大きな成長には、経営戦略だけではない秘密がある。株式会社ストーンマーケット 中村泰二郎社長
11月10日19時30分よりIPホテルにて博多経友会が
行われました。
演題は「大きな成長には、経営戦略だけではない秘密がある。」
株式会社ストーンマーケット 中村泰二郎社長でした。
中村社長は山口県柳井市出身。酒屋の息子だった。
しかし、父親がやっている酒屋の経営がうまくいかなくなってきた。
それからは、人の対応が悪くなってきた。小学校6年生の頃の事だった。
世の中はやっぱり金かな~と思いだした。
それからは「経営者になりたい!」と、心から思い始めた。
高校を卒業して働こうと考えていたが、バンドを始めていたので、
福岡の大学へ進学。女性が働いているところで働きたい。早く店長に
なれる所と考え、ブティックへ就職。
全国に200店舗ある、大きなアパレル会社へ就職した。
そして女性と働くようになり、感じたのは「女性って怖いな!」と感じた。
頑張って働き、半年でファッション業界の事が分かってきた。
お店の売上を上げたいと思っている人たちの団体という事だった。
その人たちをまとめる事ができれば、事業は上手くいくと感じた。
東京へ転勤。ファッション業界の流行は大手が仕込んだもの。
今年と来年に出す商品は、違えて販売できるものにしていく。
見る方は、今年はそれを見て流行りを知る。
しかし、半年以上前から仕込んでいるもの。
ちょうどバブル期。メチャクチャに売れた。
働きながら自分の店を持つことができた。
すべてが絶好調だった。中村社長は遊びに遊んだ。
しかし、流行りの進み具合が分からなくなっていた。
ブティックは仕入れが先。商品が売れる前に、支払いが先にくる。
そして借金が膨らむ。2000万円から3000万円と、どんどん
膨らんでいった。中村社長は、どうしていいかわからなくなっていった。
そんな時、中村社長は思い立ったことがあった。東京を出て、アメリカに
行こうと考えた。東京を上から見てみたくなった。思い立ったら吉日。
即、ロサンジェルスへ行った。その飛行機の横に座っていたおじさんと
話した。その人は、アメリカに行くなら田舎がいいんだ!と言った。
ロスでバイトをしたが、何か違う。バイトを辞め、ヒッチハイクをした。
そして、アリゾナに着いた。砂漠の真ん中。ここで少し生活しようと考え、
モーテル住まいを始めた。そこで、折鶴を作って見せたところ、折鶴が
10ドルで売れた。
地域の人と親しくなって話してみると、車好きは車屋、パンを食べるのが
好きな人はパン屋。皆が好きなことを仕事にしていることが分かった。
金を儲ける事しか考えてなかった中村社長は、好きな事をやって
生きていきたいと考えた。
ある時、バーのオーナーが穴を掘っていた。「何をしているのですか?」と
聞くと、お客様がプールで泳ぎたいと言ったのでここに穴を掘っているんだ!
