窮地に立たされたとき、私はどう行動したか?株式会社アダル 武野重美社長
4月3日19時30分より、中洲5丁目にあるIPホテルにて
第117回博多経友会を開催しました。
本日の講師は、株式会社アダル 武野重美社長で
演題は「窮地に立たされたとき、私はどう行動したか?」
でした。
武野社長はどん底から這い上がってきました。
幼少の頃、今日死ぬか?明日死ぬか?の毎日を送って
いました。18歳の時、水商売に特化した仕事を始めようと
福岡にやってきました。一番苦労する商売で、半年で
生活の出来る仕事を選びました。
半年しか働かない。椅子屋さんはそんな仕事だった。
次に、春日原の米軍基地に乗り込みました。
毎日頑張りました。毎日なので、売り上げは普通の
椅子屋さんの4倍に膨れ上がった。あっという間に
お金持ちになりました。
しかし、火事を3回してしまい、またふりだしに
戻ってしまいました。
それでも会社は成長。熊本に支店を作りました。
新入社員を所長にしました。北九州にも支店を出し
ました。大阪を飛ばして、東京にも支店を出しました。
そして、大阪にも支店を出しました。そんな急成長を
遂げていましたが、バブルが弾けました。
人件費の高い日本では限界があります。そう考え、
中国にお店を出しました。
営業部長がちょこちょこ居なくなります。何をしに行ったのか?
「日本では金額が合わない。人件費の安い中国に工場を
出したい。」言って来たのです。部長に任せ中国に工場を
出すことにしました。しかし、1年も経たない内に、「中国は
難しい。」と言って帰ってきたのです。
材料は横流しにするし、とんでもないことが続きました。1年が
経過したとき、中国人の副社長や役員と喧嘩を続けました。
武野社長は、どんなことがあっても頑張る!という気持ちが
強いのです。
強度のある製品も作りました。通常の5倍の強度のある商品を
作りました。
味千ラーメンは中国で成功しました。それは、なぜか?
中国に経営を任せたからです。福岡のラーメン屋さんも上海に
進出しました。しかし、すぐに断念しました。味千ラーメンは、
富裕層を相手にたくさんのメニューを考えだしたのです。
もし、中国でやりたいとお考えの方は、1年ぐらいは収入が
ないと考え進出する方が良いと思います。
建築の確認申請を中国の人にお願いしましたが、半年も経たない
内に違法建築と訴えられました。しかし、武野社長は地元の方と
親戚関係になっている為、上手くいくようになりました。最初の
工場は、問題なく運営できるようになりました。
次の工場は、日本の建築会社にお願いしたがダメでした。
地元の建築会社にお願いしましたが、許可が取れないのです。
ここは武野社長が申請を出し、建築許可を取りました。
しかし、立ち退き命令を突き付けられたのです。
何とか使わせてもらう様に交渉し、5年後に許可を出してもらう
様にした。上海の不動産業は、5年で元を取れます。インカム
ゲインが良いのです。
早い内に不動産を購入し、運営をしていたら儲かったでしょう。
消防署から、夜中に電話を何回も電話がかかってきます。
賄賂の話。右からも左からも賄賂を取るのです。
こんな滅茶苦茶な中国ですが、やってみると遣り甲斐のある
ところです。日本は部長に任せて、武野社長は中国で頑張って
いるのです。
ある時こんなことがありました。信用がないので、大きな看板を
立てました。すると中国人がよってきて、看板の大きさで大会社
だから大丈夫と銀行が言ってくれました。そのかわり、約束なんて
守らない。契約書なんて紙切れです。
人を入れるなら地元。ものを持って逃げられないように。
日本で生活していた人はダメ。
日本に行ってダメだった人を入れた方が良い。
中国は飲みに行っていも人脈は作れません。友達は金ずると
思われています。
しかし、今の日本に期待するよりはグローバルにならなければ
ダメです。タイやベトナムなどへの進出を考えています。
本日参加の皆さんは若い。英語もわからない武野社長ですが、
思いがあれば、外国に期待する方が良いと考えています。
日本を捨てても、中国は捨てられないと考えています。
面白いのです。
武野社長の話には一言一句無駄がなく、気持ちのこもって
いるものでした。中国で成功することは、世界で成功する
第一歩なのではないか!と感じました。
また、5月に本を出版されるそうです!経友会では話されなかった
内容もあるとの事ですので、とても楽しみです!
