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和菓子から洋菓子へ 石村萬盛堂 石村社長

10月3日8時より博多法人会朝の勉強会、
一水会が東京第一ホテル2階会議室にて開催されました。


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今回の発表者は石村萬盛堂 石村社長でした。
石村社長のお話は、興味深い内容で、聞き入ってしまします。

今回は、石村社長が社長を受けて、
今のボンサンクが、一世風靡するまでの苦労を話してくれました。

お父さんが亡くなられ、石村社長が社長になるまでは、和菓子が主流で、
賞味期限が短い洋菓子(生菓子)は売れないとされていた。
お父様は晩年「これからは、洋菓子の時代が来る!」と言っていた。
石村社長は、その洋菓子販売に着手した。

その時代は、どんな方法を取れば洋菓子が売れるのかさえ分らなかった。
しかし、洋菓子(ケーキのような生菓子)は家へ持って帰るおみやげとしては、良い。
それであれば、それを入れる綺麗な入れ物をつくり、
箱詰めして渡せばいい。と石村社長は考えた。

それでも売れ行きは上がらず、「何か爆発的に売れる方法はないのか?」
と石村社長は思案に思案を重ねた。

ある日、「結婚式の引き出物としてではどうか?」と考え、
地元で有名なホテルは話を持って行った。
ホテルが側は、あまりのり気ではなかったが、採用してくれた。
洋菓子を引き出物で使ってみると、お客様に喜ばれ、ホテルも喜んでくれた。
他のホテルからも引き合いがあり、洋菓子は飛ぶように売れた。


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石村社長は、次の洋菓子戦略先を、中洲に決めた。
ある、お菓子の会社は昼に売れなかったお菓子を中洲で売る作戦で、店を出していた。

そんな中途半端なやり方ではいけない、きちんとしたお菓子を出し、
中洲の人たちが喜んでもらえる洋菓子を出したい。
また、仕事を終わり、帰るときにも買ってもらおうと、
石村社長は深夜3時まで営業した。
でも売れない。


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これは、待ってても売れない。
「ここは、こちらから店へ行こう!」決断し、普通のサラリーマンでは考えられないくらい、
中洲の店へボトルをキープして周り、飲んで回った。
中洲の人たちは、人情深い。
それならと言う事で、お客様の会社へ訪問して回るときのお菓子を買ってくれるようになり、
中洲でも売れた。
その積み重ねが、洋菓子ボンサンクの確立につながったのです。


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