と言う。人の喜ぶ事を心からやろうとしている姿を見て感動した。
儲かる事しか考えていなかった東京。一発当ててやろうという人の
集まりだった。儲けなくていいから、好きな事をしようと思い、また
ヒッチハイクをした。次は、サンタフェというところに行った。
そこはインディアンの街。また折鶴を折り、気を引き、インディアンの
方たちと仲良くなっていった。小さな子供がピアスをしていた。
なんで小さいのにピアスをしているんだ?と聞くと、これはお守り
なんだ!と言う。アメリカの人達は、どんな時もお守りを身に着けて、
お祈りをする。日本人は、お守りを身に着けていない。
日本人も付けるべきではないか!と考えた。
これを、日本で流行らせたい。「ビビッ!」ときた。
これが転職だ!と、心から思った。
インディアンの街の星は綺麗で、ゆっくり時間が流れる。この大地で、
自分は何のために生まれた来たんだ!と考えるようになってきた。
石炭も、ダイヤモンドも、石ころも、大切に思えてきた。
地球の色も、石でできている。
石は、人間に掘りだしてほしいと言っているのではないか。
石は、人を守ってくれるのではないのか。
代々伝わっているものも石で、それを貰うと悪いことはできなくなる。
石が重要に思えてきた。インディアンに感謝。飛行機で会ったおじさんに
心から感謝したいと思った。
「失敗は研究」と考えるようにした。次への研究。次へ行くための
糧なんだと考えることができた。
借金は全部返そう。そう思い、日本へ帰った。
石を流行らせようと考えた。どこを拠点にするかを考え、星が綺麗に
見える所。自然がある所と決めた。そして、熊本に第一号店を出した。
上通片隅の6坪の店舗を借りることになった。
インディアンから貰った石を、アクセサリーに加工して販売した。
しかし、儲けは考えすやった。楽しい仕事だったので、夜遅くまでやった。
看板だけはライトを付け、加工をずーっとやっていた。
当時の上通は、20時を過ぎると他の店は閉まり、この店だけが開いていた。
夜遅くなると、お酒を飲んだ方が買って行ってくれだした。
カップルが来るようになり、いつの間にか、たくさんのお客様が
来てくれるようになった。そのおかげで、借金は3年で返済した。
3年を超えたころ、福岡のキャナルシティに店を出さないか?と言われ、
2号店を出し、メジャーになっていき、広島店から次の店…と、どんどん
出せるようになっていった。東京は先々を狙う。しかし、今入れるものを
一生懸命売る。それをやってきた。東京に行くと惑わされる。東京で
売れているものが、地方で売れるとは限らない。現在は福岡が本社。
福岡から発信して行こうと考えた。
1店舗7人。その中で社員は1人。社員は店長のみ。これからも店舗は
増やす。なぜかと言うと、社員じゃないあとの6人が、店長をしたいと
言い続ける限り、店舗は増やす。店長になった限りは、時間は考えず
店のために頑張る社員を応援したい!と中村社長は語る。
1万円で仕入れたものを10万円で売るよりも、100円で仕入れたものを
1000円で売る商売をやって行きたい。
お客様からのクレームは少ない。誰でも買う事ができる。
初めて熊本で採用した3人が、今もストーンマッケットで働いてくれています。
あの頃高校生だった人達が、大切なスタッフになってくれてます。
そのような人達を大切にしていきたいです。
行われました。
演題は「大きな成長には、経営戦略だけではない秘密がある。」
株式会社ストーンマーケット 中村泰二郎社長でした。
中村社長は山口県柳井市出身。酒屋の息子だった。
しかし、父親がやっている酒屋の経営がうまくいかなくなってきた。
それからは、人の対応が悪くなってきた。小学校6年生の頃の事だった。
世の中はやっぱり金かな~と思いだした。
それからは「経営者になりたい!」と、心から思い始めた。
高校を卒業して働こうと考えていたが、バンドを始めていたので、
福岡の大学へ進学。女性が働いているところで働きたい。早く店長に
なれる所と考え、ブティックへ就職。
全国に200店舗ある、大きなアパレル会社へ就職した。
そして女性と働くようになり、感じたのは「女性って怖いな!」と感じた。
頑張って働き、半年でファッション業界の事が分かってきた。
お店の売上を上げたいと思っている人たちの団体という事だった。
その人たちをまとめる事ができれば、事業は上手くいくと感じた。
東京へ転勤。ファッション業界の流行は大手が仕込んだもの。
今年と来年に出す商品は、違えて販売できるものにしていく。
見る方は、今年はそれを見て流行りを知る。
しかし、半年以上前から仕込んでいるもの。
ちょうどバブル期。メチャクチャに売れた。
働きながら自分の店を持つことができた。
すべてが絶好調だった。中村社長は遊びに遊んだ。
しかし、流行りの進み具合が分からなくなっていた。
ブティックは仕入れが先。商品が売れる前に、支払いが先にくる。
そして借金が膨らむ。2000万円から3000万円と、どんどん
膨らんでいった。中村社長は、どうしていいかわからなくなっていった。
そんな時、中村社長は思い立ったことがあった。東京を出て、アメリカに
行こうと考えた。東京を上から見てみたくなった。思い立ったら吉日。
即、ロサンジェルスへ行った。その飛行機の横に座っていたおじさんと
話した。その人は、アメリカに行くなら田舎がいいんだ!と言った。
ロスでバイトをしたが、何か違う。バイトを辞め、ヒッチハイクをした。
そして、アリゾナに着いた。砂漠の真ん中。ここで少し生活しようと考え、
モーテル住まいを始めた。そこで、折鶴を作って見せたところ、折鶴が
10ドルで売れた。
地域の人と親しくなって話してみると、車好きは車屋、パンを食べるのが
好きな人はパン屋。皆が好きなことを仕事にしていることが分かった。
金を儲ける事しか考えてなかった中村社長は、好きな事をやって
生きていきたいと考えた。
ある時、バーのオーナーが穴を掘っていた。「何をしているのですか?」と
聞くと、お客様がプールで泳ぎたいと言ったのでここに穴を掘っているんだ!
