制作に1.5年~3年。お客様を意識し続ける事が次につながる鍵 (株)ガンバリオン 山倉千賀子社長
6月1日19時30分より、中洲5丁目にあるIPホテル
2階宴会場で、博多経友会6月定例会が行われました。
今回の講師は、「制作に1.5年~3年。お客様を
意識し続ける事が次につながる鍵」
(株)ガンバリオン 山倉千賀子社長でした。
ゲームショップでアルバイトをして、ゲームと出会う。
その後、長崎県佐世保市のゲーム会社に営業として
勤務。その会社がゲーム事業から撤退するのを機に、
1999年にゲーム制作会社「ガンバリオン」を立ち上げた。
現在のガンバリオンは76名。1年に7~8人ずつ増えている。
取引先は、任天堂やその他ゲーム会社。
家庭用ゲーム機(任天堂のWii等)を使ったゲームを作って
いる会社。創業11年の中で、一番多く作っているのは、
週刊少年ジャンプの「ワンピース」。300万部のベストセラーを
誇るマンガだ。その「ワンピース」をゲームにしている。
ゲーム会社には、パブリッシャーとデベロッパーがある。
パブリッシャーは、ソフト開発から販売までを手掛ける。
デベロッパーは、ソフト制作を主に行う。
ガンバリオンはデベロッパーにあたる。
ゲーム業界全体で4000億の売り上げ。日本のメーカーは
36%を占める。ハードにおいても、ソフトにおいても、日本の
メーカーが頑張っている。
日本のアニメは世界に認知されている。その題材を使って
ゲームが出来ている。今後は、中国やインドが大きな市場を
担う。
ガンバリオンの生い立ち。
設立は1999年。資本金は300万円。スタートは9人で始めた。
山倉社長は、当時営業職をしていた。最初は経理や総務
担当者が居なかったので、全て山倉社長がやっていた。
社員のお弁当まで注文していた。
当初2年間かけてゲームを作った。その頃「ワンピース」は
あまり人気がなかった。2001年当初は販売の広告も
チラシのみ。広告費は200万円程。
ゲームの評価は40点満点中17点だった。しかし、蓋を
あけてみるとランキング9位になる。55万本売れた。
そして、続編をとのオーダーがきた。しかし、プレステ2が
販売されていたにも関わらず、続編もプレイステーションで
作って下さいと言われた。昔のハードでは作りたくない。
新しいハードで制作したいと言ったが却下。
2002年「グラバト2」が販売。評価は20点。
しかし、販売してみると即トップになった。2002年の販売数
ベスト10に入った。その中で、プレステのソフトはわずか2本。
その事をきっかけに、お客様のニーズがどうなのかを意識
するようになった。
2004年、スタッフは30人。9人で1本作っていたのが、
たくさんのゲームを手掛ける事ができるようになった。
しかし、スタッフの問題などで、伸び悩んでいた。
山倉社長は、たくさんの本を読んだ。そして、目的の
大切さを感じた。社員はどこに目的地を考えればいいのか?
を決める事にした。そして、社訓をわかりやすいものにした。
「永く愛されるゲームをつくる会社へ」をモットーにしている。
「最大の思いやりをゲームに持ちましょう。」
行動指針を表に出した。経営側は、永く愛されるゲームを
作って社会に貢献し、さらにレベルを上げていく事を考えている。
後から聞いた話なのですが、「ワンピース」をゲーム化するのは
とても難しかったそうです(CGなど)。このような努力や
「お客様視点」という考え方が、今日に至るガンバリオンさんの
強さの秘訣なんだなと感じました!
2階宴会場で、博多経友会6月定例会が行われました。
今回の講師は、「制作に1.5年~3年。お客様を
意識し続ける事が次につながる鍵」
(株)ガンバリオン 山倉千賀子社長でした。
ゲームショップでアルバイトをして、ゲームと出会う。
その後、長崎県佐世保市のゲーム会社に営業として
勤務。その会社がゲーム事業から撤退するのを機に、
1999年にゲーム制作会社「ガンバリオン」を立ち上げた。
現在のガンバリオンは76名。1年に7~8人ずつ増えている。
取引先は、任天堂やその他ゲーム会社。
家庭用ゲーム機(任天堂のWii等)を使ったゲームを作って
いる会社。創業11年の中で、一番多く作っているのは、
週刊少年ジャンプの「ワンピース」。300万部のベストセラーを
誇るマンガだ。その「ワンピース」をゲームにしている。
ゲーム会社には、パブリッシャーとデベロッパーがある。
パブリッシャーは、ソフト開発から販売までを手掛ける。
デベロッパーは、ソフト制作を主に行う。
ガンバリオンはデベロッパーにあたる。
ゲーム業界全体で4000億の売り上げ。日本のメーカーは
36%を占める。ハードにおいても、ソフトにおいても、日本の
メーカーが頑張っている。
日本のアニメは世界に認知されている。その題材を使って
ゲームが出来ている。今後は、中国やインドが大きな市場を
担う。
ガンバリオンの生い立ち。
設立は1999年。資本金は300万円。スタートは9人で始めた。
山倉社長は、当時営業職をしていた。最初は経理や総務
担当者が居なかったので、全て山倉社長がやっていた。
社員のお弁当まで注文していた。
当初2年間かけてゲームを作った。その頃「ワンピース」は
あまり人気がなかった。2001年当初は販売の広告も
チラシのみ。広告費は200万円程。
ゲームの評価は40点満点中17点だった。しかし、蓋を
あけてみるとランキング9位になる。55万本売れた。
そして、続編をとのオーダーがきた。しかし、プレステ2が
販売されていたにも関わらず、続編もプレイステーションで
作って下さいと言われた。昔のハードでは作りたくない。
新しいハードで制作したいと言ったが却下。
2002年「グラバト2」が販売。評価は20点。
しかし、販売してみると即トップになった。2002年の販売数
ベスト10に入った。その中で、プレステのソフトはわずか2本。
その事をきっかけに、お客様のニーズがどうなのかを意識
するようになった。
2004年、スタッフは30人。9人で1本作っていたのが、
たくさんのゲームを手掛ける事ができるようになった。
しかし、スタッフの問題などで、伸び悩んでいた。
山倉社長は、たくさんの本を読んだ。そして、目的の
大切さを感じた。社員はどこに目的地を考えればいいのか?
を決める事にした。そして、社訓をわかりやすいものにした。
「永く愛されるゲームをつくる会社へ」をモットーにしている。
「最大の思いやりをゲームに持ちましょう。」
行動指針を表に出した。経営側は、永く愛されるゲームを
作って社会に貢献し、さらにレベルを上げていく事を考えている。
後から聞いた話なのですが、「ワンピース」をゲーム化するのは
とても難しかったそうです(CGなど)。このような努力や
「お客様視点」という考え方が、今日に至るガンバリオンさんの
強さの秘訣なんだなと感じました!
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