「偉人の生き方」を学ぶ、自己の価値を高める方 ㈱寺子屋モデル 山口秀範社長
10月2日19時より、博多経友会がIPホテルにて開催されました。
本日の講師は、(株)寺子屋モデル 代表世話役社長 山口秀範氏で
演題は「「偉人の生き方」に学び、事故の価値を高める法
~個人商店から世界のIDEMITSUへ-創業者・出光佐三に見る
人間力-」でした。
寺子屋モデルは、会社にして8年になります。
山口社長は、15年間は海外在住。ナイジェリアに3年半、
中南米やオーストラリアに行きました。
ナイジェリアに行った時の事、その地域の長老は夜に
なると、子供たちに語っていました。何を語っているかと
言うと、先人、偉人の話、危機に至った時にその町を
守った人。知恵を出して対処してくれた方の話をして
くれているのであろうと思います。それは、どこの国でも
やっていることです。
今の日本の子供たちは、何を手本にして行けばよいの
だろうと考えました。今育っている子供たちが、前向きに
なんでもやっているのでしょうか?海外留学の門戸は
開いていますが、それを希望する子供があまりいません。
その現実を踏まえて、親達に寺子屋。おじいちゃん達に
寺子屋。をやっています。
そして、私も寺子屋をやりたいと申し出ている方が増えて
います。寺子屋先生養成教室もやり始めました。
この人は凄い。立派な方だ!と言う人のことを伝えて
いきたい。皆さんも、この人は凄い!と言う人を見つけて
ほしいものです。
今日は、福岡の賢人、出光佐三さんのお話をさせて頂きます。
宗像郡赤間にて生まれました。16歳の時、南区の福商を卒業。
神戸大学経済学部を卒業されました。大変なエリートでした。
外交官や銀行マンになる方が多く、引く手あまたの立場でしたが、
出光さんはその道は選ばず、小さな会社へ就職。自分で商売を
することしか考えてなかったそうです。
1911年に、日田重太郎と言う方の家の家庭教師をやって
いました。日田さんの別荘が8000円で売れ、6000円は出光さんが
もらいました。自分の思う様に使え!社員は家族のようにしろ!
と言ってくれてくれたそうです。
切磋琢磨していると凄い人と会うものです。
石油を扱う仕事を始めました。出光には1000人の社員が
いましたが、世界に散らばっていました。玉音放送があった
次の日、近くにいる社員を全員を集め、出光社長は言いました。
①愚痴をやめよ!
と言われ、社員は社長は狂ったのか?と思った。食べるものは
ない。男はまだ戦地。しかし、続く言葉で社員は元気を出します。
②世界どこと比べても尊称のない3000年の歴史を見よ!
出光が持っていた資産は、ほとんどなくなるかも知れない。
そんな状況の時に、先人達が築いてきたものがあるでは
ないか!と社長は言いいました。海外から帰ってきた
社員は、社旗を持って迎えに行って、労をねぎらいました。
③積極的な国民性を見よ!
その力を発揮してきた。空元気かも知れませんが、その話を
聞いて社員は奮い立ったと言います。日本には日本の正義が
あったのだ。正義を主張して戦ったが、それが正当と認め
られなかったことが敗因。
負けた後、社員を食わせる仕事がありませんでした。しかし、
ありとあらゆる仕事をやりました。1000人の社員を路頭に
迷わせる事はさせませんでした。
出光の七不思議
首を切らない。定年がない。出勤簿がない。給与体系がない。
規則がない。…など、たくさんの規定をない会社を継続し、戦後
強い会社を作って行ったのです。
道徳とモラルは違います。支配者が被支配者にやらせたものが
モラル。道徳は自然に生まれてきたものなのです。武士道もその
ひとつ。道徳は、上から下へ行くものではありません。時代の湧き
出る様にできたものである。互譲互助というものなのです。
出光さんは95歳という長寿でしたが、晩年は明治天皇の相談役
として、日々一緒にいたと言います。日本を代表する賢人であると
思います。
私も次の方たちへつなぐ為に賢人録を話、あんな人になりたい!
