「子育てと組織の中の人育ての気づき」 博多税務署 高橋佳代子副署長
6月4日8時よりホテルクリオコート博多4階会議室にて、博多一水会が開催されました。
この日の発表者は、高橋佳代子副署長と博多法人会 水口啓司会長でした。
演題「子育てと組織の中の人育ての気づき」
博多税務署 高橋佳代子副署長
高橋佳代子副署長には、3人の息子さんがいらっしゃいます。
3人とも成人し、3人とも就職しました。
3男さんは21歳。昨年、自閉症と認定されました。
4月、晴れて一般企業に就職をしました。
高橋佳代子副署長は、そのことがとても嬉しいと言っていました。
高橋佳代子副署長は、昭和50年佐賀北高校卒業後、
4月1日何の研修も受けず、佐賀税務署総務課へ配属されました。
当時は、税務大学校は男性しか入校できませんでしたが、
男女雇用機会均等法を受けて、女性も税務大学校へ行けるようになり、
昭和58年税務大学校へ行き勉強し、現在は、博多税務署の副署長。
60年、61年、母と祖母がガンになり、相次いで亡くなった。
そのショックもあり、家族を増やそうということで、3男さんが生まれた。
しかし、3男さんには、障害があった。目を合わせない。
病院に相談に行ったが、障害があるとは認定されませんでした。
6歳になり、彼は小学校に入った。
運動場に出てチャイムが鳴っても、教室に戻らない。
理由なく手を引かれると、動かない。
高橋副署長はそんな彼のため、PTAの役員を自分から、進んでやった。
名札を付けるのも嫌がる。ランドセルを身につけるのも嫌がる。
黒板は横。ノートは縦。
ノートと黒板の違いが、理解できず、ノートを取らない。
曖昧なことを理解することが難しい。
障害と現状の差が、認定しにくい。
「何で私のところにこんな子供が生まれたんだろう。」
と高橋佳代子副署長は考えたこともあった。
しかし、可哀そうなのは、この子なんだ。
私はこの子が死ぬまで面倒をみることは出来ない。
この子が、「自分で生き甲斐をもって生きていけるように育てるのが私の役目」と思った。
試験の結果を見て、指導したことがある。
答案はほとんど書かない。書いたあとがあっても、消したあとがあった。
その現実を見て、高橋佳代子副署長は、彼に書かせることを進めた。
そして点数ではなく、“少しでも書けたことを褒める”ことに心がけた。
私は、褒めて育てた。
良いところを褒めると、悪いところも直そうとする方向に人は努力する。
80点を取ってきたら、80点取れたことを褒めるのと、
「あと20点、なんで取れなかったの?」と言われるのとは違う。
それは職場も同じ。
今は職場でも、各部所を回り微笑みながら「おはようございます!」言って毎日回る。
“他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。”
3男さんは、大分県の竹田南高校へ行った。福岡からは遠いので、寮に入れた。
入学式当日電話があり、学校を辞めると言ってきた。
「マラソン大会がいやだ。」と言ってきた。
2週間我慢する様に話す。
しかし、辞めたいと言う。
そこで、本人に辞めた後の選択肢を考えさせたところ、
本人の口から、「じゃ、1学期だけ行く」と言ってくれた。
そして、彼は頑張り学校を見事卒業し、専門学校へ行った。
しかし、専門学校にはついていけず、中退した。
「このまま家にいては、引きこもりになる。」と、
作業所の施設長が、実習生として受け入れてくれた。
そこで、指導員の方たちに褒められ、仕事も覚えた。
今年4月7日から、二週間の実習を経て、一般企業に正式採用になった。
高橋佳代子副署長は「とても嬉しいことです。」と嬉しそうな顔をして、
話してくださいました。
雇用先からは、この子は、「とても純粋ですね。」と言われ、
その言葉にも、「心から嬉しかった。」
幸せは自分の感情。いつも笑顔で、楽しく生きていきたい。
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