「武師道とは」 元K1ファイター元プロ総合格闘家 佐竹雅昭氏 前編
7月23日17時より、博多法人会青年部会夏季研修会が
福岡サンパレスにて行われました。
「武師道とは」元K1ファイター元プロ総合格闘家
佐竹雅昭氏でした。
佐竹さんとは、講師を依頼した4月から毎月博多へ
お越し頂いた都度、中洲へお付き合い頂いています。
大山カラテに憧れて、空手の道に入った。
だんだんやっていく内に、マイナーな世界で、割と
暴力的な世界だとわかった。
しかし、佐竹さんはこのスポーツをメジャーにして
やろうと考え、全国の大会に出場し、総なめに
していった。
前田明という選手に試合を申し込んだ。しかし、
アマチュアだから、筋を通して来いと言われた。
そして、キックボクシングのチャンピオンに試合を
申し込み、日本武道館リングで戦った。
その時、「佐竹がんばれ!」と言う声がたくさん
聞こえた。試合が始まり、佐竹さんは頭突きをして、
パンチを浴びせ、勝った。
前田明に認められ、格闘界へ殴り込みを果たした。
格闘界だけではなく、マスコミにもどんどん出る事に
した。儲かってきたが、何か足りない。
有名にはなったが、リングに上がってもお客様の
声は、「佐竹死ね!」だった。お客様の気持ちが
変わっていった。
戦うのではなく、精神文化が必要なのではないかと
思い始めた。人間の土台になるものを、学び直さな
ければならない。
その思いは武士道にあると考え、学んでいった。
戦国時代は100年間殺し合いをした。男は20%しか
残っていなかった。その時代をやり直したのは、
徳川家康。
「キチンとしたルールの中で生きて行こう。」と考える
所に、武士道があると佐竹さんは考えている。
平穏な江戸時代には、武士道は無くなっていった。
明治維新の時代には、もう一度武士道を思い起こした。
「和魂洋才」
日本魂を忘れず、新しいものを採用する。新しい日本が
出来上がった。しかし、太平洋戦争では、違う意味で
武士道が伝わり、死を美化していった。
現代はカッコだけであり、見てくれを重視している。
本当は心が無ければダメだ。家族が守れなければ
いけない。社長であれば、社員を守らなければならない。
「これこそ武士道!」と、佐竹さんは思う様になった。
福岡サンパレスにて行われました。
「武師道とは」元K1ファイター元プロ総合格闘家
佐竹雅昭氏でした。
佐竹さんとは、講師を依頼した4月から毎月博多へ
お越し頂いた都度、中洲へお付き合い頂いています。
大山カラテに憧れて、空手の道に入った。
だんだんやっていく内に、マイナーな世界で、割と
暴力的な世界だとわかった。
しかし、佐竹さんはこのスポーツをメジャーにして
やろうと考え、全国の大会に出場し、総なめに
していった。
前田明という選手に試合を申し込んだ。しかし、
アマチュアだから、筋を通して来いと言われた。
そして、キックボクシングのチャンピオンに試合を
申し込み、日本武道館リングで戦った。
その時、「佐竹がんばれ!」と言う声がたくさん
聞こえた。試合が始まり、佐竹さんは頭突きをして、
パンチを浴びせ、勝った。
前田明に認められ、格闘界へ殴り込みを果たした。
格闘界だけではなく、マスコミにもどんどん出る事に
した。儲かってきたが、何か足りない。
有名にはなったが、リングに上がってもお客様の
声は、「佐竹死ね!」だった。お客様の気持ちが
変わっていった。
戦うのではなく、精神文化が必要なのではないかと
思い始めた。人間の土台になるものを、学び直さな
ければならない。
その思いは武士道にあると考え、学んでいった。
戦国時代は100年間殺し合いをした。男は20%しか
残っていなかった。その時代をやり直したのは、
徳川家康。
「キチンとしたルールの中で生きて行こう。」と考える
所に、武士道があると佐竹さんは考えている。
平穏な江戸時代には、武士道は無くなっていった。
明治維新の時代には、もう一度武士道を思い起こした。
「和魂洋才」
日本魂を忘れず、新しいものを採用する。新しい日本が
出来上がった。しかし、太平洋戦争では、違う意味で
武士道が伝わり、死を美化していった。
現代はカッコだけであり、見てくれを重視している。
本当は心が無ければダメだ。家族が守れなければ
いけない。社長であれば、社員を守らなければならない。
「これこそ武士道!」と、佐竹さんは思う様になった。
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