第117回博多経友会を開催しました。
本日の講師は、株式会社アダル 武野重美社長で
演題は「窮地に立たされたとき、私はどう行動したか?」
でした。
武野社長はどん底から這い上がってきました。
幼少の頃、今日死ぬか?明日死ぬか?の毎日を送って
いました。18歳の時、水商売に特化した仕事を始めようと
福岡にやってきました。一番苦労する商売で、半年で
生活の出来る仕事を選びました。
半年しか働かない。椅子屋さんはそんな仕事だった。
次に、春日原の米軍基地に乗り込みました。
毎日頑張りました。毎日なので、売り上げは普通の
椅子屋さんの4倍に膨れ上がった。あっという間に
お金持ちになりました。
しかし、火事を3回してしまい、またふりだしに
戻ってしまいました。
それでも会社は成長。熊本に支店を作りました。
新入社員を所長にしました。北九州にも支店を出し
ました。大阪を飛ばして、東京にも支店を出しました。
そして、大阪にも支店を出しました。そんな急成長を
遂げていましたが、バブルが弾けました。
人件費の高い日本では限界があります。そう考え、
中国にお店を出しました。
営業部長がちょこちょこ居なくなります。何をしに行ったのか?
「日本では金額が合わない。人件費の安い中国に工場を
出したい。」言って来たのです。部長に任せ中国に工場を
出すことにしました。しかし、1年も経たない内に、「中国は
難しい。」と言って帰ってきたのです。
材料は横流しにするし、とんでもないことが続きました。1年が
経過したとき、中国人の副社長や役員と喧嘩を続けました。
武野社長は、どんなことがあっても頑張る!という気持ちが
強いのです。
強度のある製品も作りました。通常の5倍の強度のある商品を
作りました。
味千ラーメンは中国で成功しました。それは、なぜか?
中国に経営を任せたからです。福岡のラーメン屋さんも上海に
進出しました。しかし、すぐに断念しました。味千ラーメンは、
富裕層を相手にたくさんのメニューを考えだしたのです。
もし、中国でやりたいとお考えの方は、1年ぐらいは収入が
ないと考え進出する方が良いと思います。
建築の確認申請を中国の人にお願いしましたが、半年も経たない
内に違法建築と訴えられました。しかし、武野社長は地元の方と
親戚関係になっている為、上手くいくようになりました。最初の
工場は、問題なく運営できるようになりました。
次の工場は、日本の建築会社にお願いしたがダメでした。
地元の建築会社にお願いしましたが、許可が取れないのです。
ここは武野社長が申請を出し、建築許可を取りました。
しかし、立ち退き命令を突き付けられたのです。
何とか使わせてもらう様に交渉し、5年後に許可を出してもらう
様にした。上海の不動産業は、5年で元を取れます。インカム
ゲインが良いのです。
早い内に不動産を購入し、運営をしていたら儲かったでしょう。
消防署から、夜中に電話を何回も電話がかかってきます。
賄賂の話。右からも左からも賄賂を取るのです。
こんな滅茶苦茶な中国ですが、やってみると遣り甲斐のある
ところです。日本は部長に任せて、武野社長は中国で頑張って
いるのです。
ある時こんなことがありました。信用がないので、大きな看板を
立てました。すると中国人がよってきて、看板の大きさで大会社
だから大丈夫と銀行が言ってくれました。そのかわり、約束なんて
守らない。契約書なんて紙切れです。
人を入れるなら地元。ものを持って逃げられないように。
日本で生活していた人はダメ。
日本に行ってダメだった人を入れた方が良い。
中国は飲みに行っていも人脈は作れません。友達は金ずると
思われています。
しかし、今の日本に期待するよりはグローバルにならなければ
ダメです。タイやベトナムなどへの進出を考えています。
本日参加の皆さんは若い。英語もわからない武野社長ですが、
思いがあれば、外国に期待する方が良いと考えています。
日本を捨てても、中国は捨てられないと考えています。
面白いのです。
武野社長の話には一言一句無駄がなく、気持ちのこもって
いるものでした。中国で成功することは、世界で成功する
第一歩なのではないか!と感じました。
また、5月に本を出版されるそうです!経友会では話されなかった
内容もあるとの事ですので、とても楽しみです!
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