「私の相撲道」 八角信芳親方 前編
8月7日15時から博多都ホテル宴会場にて、博多法人会青年部会
夏季研修会が行われました。
今回の講師は、元横綱北勝海の八角信芳親方でした。
親方は北海道の広尾郡広尾町出身。
父は74歳でまだ現役。今でも、朝早くから昆布を獲っている。
北海道、ロシアに拿捕されそうになる地域まで行く事もある。
兄も地元でサンマを獲っている。
八角親方は、小さいころからこの仕事を手伝っていた。
父は、町で一番多く昆布を取っていたので、自慢の父親だった。
辛抱強い父親だったので、自分もそういう男になろうと決めていた。
中学生の時、作文に「将来はお相撲さんになる」と書いていた。
八角親方は中学生の頃に、先代の九重親方に連れられ角界入りをした。
お金を稼いで、「芝生のある家を買う」という夢を描いて東京へ。
北海道を出る時、家族が空港まで送ってくれたが、心は不安でいっぱい。
家族の顔を見ると涙がでそうで見られなかった。
保志信芳(八角親方の本名)少年は「頑張るから!」と言って飛行機に乗った。
東京について、九重親方の車は外車。「東京は金持ちが多いんだな!」と感じた。
しかし、朝起きると相撲部屋は田んぼの真ん中。これにもびっくり。
昭和53年入門。小錦や寺尾が同期(花の三八組み)。
兄から手紙が来た。「1ヶ月頑張ったんだから、半年頑張れる。
半年頑張ったら、1年頑張れる。」と書いてあった。
稽古が終ってから、食事は14時以降。
家から電話が掛かってきても、電話の話には、「うん!」言えず無言だった。
稽古、掃除、稽古・・・。そのほかに料理、洗濯でずーっと忙しく、凄く大変で
夜も眠れない。息抜きをする暇はなかった。稽古を厳しいと思う事は
なかったが、生活がきつかった。自分の洗濯だけではなく、先輩の分も、
料理も掃除もすべてやらなくてはならない。これがなんといっても、
もの凄くきつかった。
「実家に居れば、母親がすべてやってくれるのに・・・」と何度も思った。
そんな中、20歳入幕。すぐに3役に昇進。
スピード出世で、自分が一番すごいと思いだした。
そんな保志。「俺ってすごい!」と言って回りたかったが、親方に
「マスコミ等に対しては、気を付けて話しをしなさい!」と言われていた。
小錦と当たるときは、怖かった。
特に200kを超えたときには、体重差がかなり怖かった。
昭和60年の名古屋場所で、怖かったけど相手を投げられた。
気分が良かったことを思い出す。
昭和61年22歳で初優勝。その年の正月に、「横綱に上がるぞ!」と
抱負を皆さんの前で言ってしまった。有言実行。3役総なめで、また優勝。
すぐに大関へ。大関に上がった時は、8勝7敗で親方にはひどく怒られた。
「中洲に行き過ぎだ!」それから、気合いを入れ直し、すぐに横綱へ昇進。
明治神宮で土俵入りを始めた時、5000人の観客が来た。
この時に、責任をずしっと感じた。
…後編へ続く。
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