、笑顔を絶やさないでいてほしい。
悩まずに、いつも前向きに頑張って行きましょう。
福岡には、現在1000人の生徒がいます。今後は,2000人、
30000人にして行きたいと思っています。
最後に、空手をオリンピックの種目にして行きたい!
日本でオリンピックが開かれる年にはと願っています。
法人会青年部会第21回夏季研修会が開かれました。
講師は、NPO法人全世界空手道連盟 新極真会 代表
理事 緑 健児氏。演題は「死力達成の極意」でした。
緑 健児さんは、奄美大島出身です。クラスで一番体が
小さく、なんとか強くなりたいといつも思っていました。
小学校5年生のとき、空手バカ一代というマンガを見て、
極真空手を習いたいと思い立ました。しかし、奄美には
極真の教室はありませんでした。
中学時代に東京に行きたいと思い立って勉強をし、
東京の進学校へ行きました。高校に入り、極真空手の
道場に入門しました。
そこで恩師に出会いました。毎日練習。365日休みなし。
怪我は日常茶飯事。しかし、そのケガも勲章と思える
ぐらい練習をすることが楽しかったのです。
ある日、組み手中に足に鈍い音がして骨が折れてしまい
ました。そして、足を使わない組み手を練習。しかし、
上半身の肋骨も骨折。そのけがを隠して大会に参加
しました。
2回戦で足がダメになり、3回戦で脇腹も痛くなりました。
心細くなり、田舎に帰ろうかな~と思いました。しかし、
これで負けたら恥。アルバイトも辞めて、弟子入りし、
空手に熱中して練習をしました。
そして、日本一のチャンピオンになりました。
この後、世界大会へ参加。ある試合で、気持ちが弱く
なって負けてしまいました。どうしようもなくなり、田舎の
奄美に帰り、ダンプの運転手に転職しました。しかし、
ダンプを運転ている間も、空手のことばかり考えて
いました。
ある日、大山総裁からスイスの大会に演武で参加
しないかと誘われ、参加を了承しました。
アンディ・フグと対戦しましたが、敗退。また、奄美に
帰りました。どんな人よりも、長い時間練習して、もう
一度やって見ようと思い、1日8時間練習しました。
また決勝戦で試合を投げてしまいました。準優勝で
納得をしてしまい、そして、奄美に帰りました。
大山総裁が奄美にお越しになりました。総裁は、「握力を
付けなさい。」と言ってくれました。そして、「もしかすると
緑君は、世界一になれるかもしれないね。小さい人が
世界一になったら、その様な人に勇気を与えられる
だろうね。」と言ってくれました。
この言葉で、また練習を始めました。
この言葉で、「死力達成の極意」だと考え、今まで以上に
練習に挑みました。
準々決勝、身長が180cm以上、体重は80kg以上の大男と
対戦した時のこと、ここまででいいんじゃないかと、ここで
頑張れと言う自分がいて、この試合は後者が強くなり勝利
しました。諦めてはいけないと思えたのです。
その気持ちが表に出て、準決勝、決勝も勝ちました。そして、
やればできる。思えばやれる。という事を、身を持って体験
しました。
この時に、大山総裁の偉大さを感じました。
そして2年後、総裁は亡くなられました。それからは、極真が
10ぐらいの団体に別れ、新極真会という会を立ち上げ、今の
極真の代表的な団体になっています。
新極真では、世界大会でも日本人がチャンピョンになって
います。「頭は低く、目は高く、志を大きく、口は慎んで、
心は優しく、他を僻す」という言葉を原点として育てています。
「人脈は、金脈なり」と総裁が言われていました。
絶対に限界を作らない。
行動で示す。
いつも華がなければならない。
どんなにきつくても、笑顔を絶やさないでいてほしい。
悩まずに、いつも前向きに頑張って行きましょう。
福岡には、現在1000人の生徒がいます。今後は,2000人、
30000人にして行きたいと思っています。
最後に、空手をオリンピックの種目にして行きたい!
日本でオリンピックが開かれる年にはと願っています。
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