と言う。人の喜ぶ事を心からやろうとしている姿を見て感動した。
儲かる事しか考えていなかった東京。一発当ててやろうという人の
集まりだった。儲けなくていいから、好きな事をしようと思い、また
ヒッチハイクをした。次は、サンタフェというところに行った。
そこはインディアンの街。また折鶴を折り、気を引き、インディアンの
方たちと仲良くなっていった。小さな子供がピアスをしていた。
なんで小さいのにピアスをしているんだ?と聞くと、これはお守り
なんだ!と言う。アメリカの人達は、どんな時もお守りを身に着けて、
お祈りをする。日本人は、お守りを身に着けていない。
日本人も付けるべきではないか!と考えた。
これを、日本で流行らせたい。「ビビッ!」ときた。
これが転職だ!と、心から思った。
インディアンの街の星は綺麗で、ゆっくり時間が流れる。この大地で、
自分は何のために生まれた来たんだ!と考えるようになってきた。
石炭も、ダイヤモンドも、石ころも、大切に思えてきた。
地球の色も、石でできている。
石は、人間に掘りだしてほしいと言っているのではないか。
石は、人を守ってくれるのではないのか。
代々伝わっているものも石で、それを貰うと悪いことはできなくなる。
石が重要に思えてきた。インディアンに感謝。飛行機で会ったおじさんに
心から感謝したいと思った。
「失敗は研究」と考えるようにした。次への研究。次へ行くための
糧なんだと考えることができた。
借金は全部返そう。そう思い、日本へ帰った。
石を流行らせようと考えた。どこを拠点にするかを考え、星が綺麗に
見える所。自然がある所と決めた。そして、熊本に第一号店を出した。
上通片隅の6坪の店舗を借りることになった。
インディアンから貰った石を、アクセサリーに加工して販売した。
しかし、儲けは考えすやった。楽しい仕事だったので、夜遅くまでやった。
看板だけはライトを付け、加工をずーっとやっていた。
当時の上通は、20時を過ぎると他の店は閉まり、この店だけが開いていた。
夜遅くなると、お酒を飲んだ方が買って行ってくれだした。
カップルが来るようになり、いつの間にか、たくさんのお客様が
来てくれるようになった。そのおかげで、借金は3年で返済した。
3年を超えたころ、福岡のキャナルシティに店を出さないか?と言われ、
2号店を出し、メジャーになっていき、広島店から次の店…と、どんどん
出せるようになっていった。東京は先々を狙う。しかし、今入れるものを
一生懸命売る。それをやってきた。東京に行くと惑わされる。東京で
売れているものが、地方で売れるとは限らない。現在は福岡が本社。
福岡から発信して行こうと考えた。
1店舗7人。その中で社員は1人。社員は店長のみ。これからも店舗は
増やす。なぜかと言うと、社員じゃないあとの6人が、店長をしたいと
言い続ける限り、店舗は増やす。店長になった限りは、時間は考えず
店のために頑張る社員を応援したい!と中村社長は語る。
1万円で仕入れたものを10万円で売るよりも、100円で仕入れたものを
1000円で売る商売をやって行きたい。
お客様からのクレームは少ない。誰でも買う事ができる。
初めて熊本で採用した3人が、今もストーンマッケットで働いてくれています。
あの頃高校生だった人達が、大切なスタッフになってくれてます。
そのような人達を大切にしていきたいです。
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