と日々努力する日本人を作って行きたいものです。
山口社長ありがとうございました!
本日の講師は、(株)寺子屋モデル 代表世話役社長 山口秀範氏で
演題は「「偉人の生き方」に学び、事故の価値を高める法
~個人商店から世界のIDEMITSUへ-創業者・出光佐三に見る
人間力-」でした。
寺子屋モデルは、会社にして8年になります。
山口社長は、15年間は海外在住。ナイジェリアに3年半、
中南米やオーストラリアに行きました。
ナイジェリアに行った時の事、その地域の長老は夜に
なると、子供たちに語っていました。何を語っているかと
言うと、先人、偉人の話、危機に至った時にその町を
守った人。知恵を出して対処してくれた方の話をして
くれているのであろうと思います。それは、どこの国でも
やっていることです。
今の日本の子供たちは、何を手本にして行けばよいの
だろうと考えました。今育っている子供たちが、前向きに
なんでもやっているのでしょうか?海外留学の門戸は
開いていますが、それを希望する子供があまりいません。
その現実を踏まえて、親達に寺子屋。おじいちゃん達に
寺子屋。をやっています。
そして、私も寺子屋をやりたいと申し出ている方が増えて
います。寺子屋先生養成教室もやり始めました。
この人は凄い。立派な方だ!と言う人のことを伝えて
いきたい。皆さんも、この人は凄い!と言う人を見つけて
ほしいものです。
今日は、福岡の賢人、出光佐三さんのお話をさせて頂きます。
宗像郡赤間にて生まれました。16歳の時、南区の福商を卒業。
神戸大学経済学部を卒業されました。大変なエリートでした。
外交官や銀行マンになる方が多く、引く手あまたの立場でしたが、
出光さんはその道は選ばず、小さな会社へ就職。自分で商売を
することしか考えてなかったそうです。
1911年に、日田重太郎と言う方の家の家庭教師をやって
いました。日田さんの別荘が8000円で売れ、6000円は出光さんが
もらいました。自分の思う様に使え!社員は家族のようにしろ!
と言ってくれてくれたそうです。
切磋琢磨していると凄い人と会うものです。
石油を扱う仕事を始めました。出光には1000人の社員が
いましたが、世界に散らばっていました。玉音放送があった
次の日、近くにいる社員を全員を集め、出光社長は言いました。
①愚痴をやめよ!
と言われ、社員は社長は狂ったのか?と思った。食べるものは
ない。男はまだ戦地。しかし、続く言葉で社員は元気を出します。
②世界どこと比べても尊称のない3000年の歴史を見よ!
出光が持っていた資産は、ほとんどなくなるかも知れない。
そんな状況の時に、先人達が築いてきたものがあるでは
ないか!と社長は言いいました。海外から帰ってきた
社員は、社旗を持って迎えに行って、労をねぎらいました。
③積極的な国民性を見よ!
その力を発揮してきた。空元気かも知れませんが、その話を
聞いて社員は奮い立ったと言います。日本には日本の正義が
あったのだ。正義を主張して戦ったが、それが正当と認め
られなかったことが敗因。
負けた後、社員を食わせる仕事がありませんでした。しかし、
ありとあらゆる仕事をやりました。1000人の社員を路頭に
迷わせる事はさせませんでした。
出光の七不思議
首を切らない。定年がない。出勤簿がない。給与体系がない。
規則がない。…など、たくさんの規定をない会社を継続し、戦後
強い会社を作って行ったのです。
道徳とモラルは違います。支配者が被支配者にやらせたものが
モラル。道徳は自然に生まれてきたものなのです。武士道もその
ひとつ。道徳は、上から下へ行くものではありません。時代の湧き
出る様にできたものである。互譲互助というものなのです。
出光さんは95歳という長寿でしたが、晩年は明治天皇の相談役
として、日々一緒にいたと言います。日本を代表する賢人であると
思います。
私も次の方たちへつなぐ為に賢人録を話、あんな人になりたい!
と日々努力する日本人を作って行きたいものです。
山口社長ありがとうございました!
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